先週できなかった梶井基次郎「愛撫」論から。
大正末のボードレールの小ブームの中に、富永太郎小林秀雄等とともに梶井もあった。
悪の華』冒頭「読者に」の最終聯に≪これぞ、倦怠。≫というフレーズがある。
テクスト中の「アンニュイ」がこのボードレール色が露わで、倦怠から凶行の想像に入り込むというあり方は「檸檬」を始めとする梶井文学に共通している。
「愛撫」の猫苛め(?)もその傾向で、夢に出てくる女性はさらに強烈な残酷さを現出している。

プロレタリア文学運動の組織の流れを、配布したプリントを元に説明した。

安部公房「赤い繭」は遠藤クンの活躍もあって、現代人の置かれた生の状況=アイデンティティの喪失がアレゴリーとして表現されている点が確認できた。
文学史的にはリアリズムの流れが強い日本にあって、前近代的泉鏡花の非リアリズムとは異質な、近代のリアリズムを否定する志向性を持った反リアリズムの文学である。
死語となったが、「第二の新人」としての文学史的位置について触れ忘れたので来週補足する。