今年の1年生は(も)スゲエ!

川端の掌編小説「夏の靴」という難物の<読み>から始めたのだが、意見発表3人(堀口・浜崎・高阿田)それぞれとても1年生とは思えない切れ味でビックリ!
こちらが前日の大学院新入生歓迎会で二日酔いのために元気がなかったせいか、圧倒される思いだった。
(だから酒には気をつけるのだヨ、という肝心の言葉を伝えるのを忘れた!)
昨年の文学史が明治から大正に至るリアリズムの流れを中心に辿ったのに比し、新感覚派というリアリズムに反した文学思潮の作品を「空気感」や「印象派絵画」という言葉で押さえた勘所の良さは素晴らしい。
(人物像など)対象を言葉で捉えるリアリズム志向でもなければ、「新思潮」派のようなテーマ志向でもない、まったく新しい文学の出現を自分なりの言葉で捉えていて評価できる。
「夏の靴」が収録されている川端最初の創作集『感情装飾』の名のとおり、人物等の描写が目的ではなく、人物等が一幅の「装飾」タブローとしてある種の「感情」を醸し出している、と言い換えられるか。
昨年の2年生の演習で同作品を取り上げたところ、レポーターが二人とも人物像に焦点を当てて論じていたのと対照的だったので驚いた。
作品の新しさを直観(直感)しただけでなく、一人称小説が三人称小説に比して語り手のカラーがテクスト(本文)全体を覆ってしまうという指摘も、1年生にしては卓越している。
来週はテクストの特色(リズムや比喩)についても補足する。
初出時の作品名も異なっていたことと、初出・初刊という言葉の説明も。
東京学芸大学は名前は大学だが、貧相なカリキュラムから言えば専門学校にすぎない。》
というイチローの名言を忘れてはならないが、こういう優れた学生が集まってくる限り、学大も捨てたもんじゃない。
もっとも、テキスト(教科書)を持参してなかったせいか眠り勝ちな初参加の上級生がいたのも事実で、今後はテクストの用意なしの受講は認めないようにしたい。
テクストが手元になければ理解できなのも当たり前で、授業に集中できないことになる。
専門学校ではなく、大学のレベルの授業を続けるので、受身・逃げ腰の学生は歓迎しない。
意欲のある学生にとってジャマな存在にならないためにも、テクストの読み込みと持参は当たり前のこと。

@ テーマとモチーフの異同は理解できたろうか、面倒だけど。
  先週の作品と作者、或いは読者と作家の問題にも関係するから重要。
  一人称・三人称小説という概念はいちおう理解できたと思う。
  (小説の別の分類法については、もう少し後になったら補足するつもり。)

* 学大出身の栗山監督が予想外にガンバッテいる日本ハムを応援しよう! と言い忘れた。