【ゼミ部】「T]の意味(その3)

 続きはナオさんだけに送ったのだけれど、読む前に誤って消してしまったからもう1度送るように「依頼」されたので、どうせならと思ってブログにアップしました。「@」と「<」の記号の違いは前の記事のとおり。難しいテクストだけど、メイさんからしか意見が寄せられないのも淋しいネ。

 

読みの方は議論が行きついた感じだネ、これ以上2人で続けてもメイの言うとおり「平行線」のままだろネ。 
ナオさんの参考のためにも、いちおうのコメントは付すけど。 
 
 
---- may_さんは書きました: 
> 
> 先生!ご返信どうもありがとうございます! 
> 今日は、ファックから電話がきました。先生に会いたがってましたよ!!! 
> 
> そして、先生の読みをありがとうございます^_^ 
> Tの変化は読み取れない、ということですが、大野に内的焦点化された語りが選択されている、ということからすると、大野がどう受け取ったのかが、やはり重要になってく
るのではないかと思います。 
 
@ 大野が受け取ったTの像として読んでいるつもりだけどネ。それ以外の情報は無いのだし。 
 
> また、Tが自分の意図を明示するのは唐突ではない、とのことですが、最初にTが大野にこの話を持ってきた段階では、Tは、「奥さんのため」ではなく「依田のため」にや
ってほしいと言いましたが、小説を受けとった後では「依田さんと奥様」「ついでに私の意図」を汲んだものを大野が書いてくれた、と喜んでいて、そのうえ大野を唖然とさせる
口調と態度を取ったということは、唐突、といいますか、大きな変化に感じました。あの小説に、三人の意図が隠されている、として、もう一度読者に読むことを促す、という効
果もありますよね、このTの台詞は。(繰り返しになってしまって、すみません) 
 
@ Tが発言として「~のため」と言っているのは、状況に応じているだけの話だと思う。 
  ただ大野が引き受けてからは、時間と共に小説(依田の意向)の実現に向けて尽くしたいという思いは募っていると思う。 
  その思いが大野を亞然とさせる発言(そんなに重視しないけど)を生んだのだろネ。 
  「読者に再読と促す効果」を強調すると、ヒッキ―先生が紹介してくれた現代小説のモチーフに近づいてしまうと思う。「効果」ではなく、誰の意図かを読もうとしている点が議
論になっているのだし。 
 
> 非常に気になりました。大野が小説を書いている間に、何かがあった、とも読めるかもしれません。 
 
@ そこまで読もうとすると歯止めが効かなくなると思うナ。テクストからは読めないし。 
 
> また、Tの言葉をみると、依田は奥さんがいないと「生きていけない」「まったく生活できない」などと、あくまでも依田の「生活」のことを言っていて、もはや劇作家であ
る依田への「敬愛」というレベルではなく、生活者としてのレベルで依田を見ているような気がします。 
> なので、小説にしたい、というのも、依田の「希望」とは思えないんですよね… 
 
@ 生活と劇作家としての依田を切り離して考えるのは全く賛成できない。 
  Tは丸ごとの依田を大切に思っているのだろうと思う。 
  メモをとってきた以上、依田が表現しようという意志を持続していたことは疑えない(未知恵には想像=創造できないことが殆ど)だろう。ただそれを自分でまとめる能力を
失っているという自覚があるので、大野に虚構作品としてまとめてもらいたいと言っているのだと思う。 
 
> 当の大野も、小説にすることの意味に疑問を感じて迷いに迷いながら書いてますし、作品を生み出すつらさを知っているであろう、劇作家の依田は、こんな依頼をされた創り
手が戸惑うことぐらい容易に想像つくと思います。 
 
@ 依田にはそんな「想像」する能力など無い状態だと思う。 
 
もう、劇作家としては役に立たなくなったとはいえ、自分の体験?(これもウソかもしれませんが)を、前に対談した程度のつきあいの若い小説家の手を借りてまで小説という形
にしてほしい、と果たして思うでしょうか。 
 
@ ウソではないと考えるのは上記のとおり。 
  依田が大野を評価しているのは、大野の過去の小説を読んでいて、その上で大野にすがり付いて 
いる(非常事態になっている自己認識があるので)のだと思う。 
 
依田をめぐる真実は、この女たちの、「依田のため」などといった言葉の奥に迷宮入りしてしまっているように思います。 
 
@ 「迷宮入り」(ヒッキ―先生の言う現代小説の読み方)させないのならどう読むか、と議論しているはずじゃないのかな? 


