スタイルが大事  錦織スゴイ!(けれど)  アシュケナージは醜い

オリンピックについては、東京に決まった時にはガッカリしつつ日本人として恥ずかしささえ感じたけれど、錦織の決勝進出(準決勝進出の時さえ)には手放しで感動感激したものだ(大谷も10号ホームラン打ったことだし!)。
決勝相手は対戦成績から言っても有利には違いないものの、気を抜くと負けるので、油断をせずに優勝してもらいたい!
ただ一言だけ言わせたもらえば、プレイスタイルからすると、個人的には順々決勝の相手が気に入っている。
最近は男子でも皆が両手打ちをするけれど、ボクはあれが嫌いなんだナ。
昔のトップだったコナーズもそうだったけど、錦織のように小柄(世界のプレーヤーの中では)で肉体的に不利な選手が両手打ちで大柄な選手に対抗するのは仕方ない。
錦織を短期間でここまで育てたマイケル・チャンも両手打ちでフランス・オープンで優勝したのだけれど、両手打ちはテニス本来のものとは思えない(力仕事じゃねェんだから)。
本来なんかどうでもいいという立場も分かるけれど、少なくともボクの美意識に反するので、両手打ちが一般的になってしまった今どきのスタイル以外を支持する、ボクの立場・美意識も理解して欲しいものだ。

スタイルついでにいうと、今これを記しながら聴いているN響アワーアシュケナージも大嫌いだ!
有無を言わさずその音楽性が訴えてくるならまだしも、彼の指揮で聴いて感銘を受けたことがない(チェコフィルを指揮しても)。
音楽性もダメなら指揮スタイルが田舎のジジイが余興でやっているようで(いつまで経っても進化しない)、見ていられない(今も画面はスポーツ番組)。
自分の左手を指揮棒で突っついてケガした(ザマア見ろ、ド素人が!)というエピソードは説得力があったが、往年の名指揮者・ショルティにもそんなことがあったっけ。
これも昔世紀のヴァイオリニストと言われるオイストラッフや、世紀のバリトン歌手のフィッシャー=ディースカウが一度だけ(?)指揮にチャレンジしたものの、続か(続け)なかったのは己の醜さが自覚できたからだろう。
己を見る目というのは大事なんだけれど、それを持てないヤツ等もいるのは残念。
我が家のジャミラも己を見ることができないので、ゴミ屋敷になるわけだ。
ともあれ世紀のとはいえないだろうが、現代の代表的なピアニストの一人(だった?)であるアシュケナージ(ボクも一度ナマで聴いたことがある)は、己の指揮姿の醜さが分かってないし、周囲の誰もそれを指摘してやらないので恥をかき続けているということなのだろう。
ピアニストが指揮をしてはいけないということではない。
事実バレンボイムは高い音楽性と統率力で多くの結果を出している。
彼はピアノとともに指揮の勉強も重ねたせいでもあるが、フルトベングラーを理想にしているほど目標が高い。
その点、余技として指揮のマネごとをしているアシュケナージ(やエッシェンバッハ)とは根本的に異なる。
アシュケの音楽性が高ければスタイルには目をつぶってもいいので、どなたか彼の指揮のレベルの高さを具体的にご教示願いたい。
N響が彼を桂冠指揮者としているのは、その名に値する傑出した指揮者サヴァリッシュブロムシュテットデュトワに対する侮辱以外のものと思われない。
スタイルにこだわるのは、ボクが文体(スタイル)を重視しているのと関係あるのかも。

@ 今日は朝からずっと胸痛が治まらないので(こんなの初めて)、機嫌が悪いので不満が前景化してしまったようだ。