2009年度

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
 新年を景気(契機)にして、更新記事を前に出しました。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

(3/8)
 下欄で何が言いたかったかというとネ、「情況への失言」を見てネ。

(3/6)
 ほぼ1ケ月のご無沙汰で申し訳ないネ、ホント。三鷹の太宰バナシは手持ちの話題に済まして殆ど準備しなかった(あちらにはゴメンナサイ!)けど(その割には好評でアリガトウ!)、入試を含む学内の仕事に追われていてネ(桐原の教科書の仕事もほぼ定期的に入ってきてタイヘンだけど)。2・3月ってヒマそうに見えるようだけど、ケッコウ忙しいんだネ。卒論・修論指導もタイヘンだけど、今度は読むのもタイヘンだからネ。
 三鷹の後の同窓会(?)も楽しかったけど、1日に何とウンコマンが現れて部屋で大盛り上がりだったネ。それも書きたかったんだけど、ヒマが無くてネ。
(一時中断)ウンコマンが来る直前にノロウィルスのせいか、豪雨のような下痢してタイヘンだったネ。凄かったネ、一昼夜の集中豪雨は。最初は不味くなる一方の増田屋の鴨きしめんのせいかと思ったけど、、。誰かに一服盛られたんだ、という説は数人にバカ受けだったけどネ。
(一番肝心なことを書く前にメンドクセー問題が発生して時間が無くなっちまったんだネ。ゴメンネ、途中で。)



@ <緊急連絡>
  あさって17日の三鷹でやる太宰話しは7時半じゃなくて、7時からだそうな
  ので訂正します。「三鷹ネットワーク大学」(南口駅前、1階は市政窓口)が
  主催。当日は昼間祝い事がありそうで、そこで呑まないわけにはいかないので、
  太宰話しはホロ酔いでやることになりそうで、、、心配(誰が?)。じゃあ、
  「関谷」を「大谷」にして話せばピッタリだ、と思ったら「大谷」は「ヴィヨ
  ンの妻」の人物だった、ザンネン。(9日にタムラからもらった酔い止めの小
  瓶を予め呑んでおけば大丈夫そうだナ。)
  ずいぶん昔の卒業生が来るというので、終了後は同窓会になりそう。

(2/9)
 9日なんだけど、まだ8日という感じネ、研究室に泊まっちゃったから、また。久々にユカチンと同床、床上の眼鏡は無事で良かったナ。この間はイスの上に置いといて、ニシムラ君に座られて壊したばかりだから、、、自分がオバカなんだけどネ。それにしても床上に寝ているイチローを助け起こさないヘイカとモッチマンは何なんだろうネ! おまけにモッチはイチローのソファで気持良さそうに寝てるんだもんネ! 本人の弁解は「センセイがここで眠れとおっしゃってくれたんですヨ」ってか。朝帰りすると、ウチではオンナの所に泊まったことになるのだけど、そんな身分に早くなりたいネ、ホント。それにしても「つぶやき」のコーナーは、たいてい泊まっちまった翌日に書き込むことが多いのもオモシロイね。
 3日の記事に書いたけど、韓国で日本語教師をしているタムラが約束を違えずに来てくれたわけネ、ビール類をぎょうさん持ってネ。スゴイ量にゼミ員もビックリしたけど、人類が一人では運べない数だったネ。久しぶりに呑むプレミアム・モルツはホント美味かったネ。タムラのためにデパ地下行って高価な寿司を買って来たのに、学生時代と同様に悪酔いしないようにとメシを食って来たと言って、せっかくの寿司が食えない所が相変わらずのオバカぶりで笑えたネ。お蔭でオハルが美味しい思いができたのは良かったナ。それにしてもヨク呑んだネ。こんなことならタムラがくれた酔い止めの小瓶を呑んどけば良かったナ、タムラは呑んでおいたせいか無事帰れたようだけどネ。う〜〜ん、酔いがぶり返してきたから止めるネ。
 そう言えば昨日ナオヤ(3年生で直哉が本名)と廊下でジューシー(昔のゼミ長で本名は充子、胸が充溢していたから音読みのジューシーがピッタリという感じだネ)の話になって、z会の就活に行ったら「主任」の面接に表れたのは彼女で、ひたすらイチローの話題で盛り上がったそうなんだネ。隣り(大井田研究室)のオジサン酒井クンと同じで「キレイなヒト」という印象を語ってたけど、昔はもっとカワイかったんだけどネ(オンナは二十歳前までかネ?)。その頃は「センセイの<東京のオンナ>は既にいるでしょうから、私を<東中野のオンナ>にして下さい。」とカワイイこと言ってたんだけどネ、すぐまた新しい(?)オトコを作って見せに来たけど、、、。その頃も結婚の相談を受けたもんだけど、今回はホンキらしくて、今は結婚に備えて実家に戻っているんだネ。お祝いにスキンを買っておいたけど、紛失しちまったんだネ、ホント。自分で使うわけないから、んっ?
 その胸、いや旨(ムネ)を賀状で一言書いたら「センセイが書いた卑猥なことを親に読まれて気まずかったです。」と留守電に入ってたネ。記念に消さずにあるから誰でも聴けるヨ。う〜〜ん、また書き足しちまったネ。もう3時になっちまったヨ、早くフトンで寝たいネ、独りだヨ、もちろん。んっ? ご想像はスキン(好き)に任せますってか?