* 続きが上手くコピペできないので、改めて「その4」にアップするヨ。



【ゼミ部】メイさんとの議論(平野啓一郎の作品)

ナオさんが(その他の参加者も?)メイさんとの議論の続きを期待しているので、昨夜やっと再読が完了して先ほどメイさんへの反論を送ったものをそままコピペします。

「>」印がメイさんの意見で「@」の後がボクの意見だけど、前半はコピペの失敗で奇妙な枠にハメられてしまったものの、意味はありませぬ。

 
きのう深夜、全部読み終わったヨ。 
結果、自分の読み方は変わらないネ、むしろ説得力を確信したくらいだ。 
長いので返答は個別にするヨ。 
 
 
 
---- may_ さんは書きました: 
> 先生、ご返信ありがとうございます♪!!! 
> テクストについて、先生とあれこれ意見を交わすのは楽しいですね!すごく刺激的で贅沢な時間です^_^ありがとうございます! 
> 
> 先生は、ヴィスコンティお好きですか! 
> 映画の中で、女装してマレーネのコピーをしたヘルムート・バーガーという俳優は、ヴィスコンティに気に入られてよく彼の映画に出ています。 
> 「家族の肖像」の、コンラッドの役もやってます。(ブルジョアマダムのヒモになった左翼くずれ) 
> 「地獄に堕ちた勇者ども」は、いかにも三島が好きそうな映画だなぁと思いますので、是非是非ご覧いただければと思います

@ 映画はあまり見ないけど、「ベニスに死す」がヴィスコンティだった気がする。
  ゲイに関心が無いので気持悪い感じだったけど、大好きなマーラーの曲が見事にマッチしているのには感心したナ。
  おススメの映画をテレビでやったら、必ず見るヨ。

> また、Tの変化については先生は賛同できないとのことですが、これまで作家に敬意を表するタイプの人間だったTが、未知恵に絡んでからは大野を憫笑するような態度を取
ったことに、大野自身が違和感を感じていることは、見落としてはならないような気がします。
> 仮にT自身は、自分の確信を提示しただけで変化してないとしても、大野がTの変化を感じているということは、大野を内的焦点化した語り手がわざわざ語っていることから
、何かが匂わせられていると思います。
> しかも、大野は、小説家ですので、一般の人より人間をよく見ていると思います。

@ やはりTが変化しているとは思えないナ、話が進んで行くうちに大野に対して遠慮が無くなるようには見えるけど。その点では何も「匂って」こないがナ、大野に人間を見る
目が有る無しは別にしても。
  
> それから、黒子ということですが、観客(読み手)からは物語の進行を補助しているのが見えているけれど、物語レベルでは、そのような働きは存在しないことになっている
、ということでしょうか。

@ 物語レベルでは、そのような動きが見えない(自覚されない)ものの実現されて行くということになると思う。

> しかし、語り手は、わざわざT一人だけイニシャルにしてその存在を浮き上がらせていたり、物語レベルでも、Tは自分の知っているすべての情報を大野に与えることもせず
含みを持たせていたり、先ほどの変化もふくめ、いろんな挙動から、未知恵と共依存の関係にあるのかと思わせるほど怪しげに浮き上がって見えてくるんですよね…。未知恵とT
、この二人の女性が依田をますます見えなくさせてるといいますか。

@ Tはイニシャルにされているのは存在を「浮き上がらせ」るためではなく、固有名詞が持つ存在の具体的イメージを消されているのだと思う。にも拘らずTが結果的に果たし
た役割が大きいということかな。もちろん積極的にそうしよう(依田の意向どおりにして上げよう)とするのではなく、積極的な未知恵と消極的な大野を利用して実現させてしま
ったのだと思う。

 @(前便メールより) Tが未知恵と共有しているものは、依田の希望を実現することだろうが、未知恵に共感しているとは思えないネ。依田には私淑しているだろうけど。
>
>
> また、先生の読みは、Tが依田に私淑している、依田の希望を実現することを未知恵と共有している、ということですが、Tと依田の関係についてもそんなに情報はないです
し、そもそも依田のプライベートな問題を小説にすることが依田自身の希望なのかどうかも、怪しいと思います。
> Tは「やってあげてほしいです」と言いましたが…
> 最後に、その意図には、依田夫妻だけでなく自分の意図も入っている、などと意味深なことも言っていたので。

@ Tと依田との直接的な関係は薄いだろうけど、依田に対する敬愛の念が依田のために働こうと思ったのだろう。「やってあげてほしい」と大野に言うのも、その気持からだろ
うし、自分の意図も入っていると言うのも唐突ではない。
  あくまでも小説にすることに拘っているのは、依田本人の意向が強いのだと思う、他の人物は小説という形式にはこだわってないから。
  ただし小説にしろ、依田のプライバシーに関わることを公表することが、メイの言うように依田の「希望」なのかどうかは不明確だけど、未知恵の「希望」だとすれば己の献
身を世間にアピールするためということになるのかな? 
面白くないけど。プライバシーの公表になるからこそ、依田は小説という虚構に仕上げてもらいたいと「希望」しているのだと思う。

