高市早苗・石破・安倍はヒットラーとその家来  桐原書店国語教科書

明日は桐原書店で高校国語教科書の編集会議があり、週に一人くらいの割合で続いている論文指導も桐原の仕事と並行してやっているし、原稿を寄せなければと思いつつ裏切り続けてきた『現代文学史研究』の原稿も書き始めているしで、意外に時間的余裕が無い。
肺炎の投薬治療が10日間ほど続いていて、あと3日ほどで解放されることになっているので、血圧の主治医からは無理しないようには言われている。
といってもそんなに無理をしている自覚は全くなく、身体にいたっては殆ど動かすことがないほど。
でも忙しさを感じている時に限って目前のこと以外のものに気を引かれるもので、ブログに書きたいことも溜まっていくばかり。
朝日新聞チョンボについても書き始めたら増殖し続けるので未完のまま前半を発表しただけで放置してある。
ネタが思い浮かぶ度に書いていたら肝心の仕事の方が疎かになるので控えているので、実際に読んでもらっているのは5分の1以下の分量だろうか。

安倍が内閣を改造して話題を撒いていたけれど、それ自体にはほぼ100%興味は無い。
歴代の内閣で、誰かが特定のポストに就いたおかげで大いにプラスだったという事実は聞いたことがないし、大臣の地位と日本の政治屋のレベルはその程度に止まっている。
それなのに何故記し始めたかといえば、大事な問題が抽出できるので指摘しつつ銘記して欲しいからだ。
今回の内閣改造で注目されたのは石破の扱いだったようだけれど、国会周辺のデモ行進を「テロリスト」呼ばわりする程度の無知蒙昧低能で脳硬直オヤジが、次期を狙ってフリーになるのかと思ったら結局入閣したのもダラシナイ。
なにも石破に期待するほどボケたわけではなく、入閣を受け入れた際の石破の発言がそれ以前の高市早苗の発言に重なって危険を感じたのだ。
結論を先に言っておけば、「党や国家から命令されたら、逆らうことなく人殺しまでやるのか?」という問題である。
若い諸君は知らないだろうが、ヒットラーの命令でユダヤ人を大量虐殺したアイヒマンという家来が裁判にかけられた際に、「自分はヒットラーの命令に従ったまでだ」と居直った問題である。
アイヒマンは死刑になったが、国家や党の命令が至上なのか個人の倫理と良心を貫くべきかということである。
安倍の暴走に同調して内閣を支えていた自民党内で、非戦の立場から一貫して安倍路線に反対していた党員(国会議員)がいた(名前を失念したので誰か教えて!)。
それに対して自民党政調会長(?)だった高市が、《パフォーマンスに過ぎない。党の路線に従えないのなら出ていけばいい。》というような言い草をしていた。
石破もグズグズした挙句、《首相がお決めになったのだから従うだけ。》と言っていた。
共通するのは党の決定には個人の良心・意向を押し殺してまでも従わなければならない、という発想。
重さと緊急性の差異はあるものの、アイヒマンが提起した問題に通底している。
戦争につながる危機を感じた自民党員が、個人としての良心を貫こうとしたら、日本のヒットラー達(安倍・高市・石破)に反対する勇気を堅持せざるをえまい。
安倍達が殺したいほど憎んでいるのはユダヤ人ではなく、南北朝鮮人や中国人なのだろう。
安倍個人からすれば、祖父の岸信介の対中国・朝鮮人差別意識を引き継いだものと見える。
こんな危険な首相や内閣や党を支持している日本人も恥ずかしいかぎりの民族・国民なのだが、アベノミクスとか言われて景気さえ良くなれば平和憲法も良心も売ってもいいというご時世だから呆れるほかない。
戦時にはオキナワを犠牲にし、原発ではフクシマを犠牲にしつつ、自身は安楽な生活を追求するばかりの日本人の自覚の無さはひたすら恥ずかしい!
そんな日本の政権を担当する自民党内で異を唱えた議員がいたのを知って、とても救われた気がしたのは理解してもらえることと思う。
他人事(ひとごと)ではなく、東京学芸大学パワハラアカハラ・セクハラが横行していたのを村松・大竹前執行部が見逃していたのを告発した私自身の体験も想起しつつ、組織(党・国家)の論理に対して個人の倫理でもって対抗することの大切さを訴えたい。

@ 書き出しに「明日は」とあるけれど、今日から見れば「昨日」になってしまった。
つまりは書き始めたのは22日で、書いている今は24日ということ。
実はもっと長くなるので、いったんここで切ったまで、続きはまた改めて。
昨日は桐原書店の編集会議は中仕切りのものなので、現代文分野のトップの亀井秀雄さんが北海道から駆けつけてくれた。
病後の印象を拭ってお元気そうな素振りそのままに、活発に議論に参加してくれたのでいつもと異なる緊張感で進んだ。
何よりも効果的だったのは、議論が壁に当たったまま進まなくなるとそのつどタイムリーな意見を出したくれたので、ふだんならペンディングになるか多数決になるか(良くない決め方なのは分かっている)というところを全員一致で決めることができたことだった。
鼎の重さが効いたということかな。
最初に桐原の国語教科書の採用校が増加した、という嬉しい報告があってホッとした。
ピアソンからの独立が一番効果的だったと思うけれど、皆さんが採択してくれた上で意見や要望を寄せながら桐原本をレベルアップしてくれれば幸いです。