 @ イチロー三鷹でやる太宰ばなしは2月17日午後7時半からだっとと思う。
   「桜桃」と「如是我聞」が中心になると思うけど、まだ準備する余裕が無い。

(2/3)
 以前ブログに記した韓国のイチローファン(院修了生で元ゼミ長)が数年振りにやって来た。ファンと言いながら、かつ「書き込みをしました」(といっても書き込めないようになっているはず)と言いながら、イチローの記事が頭に入ってないのは相変わらず(実はこまめには読んでないのか)。ボーッとしていてヒトの良さそうな所も相変わらずながら、イチローの髪の毛が増えた感じに驚いていたのをみれば、目の付け所は冴えてきたようだ(アデノゲンよ、ありがとう)。8日の昭和ゼミに土産を持って呑みに来るというので、ここに記して他の卒業生にも合流を促す次第なり。先日元妻のオッチャンとやったばかりなのに(偶然がオモシロイように重なる)、同窓会は毎日やってもいいくらい。

(2/1)
 更新が無いという追及(?)が厳しいのですが、なかなか時間的余裕が無いのでスミマセヌ。今日は無理して義務的に記します。
 一週間前だったか、正門に向かって通勤中、前方にあのオバカのナベの姿が見えて不愉快千万。ズッと無視し続けてきたので、何とか取り入ろうとしてか、植木の香りを嗅ぐ振りをしながら私を待っていた。近づいたら「文学者は○○(?)の香りに興味はねェんけ?」とか言い掛けてきたが、当然無視。この無神経ぶりはホントに理解できない。この無神経、デリカシーの欠落ぶりは以前ブログに書いたことがある。
そのために無実の留学生が自殺するのではないか? という危惧が生じてタイヘンな思いをしたことがある。
 それ程のことをしでかしながら、アッケラカンとして寄ってくる無神経が許せない。執行部(ワッシー)から排除されたのも当然。偶然のことながら、先日、このオバカの犠牲者となったオッチャンも含めて同窓会をやり、とても盛り上がった。ヘイカと常連(と飛び入りのドン)も含めて5人でメチャ楽しかった。
 続けたいけど、今日は雪が降っていて帰り道が不安なので、そろそろ帰りまする。


(1/21)
 昨日は修論の締め切り日で、提出者(と日頃から面倒掛けっぱなしの大井田先生)の慰労をしました。ミヤチンやフジコさん(欠席)も出せたというので、予想外の喜び(?)でした。まだ口頭試問が残っているので、乾杯は「おめでとう!」ではなく「オツカレさまでした!」なのは当然。ヤマグソ君からは一切連絡が無かったのは予想通りでしたが、困ったジコチュウで先が思い遣られます。よい子はマネをしないように!
 普段の自主ゼミの時とは違ってデパ地下で買い物をしたので、我ながら美味しくいただけました。パンパドールのフランスパンをあんなに美味く感じたのは初めての経験でした。一番面白かったのはエイリンで、500CCのキリンビール12缶を用意したのですが、その殆ど(多少誇張あり)を呑みきって、生まれて初めて宿酔を経験したそうで、今日の院授業に復活すると宣言しながら欠席しました。最後まで付き合ったヒトの証言だと、酔ってフラついて足元の缶を蹴りまくったそうです。
 大井田先生の健康を気遣って赤ワイン(キャンティ。スキャンティではない)を用意したのですが一滴も呑まず、ひたすら焼酎をロックで呑んでました。普段はいいちこをウーロン割などで呑んでばかりいるそうで、用意した名のある焼酎を美味そうに呑んでくれましたが、無事帰れたのか心配です。むろんイチローも宿酔で、院授業の時は特にモーローとした頭で聴いていました。声をかけ忘れたヘイカの慰労は別の日にやる予定。
 23日は午後1時半から一橋大学で開催される研究会に(途中から)参加する予定です。詳しくは一橋のホームページに出ていると思いますが、アンヌ・バイヤール=坂井さんをゲストに招いて谷崎論を、専任の森本氏さんが小林秀雄論を、中野さんがプルースト論を発表するそうです。18日のアンヌさんの発表を聴きましたが、とても刺激的な研究会でした。
 ついでに私の講演会(?)について。2月17日(水)午後7時〜8時半、三鷹ネットワーク大学で「桜桃」や「如是我聞」について話すつもりです。「太宰を読む百夜百冊」の第42夜としてのものです。ただし学生600円、一般1000円だそうなので、心からお勧めするわけにはいきませぬ。

(1/9)
 既に書いた記事を訂正すると、ケイタイでは読めなくなるという情報が寄せられました(パソコンなら読める)。申し訳ないのですが、不注意な言動が多いニンゲンなので、迷惑を掛ける(掛けられる)可能性が生じる(指摘される)と素直に訂正することになります。さらには原稿を仕上げる際にも<推敲魔>の異名のとおり、何度も繰り返し推敲するクセのために、以前書いたブログ記事にもツイ手を入れたくなります。ケイタイの方は、訂正する前にすぐに読んでいただくようお願いする次第です。
 7日は昔7年間勤めていた上野忍岡高校定時制の生徒だった、飯塚君のお通夜に行ってきました。授業が2コマあり、大学を出たのが5時で東大宮に行き、そこからタクシーという遠さはキツかったですが、当時の飯塚君がよく口にしていたお兄さんと親しくお話しできたので良かったです。飯塚君は生徒だった頃から老けた顔立ちでしたが、心も老け気味で落ち着いて手の掛からないヒトでした。決して他人を悪く言わない人格者で、たまに言う冗談が妙に受けてました。忘れられないのは、家が学校の近くだったことを端的に表現したフレーズ、「窓を開ければ上忍(学校)が見える」というものです。淡谷のり子の「窓を開ければ港が見える」のパロディだったと理解してますが、何でもない言葉なのに、飯塚君が言うと笑えて仕方なかったのを覚えています。