未知恵も、あの小説の中の凉子とは似ても似つかない、ほんとうに、姉ですか?といった雰囲気ですし、言葉で語られた音声、テープ起こしされた文章、Tのメール、二人の会話
、言葉によるもの全てが、なんか怪しいんですよね。
> 逆に、信じられる事実を挙げると、依田が震災後になぜか活動停止していること、妻・未知恵が依田を車の中に置きっぱなしにしたり、自分の趣味の服装をさせ、その依田が
痩せこけていて、瞳が微動していることぐらいですよね…。

@ 「怪しい」ことばかりのテクストだからこそ、こうして議論が進んでいるのだろネ。
  依田の時間の揺れや震災への言及(こだわり)なども「怪しい」ものの、この2点が重要そうに思わせぶりに語られているにも拘らず、読みを整序化させないようにしている
ネ。

> この依田の扱い方は、Tの手の及ぶ範囲を超えてるような気がします。しかも、未知恵が来る前に、大野がTと二人だけで話をしていたのを知った未知恵は、表情を変えまし
たし。
> スティーブン・キングの「ミザリー」みたいに、実は依田は自分の熱烈なファンの女性に幽閉されて、薬漬けにされながら、作品を創らされてる、でも助けを呼べない、とか
だったら怖いなぁ…なんて想像しちゃいました。

@ 「ミザリー」も知らないけど、依田の扱い方はTの手の及ばないのはその通りながら、未知恵無くして依田が生存しにくいのも確かだネ。大野とTが2人だけで話していたこ
とを知った未知恵が「表情」を変えた点も、Tが未知恵に抱きこまれているわけではない証拠だと思うけど。

> 今、乳&子宮検診にきておりまして(四十過ぎると、マンモグラフィやらなんやら、面倒です)、テクストが手元になく、確認してないのにいろいろ書いてすみません!また
、長くなりました!しかし、面白い作品ですよね。
> 先生のご忠言に従って、これからは現代文学もちゃんと読むようにします。そして、「神曲」、背景が興味深いですね。ダンテさん、かなりの苦労人ですね…。
> また、どうぞ、よろしくお願いします!
>
> めい

 @ マンモグラフィで良かった、チンモグラフィだったらヤバイからネ。
   「神曲」は正宗白鳥の愛読書だったというので読んでいるけど、面白いとは感じないネ。

【ゼミ部】「T]の意味(その2)

 ブログを読んだメイさんから反論がきて、「T」は「主体的に他の人物を操る」ような「黒幕」ではないと言う。ボクが言っているのは「黒幕」ほど「主体的に」言動するような存在では全くなく、「黒子」のように表に出ずに主たる人(イニシャルではなく名前を持つ人)たちの意向を汲んでそれが実現するように舵取りをするような存在のイメージなんだけどネ。その点では「T」はメイさんの言うように途中から変化するわけではなく、私淑する依田の意向が実現できるようにしているだけのように見えるのだけどナ。「黒子」とはいえ、未知恵に取り込まれるような「非主体的」では全然ないと思うネ。

 参加した人も後でレジュメだけ読んだ人でも、積極的に意見を寄せてちょうだい!

【ゼミ部】補足  「T]の意味

 メイさんの橋渡しの意味では、「T」は transfer ということになるだろうし、ヒッキ―先生の読み方からすれば本人も言ったように text ということになるだろネ。陰で他の人物すべてを動かしている黒子的存在だとすれば、「T」は何のイニシャルになるのかな? ここで黒子が人物を動かすというイメージは、議論の際に言ったように篠田正治監督の傑作「心中天の網島」(白黒映画)の心中場面では、黒子が数人登場して2人の縊死心中を手伝うという発想を念頭にしているのだけど。

【呑み部】アフターを兼ねて 

 21日のゼミ終了後は、かねて呑み部で祝賀会(?)をやることになっていたので、アフターも兼ねて国分寺で待機していたユウ君たちと合流した。ゼミ生参加のボクを含む3名と都合5人で、駅から1分のイタリアンに行った。白ワイン好きの希望があったためでもある料理店選びだったけど、スプマンテ(発砲ワイン)1本・白ワイン2本・赤ワイン1本に生ビールもけっこう空けたのだから、2時間半でよく呑んだものだ。

 残念ながら前回の店ようにエスカルゴは無かったのは残念ながらも、それなりに美味な料理を楽しむことができたので何よりだった。帰宅して仕事机に座っているうちに寝込んでしまい、再び目覚めたらまた呑みたくなったので、駅のマルシェで買ってきた鳥レバーの赤ワイン煮や生ダコ(ジャミラが購入したもの)をツマミにビールとハイボールを楽しく呑んだヨ。最近は釣り部でも、1度こと切れてから「復活」してまた呑むようになった、と言われている通りになったわけだネ。それだけ呑み部が楽しかったからでもあると思うヨ。

 4人は釣り部員でもあるけれど、3月の釣り部がまたいっそう楽しみになった。

 

【ゼミ部】感想  現代文学の新傾向? 