(1/5) 今年の賀状です。傑作(ケツじゃなくて前の方ながら)です。

「ダ○チョーの思ひ」も癒えて春迎ふ (「ン」ならぬ「ツ」)
ヘルニアはナルニア国のすぐ隣 (ハ行とナ行の差)
脱腸者(ヘルニアン)ダルタニアンもその一人 (話題の「三銃士」の主人公) 

去んぬる秋、恥ずかしヶ丘(恥丘)上部に更なる小丘を発見し、恥の上に恥を重ねたりと「断腸の思ひ」。心ひるがへして「この丘、二本目の生える兆しなるべし」と思ひなしてみれば活力百倍。しかはあれ医者の門をたたけばヘルニアと判明し、「脱腸の憂ひ」を嘆くこと数刻。かくて幻の二本目を押さへる手術も無事終り、経過を「関谷ゼミブログ」に記せり。
〠 186-0004 東京都国立市中(略)関谷一郎
☎ 042-329-72(研究室 月・火・水。木は前期のみ。)
http://d.hatena.ne.jp/sekiya_itiro/
e-mail:yxes(アットマーク)u-gakugei.ac.jp



つぶやきシロー  館山合宿  にい釜>  8/6
ブログ始めました、なあ〜んてネ。もう始めてるんだけどネ。よくあるでしょ、「冷やし中華始めました」とか「冷や麦あります」とか、ああいう新鮮な感じは無くなっているけどネ。ああそうそう、これつぶやきシローっていたでしょ、あの口調で読んで欲しいんだよネ、栃木訛りっつうのかナ、平板でイントネーションが無いやつ。
去年の後期から畏れ多くもヘイカのお蔭でブログ始めたんだけど、あくまでも授業案内だけだったんだよネ。それでも卒業生から「読んでます」とか「楽しんでます」とか言われたもんだから嬉しくってネ、ファンってありがたいもんだネ。それならこっちも受けるように書こうかナ、なあんてネ。今、夏休みになってチョット余裕ができたから、日記代わりに近況報告して懐かしがってもらおうかナ、ってネ。これ、一般には開いてないブログだから、卒業生と在校生(とモノ好きな友人達)だけに読んでもらえばいいわけで、書き込みっていうのはできないんだネ。どうしても反応したいヒトは、イチローにメールか電話か手紙をくれればいいわけだから。それ以外のヒトに対して今さら<関係の飢え>を感じないわけネ。<関係の飢え>っていうのは、関谷一郎というヒトの論文のキイワードなんだけどネ、、、
知らないヒトのために言っておくけど、さっき「ヘイカ」って言ったのは院生の奥山君のことで、昭和天皇のそっくりさん。見たことないヒトは、死ぬ前に一度見に来るといいよネ、生き写しでビックリするから。「死ぬ前」っていうのは来るヒトのことネ、天皇はもう死んでるから。ボクがパソコンを少々動かせるのは、殆どヘイカのお蔭なんだネ。ネットは全然利用しない(できない)けどネ。
今日(6日朝5時)こんなものダラダラ書いているのは、昨夜卒業生のオミズ(東)が大島から来るっていうので、院同学年のヒロコサン(昔はペロリンと呼ばれたけどネ)、学大ハカセの留学生オッチャン(呉)、一昨日合宿から一緒に帰ってきたばかりのユー君(広瀬)が急遽集まって盛り上がってしまったんだネ。オミズは飲めなくてカワイソーだったけど、ちょうど大昔の卒業生のヒメ(鎌田)から大好きなプレミアムモルツがたくさん届いたので飲みすぎちゃってネ。終電前に皆が帰ってからは眠くてガマンできないから、またお泊まりっていうことで。そういうことができるっていうところが学大の良いところだネ、ワッシー学長、アリガトウございます!
夏合宿といえば館山! というのが昭和ゼミの恒例だけど、7〜8年間は利用していた松善は昨年から止めたんだネ。ボクらは最高の釣り場の傍だから何の不満も無い宿だったけど、女性軍には不評で釣り場の工事が本格的に始まったのをきっかけに他の宿に移ったのネ。今年の合宿委員が松善の近くの「にい釜」という古風な宿を探してくれたのはいいけれど、マズイ・汚イ・暑イ・カユイ・臭イ・セコイ、考えられる限りの最低の宿でタイヘンだった! 行く前から料理の評判が悪いので、2泊予約していたのを2泊目をキャンセルしておいて助かった! 
料理は悪評を遙かに超えてマズイことこの上ない。海に居ながら夕飯に魚介類が1品というのはご愛嬌としても、その魚のフライが無味。反対にその他のオカズはショッパイ(塩辛いという意味と貧相という意味の両方)の一言、中にはすき焼きの残り物に数日間火入れを繰り返したような犬のエサかと思うモノもあって驚いた、というか呆れたネ、ほんと。圧倒的なマズサだネ、前代未聞!
「汚イ」というのは、玄関の外観だけは民宿じゃなくて旅館という感じはするけど、中はおおむね民宿並み。「おおむね」というのは、奥まった部屋をあてがわれた宇大の卒業生が「私達家族の部屋は1歩はいると1,5センチ沈み込みました。」と言うくらいの古さ、汚さ。マジメなエビ君が愚痴るのだから、畳が腐りかけているのだろうネ。ドアの一部が手の力で簡単に外れてしまったのも釘と木が腐っていたためで、朝飯後に直そうと思っていて忘れていたら、後でシッカリ修理代の請求が来たのもスゴイ。ゼミをやった離れの部屋で壁に寄りかかっていたら、卒業生のイリイン(入江)とオギチャン(荻原)の二人からプレゼントされたドーモ君のティーシャツの背中にシッカリしみが付いてしまい、帰宅後洗っても完全には落ちない、クソッ!
「臭イ」というのはトイレの脱臭剤、強烈でむせかえる程。「カユイ」というのは大きなヤブ蚊が裏の出入り口のところに密集しているのだけど、何の対策もされてない。
一番困ったのは「暑イ」こと! ゼミ用にあてがわれた部屋が10畳くらいでせいぜい15人くらいのゼミができる程度、とても40数人が机を前に勉強できる条件ではない。机が置けないから座ったまま畳の上で書くしかない状態。「狭い」以上に困ったのは、クーラーが1台あったけど殆ど機能しない旧式(?)。全員汗ビッショリというのが誇張でないことは、参加したヒトが体験している。合宿委員が団扇を借りてきたり(人数分は無かった)、扇風機を2台借りてきたものの多勢に無勢、その上音が五月蠅くてゼミの邪魔。被害者たる参加者もカワイソーだけど、何とかしなくてはと奔走してくれた合宿委員がカワイソーでカワイソーで、、、ホントにご苦労様でした! 別に大きな広間があるそうだけど、翌朝の準備をするとかで貸そうとはしないふてぶてしさ。ともあれ、文化系サークルにとって日本で最低の合宿所。
何から何までサギに遭ったような気になり、怒りがこみ上げてくるばかりの宿。客へのサービスという観点が完全に欠落していて、旅館側の手間を省くことと設備投資を省いてひたすら利益を得ることを優先している「セコサ」は露骨で腹が立つばかり!

翌日は料理自慢の「館山旅館」という宿に移ったが、「にい釜」に比べるとまるで天国! 朝の魚まで暖かかったのは、高級旅館でもあまり経験してなかったので驚き。女将が話し好きでいろいろ料理以外の自慢も聞かされたけど、嫌味を感じさせない自慢振り。エアコンを何台も買い換えたばかりだとか、玄関の大ガラスを合宿の選手が透明なのでガラスに気付かずに突っ込んで割ってしまい、「弁償する」というのを断って宿で負担したとか、、、「にい釜」の経営者は「館山旅館」の女将に旅館経営の精神を学びに行くべきだ。ともあれ素直に「お世話になりました!」と言える宿でした。マイナス点は、松善傍の桟橋からチョッと距離があるくらいで来年も館山旅館でもいいのだけど、女性軍の感想は如何なものでしょうか?

いつの間にかつぶやきシローの口調が外れてしまって、、、「にい釜」への怒りのせいかな? お蔭で書きやすかったけどネ。明るくなってきたので帰ろうかナ。
じゃ、また!
今度は内田樹を始め、有名になった学生時代の友人達のことを書こうかナ?


<にい釜  つぶやき  ビッグ・イッシュー> 9/10
上の記事を書いてから、もう1ケ月以上経ったんだネ。「つぶやき」面白かったですとか、合宿はヒドイ旅館でタイヘンでしたネとか、何人ものヒトから言われて嬉しかったので書こうと思ったけど、あれこれ忙しくってネ、続けられなかったのネ、期待してくれたヒトにはホント申し訳ない気持だネ。
 今日久しぶりに思い立って書き始めたのは、8時過ぎに夕飯食べながら(と言っても、スーパーで買ってきた菓子パン3個じゃ、まるで売れない芸人みたいだけどね、つぶやきシローみたいな。)テレビ見てたらシローが出ていて懐かしかったからだネ。シロウト5人を笑わせようとする番組だけど、シローが結構面白くて他の芸人よりもウケていて何故かホッとしたんだナ。
 もう一つは三浦哲郎事典の原稿がやっと仕上がって、こちらもホッとしたせいもあるかな、、、締め切りはちょうど3年前だったかな? 関係者の方々にはマコトニ申し訳ないながら、普段は授業準備に追われ、長期休みは今日もやったヒグラシゼミを優先してきたおかげで、なかなか取り組めなかったわけネ。依頼原稿のみならず学内の書類でも、締め切りは破らなかったことが無いくらいのものだけど、こんなに遅れたのは初めてだネ。明日プリントアウトしたものを送れると思うと嬉しくってネ。前回みたいに酒気帯び記述じゃないのに書きたくなってネ。
 「にい釜」旅館の「汚い・不味い・臭い・せこい・暑い・痒い」(順不同)については、前回書いたのでスッキリしていたところに、タイヘンでしたネと言われるとまた思い出したりしてね。同行したメンバーと「そう言えばエビゾーの娘二人は、にい釜の料理にほとんど手を付けずに、後でコンビニのおにぎりを買っていた。」とか、この二人は家族にあてがわれた部屋に入るなり「(お化けが出そうで)コワイ!」を連発していたとか、また「にい釜」の古汚さとクソ不味さで盛り上がってしまったものだネ。営業中止は無理でも、観光組合だか役所の観光課(?)から改善のための強い指導が必要な宿だネ、知らずに行く犠牲者をもう出さないためにも。にい釜の不評のせいで、館山(の旅館)全体の評判が落ちることを考えれば、他の宿も館山市民も犠牲者と言えるネ。
 今日一番伝えたいメッセージは『ビッグ・イッシュー』のこと。まだまだ知らないヒトが多いようだけど、少し前に「きらきらアフロ」というテレビ番組で鶴瓶が「オレが表紙になった」と紹介していた薄い冊子。表紙は正確には「THE BIG ISSUE」と記されているけど、300円定価のうちの160円が売り子のホームレスの人の取り分になる支援雑誌。国分寺北口の階段下で冊子を掲げて売っているからすぐ分かると思う。以前は200円で、授業中にも紹介したこともあるけど、値上げの割には中身がともなわないとも思うけど、たまには安い菓子パンをかじりながら協力するといいんじゃないかナ。(今日は遅い時間に買い物に出たので、行きつけの美味しい「ティアラ」が締まっていたせいなんだけど、浮いた分をこの冊子の次号に回そう。)最後の段落はつぶやき調を忘れてしまったけど、話がガラにもなく真面目になったせいかな?
 前回予告した内田樹(その他)のエピソードはまたの機会に!
 それから松波太郎、ゼミではボッキマン太郎と呼ばれているけど、この芥川賞候補者についても紹介しようかナ。17日のゼミには来ると言ってるけどネ。注文に応えて、ヨリチャンはじめ3人の署名入り本を持って来るとのこと。