 開始時間の情報が混乱したようで申し訳なかったですが、レジュメが配布されているので1時15分過ぎには始めました。

 レジュメの分量が多かったものの、ナオさんが適宜読まずに(テクストからの引用は読まないというのは慣例ながら)時間を節約してくれたので、適度な発表時間だった。語句レベルではメイさんの指摘のとおり「凉子」がサンズイの「涼子」となっていたので、参加しなかった人は手許のレジュメを訂正してもらいたい。重要な同時代評を残している中条省平氏の読み方は「なかじょう」ではなく「ちゅうじょう」なので注意しておきたいが、「100分 de 名著」が「ペスト」を取り上げた時の解説者と言えば顔が浮かぶ人もいるだろう。

 

 発表の核としては、テクストが広い意味のパロディであり、三島由紀夫の「サド侯爵夫人」を含む複数のテクストが響き合っているという興味深いものである一方、中条も指摘する「時間」や「震災」というテーマ(?)の展開が説得力を欠くというもの。

 オンライン参加のメイさん(元助手の神村さん)が積極的に発言をくり返してくれたので、参加者はありがたかっただろうけど、レポのナオさんが当初は孤立無援状態になっていたのでカワイソーだったナ、その後は発言が出てきたけどネ。メイさんの発言で重要と思われたのは、「T」の存在が意外に大きいということで共感できた。他の人物は名前が付いているのに、Tだけがイニシャルなのも気になるところ。

 しかしメイさんは、Tは依田夫人に取り込まれていると読むところには賛同できなかった。メイさんはTを、大野と依田夫妻を橋渡しする存在として位置付けているという読み方をしている。個人的にはTに注目するなら、いっそのことTが他の人物をコントロールしているという読みを期待したのだけれど。Tの名が伏せられているということは、Tは言わば歌舞伎の黒子のような存在であって、陰で他の人物を動かしているのだあって、人物間の橋渡しもその一環だとしたらどうだろう? メイさんはそうは読まないというので、我ながら珍しく今日になってもテクストを読んでいた(未了)。

 

 何でも読んでる・知ってるヒッキ―先生の補足や意見が気になるところだったけど、作者の平野啓一郎は意外にも評判になったいとうせいこうの「想像ラジオ」を批判した上でこの昨品を発表したとのこと。平野作品にも「声」が出て来るけれど、平野はそれほど「声」を重視できないと考えているようではあるものの、意外すぎてヒッキ―先生の説明が消化できなかった。

 さらに面白かったのは、平野の作品は保坂和志「反響」や円城塔「道化師の蝶」と同じく、一時期流行ったドーキンスの「生物は遺伝子を運ぶ媒体でしかない」という理論を応用したような創作を目指しているとのこと。テクスト内の特定の人物に意図を認めない(つまりは《主体》を認めないというポスト・モダンの立場か? いずれにしろドーキンス理論に近似している)という発想で生まれたテクストだから、大野・依田夫人・Tの意図が読めないのは当然ということになる。これも初耳で吾ながら現代文学の傾向について無知を知らされてビックリだけど、だとするとテクストから物語内容は読まずに方法だけを読むことにならないか? 小説を読む楽しさが貧相になってしまう危惧が生じてしまうけれど・・・初耳だけにボクの理解が不十分のせいだろうけど。

 それにしてもハルキは読みやすく、かつ議論しやすいネ。

 ナオさん、発表お疲れさまでした!

 

 昔から自主ゼミは作品を発表者が選ぶので新しい体験ができてありがたいのだけれど、今回はつくづく現代文学に馴染んでないことを痛感させられたネ。とはいえハンセイして現代小説を読もうという気になるほどの余裕はない、世界文学の古典を読まずに死にたくないからだ。でも若い人は古典も現代文学も偏りなく読まなくてはいけないネ。学生時代に評判だった日本文学研究者・オリガスさんは、学生に向かって「研究対象の近代文学だけでなく、目の前に展開されている現代文学を読まなければいけない」と言っていたそうだけど、そのとおりだよネ。