<プロフィール写真 友達> 9/15
 ビックリしたな、もう、ホント。さっき、どうせできないと思いながらも、プロフィールの写真を入れようとパソコンいじってたのネ。そしたらできちゃったんだネ、これが。オレって天才じゃないかナ、ホント。最初は何も入らなかったから、アーやっぱりダメだネ、オレって、と心底思ったんだけど、、。したらヘイカの御言葉を思い出したのネ、「最後のクリックが肝心ですヨ」というのが啓示のように閃いたんだネ。「保存する」(成績などの場合は「登録」だけどネ)というやつネ、今までこれをクリックできなかったお蔭で、どんなに青春をムダに過ごしてしまったか!
最初からまたやり直す時のミジメさったら無いネ。人生で一番ツライことの一つだよネ、あれは。
 やっぱり持つべきものはヘイカだね。正確に言えば友達ということになるかナ、この場合はだいぶ若い友達だけどね。「青春」といっても「間延びした青春」だからネ、オレの場合。この写真見ても、誰も今年カンレキを迎えたヒトとは思わないだろうからネ。でもこうやって「青春」しているわけネ、撮ってくれたユウ君という(ヘイカよりちょっと先輩の)若い友人と。この写真は生涯で一番気に入っているものかナ、やっぱり。3本の釣り針に全部掛かったんだけど、それが3種類の魚なんだネ。こんなこと滅多に無かったからネ。上からシロギス・ホウボウ・メゴチというんだけどネ、どれも美味しいんだよネ、これが。
 まぁ、サカナよりもニンゲンの美味しさを言いたかったんだけどネ。カンレキまでずっとヒトを食って生きてきたけど、結局自分の財産はニンゲンだナと思ってるんだネ、これが(念のために言うけど、人肉を食ってるわけじゃないからネ)。友達がいれば家もカネも要らねエ! と本気で言いたいくらいだネ(ん〜、最小限は欲しいけどネ)。そのぐらい友達というのは大事だネ、年齢に関係無く。隣室の院生から「よくヒトが来ますネ」と言われたことがあるけど、振り返っててみれば確かによく卒業生が来てくれる。「朋あり遠方より来たる」というやつだネ。月に1度は同窓会をやっている気分だネ、ホント。今年度も学大赴任当時のツッツァ(伊豆)がヒメと合流、ヒメは別の日に島根から来たチカちゃんとも合流したナ、鹿児島からナベ(面識の無かった後輩からはアスパラさんと呼ばれている)が旧称ペロリンと合流、大島からオミズがオッチャン(女性の留学生)やユウ君と合流、何年ぶりかでチンポが来室したのは誰と合流したのだったか、、、。ホント半年でもすさまじい回数で集約しきれないね。
 もちろん学生時代のアラカン世代の友人もとっても大切な財産で、温泉旅行も含めて年に何度か(「何度も」かな)呑むけどネ。これじゃ小遣いが殆ど老若友人との交際費というのも当然だネ。でもジンセイで最高の悦びが得られるのだから、言うこと無いネ。一人で観劇や演奏会に行くカネがあれば、友達と呑む方に回した方がシアワセだね、ホント(先週は一人でゴーギャン展観ちゃったけどネ)。明後日は今年一橋大院を修了したばかりのボッキマン(という友達)が、文学界新人賞受賞作品と先般芥川賞を逃した作品を収録した第一創作集『よもぎ学園 高等学校蹴球部』を持って来室予定。ヘイカ恩賜の日本酒をはじめ、ワインやビールやツマミを揃えて楽しみにしているところ。画面に写真を入れられた喜びを自慢したかっただけなのに、長くなっちゃったネ。授業が無いからヒマなんだろう、とすぐ邪推する向きもあるけど、今日は一橋院の留学生が発表したヒグラシゼミ(で修論指導を)をやったんだネ。この夏最少人数の3人だったけど、充実した内容だったのは出席者は分かっている。(このくらいにして「保存する」を押すネ、じゃまた! しかし上手くいったネ、写真。)

<ボッキマン松波>  9/17
ホントにボッキマンが現れたので、皆がビックリ!
サイン馴れしているのでボクもビックリ!
その貴重なサイン入りの本をもらってカンドウ!

* ボッキマンについて、去年、一橋大大学院言社研の宣伝用パンフレット(?)
  に書いたエッセイを転載しておきます。原題は「ウンコマンからボッキマンへ
  」というものでしたが、頭のお固い方々がグズグズ言うと面倒なので変えま
  した。幸い編集部は大変喜んでくれました。イチローの名文章家としての側面
  を味わうには最適のもの、と言っていいでしょう。古来稀に見る豪速球のよう
  な論文の調子とは異なる、イチローの変化球をお楽しみ下さい。

「文学の魔力にご用心!」  東京学芸大学教授(一橋大学連携教授) 関谷一郎

畏るべし、一橋大生!
 授業に望むたびに、この思いを強くしている。本務校の東京学芸大学のみならず、長年複数の大学で非常勤講師として学生・院生に接してきたが、一橋大生から受ける刺激は格別である。一橋大の専任の先生方からは、それほど高い学生評価を聞かないのがウソのよう。たぶん文学を専門とする学生ではないということが、私にはとりわけ新鮮な<読み>(読解)として訴えてくる、という事情によるところが大きいのだとは思う。
 常に学生参加型の授業を展開している私としては、一橋大の授業ほどやりやすいものはない。放っておいても次々に自分の<読み>を発表してくれるので、熱気に圧倒される思いを繰り返してきた。二度目以降は単位にならないのに、リピーターの学生も少なくなく、一見(いちげん)の学生がレポートに「当初は皆が争って意見を言いたがるのに驚くばかりで、その熱意が信じられなかった。」と付記してきたのもうなづける。
 リピーターの代表が妹尾君(仮名)で四年間受講し続け、中途からは私が顧問をしている学芸大の自主ゼミにも参加するようにもなった。その上に合宿にまで歓迎され、酔ったあげく自嘲的に「一橋大生はウンコだ!」を連発したため、<ウンコマン>の尊称で呼ばれるようになった。「(文学の方へ)道を踏み外すなヨ!」とは時折警告を発していたが、幸いヤクザな道で自失することなく、今は大阪大学法科大学院ヤセル思いをしているとのことである。
 昨年度から一橋大大学院の連携教授として授業を担当しているが、半期でもいいと言われながらも通年で授業を楽しんでいることからも、私の一橋大生に対する評価の程をご理解いただけよう。依頼された時は、学部・大学院一貫教育が目差せると喜んだものの、学部の授業からは外されてしまって無念な思いを強くした。それでも学部時の受講生の残党が、今でも大学院の授業に参加して院生と対等に議論していて感心する。
 あまり感心しないのは、この学生も小説を文芸誌に投稿しているそうで、趣味に留めて道を外さぬよう内心願うばかり。この学生「も」と書いたのは、つい先頃『文學界』新人賞を受賞した松波太郎君は、私が主指導教員を担当している院生だからである。君は常に独創的な(奇抜な?)発言によって、受講生からも高く評価されているマン(人)である。
彼も昨年度から時おり学芸大の自主ゼミに顔を出しており、村上春樹「午後の最後の芝生」を議論していた際に、やおら脈絡もなく「ボクはこの<勃起>という言葉が繰り返されているのが気になるんですヨ。」と発言したものである。以来<ボッキマン>の尊称をたまわり現在に至っている(ちなみに吾が研究室では全員ニックネームで呼ばれている)。松波君は幾つかのペンネームを持っているとかで、受賞に際しては「ボッキマン松波」を打診したところ、編集部からたしなめられたとか(当たり前だろ!)受賞によって修士論文が妨げられるやと心配したが、「本務」は見失わずに修論に励む旨のメールを受け取ってホッとしているところである。
 さて、来年度はどんなマンが現れるやら。

内田樹 鹿島茂 植島啓司>  9/28

 内田のことを書くと言いながら延び延びになっちゃてるネ。実はボッキマンがブログを読んで、「あまり個人的な事まで書かないでください、センセイにしか言ってないこともあるんですから。ヒヤヒヤします。」と言って来たから、嬉しくなっちゃってネ。「もっと書いちゃおうっ!」って、これ冗談だけどネ。有名人になったのだから、控えてやらなくっちゃと思っているから安心せよ、とは応えておいたけどネ。それで矛先を内田に向けようというつもりでもないんだけどネ。でもいつかは書かないとホラ吹きみたいになってもネ。今やアイツも有名人だからネ。
 内田がブログで名を知られるようになったということは、大分後になって知ったんだと思うネ。そもそもブログって何? という状態が最近まで続いたんだからネ。内田が知られるようになった頃、総合社会システムの学生でいながら昭和ゼミのゼミ長だったカトゥ(加藤)が、「センセイ、内田さんて知ってるんですか?」と言ってきたんだネ。「どの内田?」と聞き返したと思うネ、ありふれた名前だし何人かの「うちだ」が思い浮かんだからネ。そしたら学生時代の同級のアイツだったんだネ。その内田とカトゥが繋がらなかったから、「なぜ内田を知ってるの?」と尋ねたと思うネ。そしたらブログで注目されているそうで、その内田がボクのことを「学生時代に関谷というヘンなヤツがいた」とか書いていたとかで、カトゥがビックリして跳んで来たらしいんだネ。ブログの見方を知らなかったし、別段興味も覚えなかったから改めて見なかったけどネ。でもチョッと懐かしかったし、誇らしかったような気がしたように覚えているネ。
 その事があったのと、朝日新聞のコラムを書いているブサイク顔の男があの内田だったと知ってビックリ仰天したのと、どちらが先だったか分からなくなってるけどネ。コラムで毎回とてもイイことを書いているので、珍しく毎回感心して読んでいたんだけどネ。でもブサイクな写真でネ、これが、何でわざわざこんな顔写真を使うのかナ? これでも精一杯の顔なのかナ、カワイソーにと同情したりネ。だからあのブサイクが内田だと知った時にはギョウテンをまた繰り返してネ。でもそれほど不自然じゃなかったけどネ。アイツならこの位のこと書けても不思議ない、という評価をしていたんだネ、ボクより遙かにヘンなヤツだったと思うけどネ。
 ボクが入学したのが幸いにも68年で、入学して2ケ月もしたら全学無期限ストライキに突入というラッキーさ! その楽しさ・充実感について語ってると内田のこと書けなくなるから省くネ。ともかく進級試験を拒絶したら、69年入試が中止になったお蔭で2年いっぺんに落とされて、70年に入ってきた内田のクラスに仲間10人と一緒に合流したわけネ。意外にも「お前等のお蔭でオレ達は去年入学できなかったんだゾ!」と食ってかかるようなヤツはいなかった。むしろ最初から同じ雰囲気〜〜
崩れたというか、斜に構えたというか、、、〜〜すぐに年齢の差を超えて意気投合したんだネ、内田達と。もっとも吉田のトッツァンのように、留年生のボク等より年上の新入生もいたけどネ(トッツァンは去年早くも東大を定年で辞めたんだネ)。
 ブサイクなせいで(?)結婚は一生不可能と思われながらも、奇特なご婦人のお蔭で子供にまで恵まれたのに、35歳で直腸ガンになってウンコを垂れ流しながら死んじまったトンペイをはじめ、70年生もヘンなヤツのオンパレードでネ。ヘンと言ってもトンペイのようにスゴイヤツもいたから、「ヘン」と「スゴイ」は重なっているんだけどネ。その列伝を書いている場じゃないから、残念ながら省くけどネ。ボクらが大学闘争中に「ケジラミ集団」を名乗っていたのに合わせて、内田達は「水虫集団」になったわけネ。もちろんクラス全体じゃなくてボクらと波長が合うヤツ等だけでネ。トンペイがクラスの文集で際立った文才を見せたとすれば、内田はホラ話で目立っていたかナ。「予備校の校長の娘を誑(たぶら)かしてやった」とか、「オレは高校を中退して大受の資格で入ったんだ」とか、口先だけでなく武道の所作のマネをして見せたりネ(武道に関しては、アイツの本の著者紹介によればその後ホンモノになったようだネ)。
 卒業してからだったか、内田が「オレは兄貴分のヒトの奥さんと結婚したんだ」と自慢そうに語っていたのを思いだすけど、「バカなヤツだナ、ヤクザの世界じゃあるまいし。」とその時思ったネ。案の定、子供を一人作って離婚したけどネ。それ以後内田に会ったのは、フランス語学ではスゴイレベルだったノヘ(実名略)の告別式の際だったかナ。神経質そうな口調で「最近一睡もできないんだヨ」とボヤイていて心配だったネ。勿論眠っていないというのは本人だけの自覚で、実は睡眠はしているはずなんだけどネ、そうでないと死んじゃうからネ。離婚直後だったのかナ、例のホラどころか泣き言ばかりで可哀相だったネ。
 その内田が朝日新聞で見事なコラムを書くようになるとはッ! エーッと驚いたけど、すぐに納得したネ。単なるホラ人間じゃないとは感じていたからネ。アイツを評価している証拠に、編集委員を務めている桐原書店の高校の国語教科書に、内田の『寝ながら学べる構造主義』から一部を採ったんだネ。内田も喜んでくれたと思うけど、編集会議でボクはこの内田と同級生だったんだヨ、と言った時はホラじゃないから誇らしかったネ。そろそろ落ちを付けなくちゃいけないんだけど、長くなって疲れてしまってネ。内田だけでこんなに疲れるんだから、当時身近だった他の有名人、鹿島や植島のことなどとても書けやしないナ。とりあえずこのヘンで終わっておくネ、じゃァ!
 
10/28
ご無沙汰しちゃって、ゴメンネ、ゴメンネー!
あっ、これ、栃木の後輩芸人のマネだったネ。ダメだね、芸人として、後輩のマネじゃネ。ブログの更新しろ、という声は届いていてとてもありがたいのだけど、忙しくてネ、申し訳ないネ。
ご無沙汰の理由は、最近久しぶりに論文なんか書いちゃってネ、「殉教対転向ーー『沈黙』と『李陵』」というの。『現代文学史研究』という研究同人誌、出たら買ってね、面白い論だから。もう一つの理由は今は言えないので、もう少し待ってネ。
体調も悪くてネ、ジンセイで「断腸の思い」をしたことはあるけど、今ヘルニアの症状が出てネ、「脱腸の憂い」だネ、これじゃ。鼠(そ)けい部チュウの? ネズミという漢字だから? 恥骨辺りのこと、そう言えば学生時代の親友(!)の河上が、恥骨のことを「恥ずかしケ丘」と呼んでたナ、、、、
バカ言ってる場合じゃないので、これで失礼するネ。
(論文の題を「殉教」から「沈黙」に訂正しました。遠藤周作のあれネ。11/12付す。)

11/26
 またまた1ケ月のご無沙汰で、ヒドイ話だけど「情況への失言」の方が忙しくて。
学長選挙がらみで。普段なら興味が無いので、投票にも行かなかったろうけど、宇都宮大学時代のように。でも今回は元の同僚である荒尾さんが、学長選挙に出た際に強力に支援してくれた長谷川先生が立候補したので、恩返しのつもりで推薦人の一人になって動いた次第。ブログの評判はバカ受けで、イチロー君の文章家ぶりが改めて評価されているくらいだから読んで楽しんでちょうだい。相変わらず毒が利いていて、ビックリしているヒトが多いみたい。とはいえ、学内のブログの読者が多いわけでもないので、別の文書の形にしてメール添付してやらなくてはならない面倒さ。
 長期旅行の方は別の機会にして、「重大な発表」があるんだよネ。(例の口調が復活)前回打ち明けたヘルニアの手術をすることになっちゃってネ。年末・年始に悪化すると急には手術というわけにはいかないからネ、今の中にというわけネ。恥骨の上部がこんもり盛り上がってきた時は、歯が生える時みたいな感じで2本目が生えるのかナ、とチョッとイヤらしい期待をしたんだけどネ。別に今使っているモノが衰えてきたというわけじゃないけどネ。医者に行ったら、結局ただのヘルニアでヌカ喜びというやつ。来月の2日に入院して5日に退院予定。見舞いに来て欲しくないから詳しいことは言えないけど、学生に言ってしまったから立川の病院とだけは言うけどネ。
来ないでネ、有り難いことに、これでも熱狂的なファンがいるから心配でネ。
 ユビサックさん(山田さん)に手術と言ったら滅相もないという反応だったけど、
割と平気なんだネ、痛みには強いタチだから。だけど痒みは嫌だネ。痒い所に手(特に他人の)が届いた時の快感は何とも言えないほど気持いいけど、痒みが治まらない時の不快さはたまらないネ。退院後の注意を聞いたら腹筋を使いすぎるナということで、投げ釣りで遠くに飛ばしにくいナ、ということが気になるネ。またサオの話になったから、これで止めるネ。飛ばす投げザオは確かに2本持ってるけどネ、、、そういうことじゃないのネ?

12/6
 時間が無いので報告だけ。
昨日、予定どおりに退院して、本日来校して仕事始めをしてます。
明日、月曜から平常どおりに営業します。でもゼミ後の呑みの方が、、、どうかな?

12/14
手術の経過は頗る順調で、8日に抜糸、明日は最終チェックで全て完了という運び。
ご心配いただきましたが、そういう次第なのでご安心下さい。術後は腹筋に無理を掛けないように言われたので、投げ竿を使う時は上半身だけで投げようかと考えているところです。この時ばかりは「下半身タイガース」を取り下げるつもりですから、ご心配無く! 年末か年始にいつものユー君と(前回同行したタマチンも来るのかな?)釣行の予定です。チョー楽しみ!

12/15
 桐原書店の高校国語教科書の編集委員をしているのだけれど、教科書の立ち上げ時からしばらく一緒にガンバッテいた桐原側の元編集者が、ブログを見つけて連絡をくれてチョー嬉しかった。当時の学生に、このヨーコちゃんのカワユイ写真を見せて自慢したら、この手の女子学生は学大に結構いますヨと言われ、お前等に言われたかァねェ! と内心怒ったが黙ってその場は忍んだ。全国の他のファンから叱られるだろうけど、ヨーコちゃんに確実に返信したいのでメルアドを記します(ブログでの返信の仕方がよう分からんので)。そう言えば、年賀状のやりとりの無い卒業生にも教えなくてはいけなかったんだったナ。韓国のファンからもブログを読んでいるという連絡が入り、このところ有頂天(韓国のファンはザンネンながら男の日本人だけど)。
 yxesアットマークu-gakugei.ac.jp みんな、待ってるヨ。特にヨーコちゃん!

12/24
 この冬のヒグラシについては、該当するコーナーを参照して下さい。

12/28
 日付は間違いないけど、書いてるのは31日。わざわざ付け加えるのは卒業生に「おいで、おいで!」をアピールするため。この日は春から会いたいと言っていたオッチャン(呉順暎)が、お互いやっと余裕ができたので来てもらった。来年度は学大の授業に来てもらう予定もあるので、その相談も含めて。
お持たせのワインに合わせてツマミを買ってきて、居合わせた旧名ドンと旧名イモウンとの4人で大盛り上がり。お蔭で終電に乗り遅れて、皆が帰った後そのままパソコンに向かいながら眠ってしまい(いつもどおり)、そのせいで風邪を引いたのかも。
それにしても呑み続けがスゴイ。25日は近代文学会の仕事の後、1次会で2時間、2次会では5時間くらい呑みっぱなし。酔いつぶれた時の「命の恩人」であるサッチャンと、実に久しぶりに会ったエドッコ俊治さんも居たせいか、翌日がタイヘンだった。それでも26日は仲間中の恒例の忘年会、初めてユビサックさんが合流してくれて、これも大盛り上がり。幹事だったせいもあったのか、その後の○次会まで酔いつぶれずに済んだ。
 退院してから積極的には呑みたい衝動が起きなかったので心配していたが、これだけ続けて楽しく痛飲(通院はもうタクサン!)できたのだからイチローの復活は間違いない。ご安心下さって遊びに来てたもれ!

12/31
 アノサーッ、大晦日なのに研究室に居るんだよネ。(つぶやきの口調復活)
できれば残務整理と学生指導のために来たいとは思ってたのだけどネ。でも風邪で熱っぽいのを押して来たのはダザイ(ダサイじゃない太宰)理由があってネ。「桜桃」ってあるでしょ、あれネ。テクストに「これは夫婦喧嘩の小説なのである」とかあるでしょ、あれあれ。実情はダザイ小説とは真逆で「出て行け!」と言われて出てきたんだけどネ。ウルサクて仕事にならないからネ。テキは強いネ、アメリカより強いかもネ? 相手の言うことを聞かずに問答無用だもんネ。アメリカに対してサダム・フセインはガンバッテたようだけど、マダム・不正ンはもっと強いんじゃないかと思うネ、ホント。{初稿には「殺」の字を使った表現がありましたが、自粛して改めました。}
 《生きるといふ事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまつてゐて、少しでも動くと、血が噴き出す。》(桜桃)確かにそうだけど、もっと表現の仕様がないのかネ、太宰なんだから。これじゃ笑えないネ全然、私小説じゃないんだからネ。<薄氷を踏む思ひで冗談を言>わなきゃ、ダザイじゃないよネ。自分の問題で落ち込んでないで、自分をネタに笑えるようになれ! とはつぶやきイチローが常々言ってることなんだネ。(なぁ、オミズ!)己れの苦悩を茶化すのも芸の内ってネ。
 そう言えば、2月か3月に三鷹の市民講座みたいので太宰の話をすることになってるんだけどネ。最近太宰について考えること無いから、とりあえず「桜桃」を素材に太宰テクストのアヴァンギャルド的な面白さを話せればいいナ、と思っているところネ。詳しいことが分かったら、この欄で知らせるネ。
最近は遠藤周作「沈黙」と中島敦「李陵」を絡めて論じたんだけどネ、読みたいヒトはメール添付するからネ。
じゃァ、良いお年をだネ!