嶋中道則さんの最終講義  教員の度量  国語教室の将来は?

イヤー、スゴかった! 意想外!
去年、小町谷先生のお通夜でお会いした際には、嶋中さんがあまりに元気が無いような印象で、「医者に酒を禁じられてるので・・・」とつぶやいていた姿は可哀想でカワイソーで身につまされる思いだったンだけど。
舌癌を克服し、その回復ぶりは医者達を驚かす早さだったとか。
その過程の説明ぶりも下ネタにかすりながら(ボクなら下品な次元にまで進むところだけど)、見事に笑いを取りつつ授業に復帰する執念でリハビリに励んだという段は感動モノ。
「俳枕と軍記」という表題のレジュメもタップリしたもので、それ自体価値あるものだと察せられたが、それをかいつまみながら話を勧めていく手際もよくて、嶋中さんてこんなに授業が上手かったのだと初めて知った。
お隣に実に久々にお会いしたカク(中村格)先生がいらして小声で賛意を示しておられたので、謡曲の専門家がこれほど感銘を露わにするのだからよほどレベルの高い内容に違いないと感じられた。
一般には充実した内容だと聴いている方が付いていけずに飽きられるものながら、嶋中さんの話術と回復への執念で聴き手を引っ張り続けたのは見事だった。
終了後に懇親会場まで同行した中デブ(河原信義、ちなみに当時は城田が大デブで付属にいる山根が小デブだった)から、去年の最終コウギと全然違うじゃないですかと言われ、懇親会の挨拶でも千田ヨーコー氏からも同じように皮肉られて返す言葉も無かった、否、嶋中さんのは講義でボクのは最初から「口演」だと銘打った通りだったと返したが、聞き終わった充実感からすると空しい反論だったかな。
嶋中さんの師匠に当たる尾形仂先生(ボクも高校時代に教育テレビでお馴染みの先生だった)が項目執筆した記事「俳枕の特色は実地体験に基づき」という箇所に対して慎重に疑問を呈する姿勢は、いかにも嶋中さんらしい節度が滲み出ていて人柄だナ、と感心したものだ。
というのは、ボクは最初の小林秀雄論で三好行雄越智治雄という両先生が関わった共同研究を引用しながら「愚論」呼ばわりして、周囲から絶賛と顰蹙の両方を受けた無礼なガキだったからだ。
そもそも歌枕が実体通りではない虚構の空間を共有したものだという知識から逃れられないボクからすれば、俳枕も同様だと考えて尾形先生の記述でも批判して訂正する方向へ進むべきだと思うけれど、嶋中さんの態度は全く違うので「大人」を感じたものだ。
この「大人」はオトナでもあり、タイジンでもあり嶋中さんは及び難いタイジンだといつも敬していた(もちろんタイ国の人ではない)。
24歳で学大の専任講師となった秀才で、それから定年まで勤め上げたのだから学内のことは何でも知っていたし、その上、専門的な知識でも国語教員の中でずば抜けているのを時々感じる場面に出くわしたものだ。
去年まで助手としてガンバッテくれたメイさん(神村和美)が学生時代、ボクが嶋中さんをトトロと名付けて「メイ、嶋中先生の研究室に行って、先生の腹の上で飛び跳ねてこい!」と言っていたのが耳に入ったらしく、周囲の学生に「セキヤさんは私のことをトトロと呼ぶンですヨ」とボヤイていたと伝わってきたけれど、嶋中さんはトトロのように茫洋としながら太っ腹(包容力満杯)を抱えて笑っていたのに違いない。
在職中ずっと心配していたその太っ腹(脂肪満載)も、病気のお蔭かフツーのオナカに見えたから、これからは心配の必要もなくますます元気になりそうで嬉しい。
講義の最後で、「今日は上手く話せるか心配したが、聴衆が素晴らしかったので成功した。授業は語り手と聴き手の双方の力で造るものだから。」というようなことを付されたが、これは大切なことなので教育に携わる人は忘れないで欲しい。
どんなに内実のある話をしようが、聴き手の気持がバラバラだと授業としては失敗という結果になる。
ボクは「気」という言葉で学生に言うのだが、「気」が散っていると授業全体がツマラナクなるから、座る位置もできるだけ集中するように! と指導する。
広すぎる教室を当てられたら、後半分には座らないように指示することも大事。
講義の部屋に行ったら、あまりに小さいので部屋の選択を誤ったナと感じたけれど(あるいは嶋中さん独特のテレで小教室で十分と言ったのか)、狭い空間を選ぶところまで計算したとすれば、嶋中さんのシタタカさには敬意を表する外ない、参りました!
しかし終わって数々の花束を贈られている姿はチットモ羨ましくなく、去年一つももらえぬながらゼミの仲間と一緒に呑み尽くすには半年以上かかった酒類(種々40本くらいかな)を贈られたボクの方が、その点だけは大成功だったと思えた。
終了後にワッシー(鷲山元学長)の姿を見つけたので、やはり細かく気配りのできる・かつ付き合いのイイ人だと感じながら昔の調子で話していたら、後で大井田さんが「声が聞こえたから」と話しかけて来てくれた。
時々「アンタの声が聞こえたから」と言われて話しかけられるのだけれど、ボクの声はそんなに大きいのかな?
それとも何処にいても恥知らず(傍若無人)に話しているからかな?
師匠たちを愚論呼ばわりしたり、在職中にセクハラ爺(中山昌久)ともども松竹執行部(村松泰子・大竹美登利)の無能ぶりを批判したのは書く行為だったけど、話す方も質量共にデカ高イのかも。

 懇親会もまた盛況で、最近逃げられてばかりいた内田先生も、上述のカク先生(もちろんイタル先生なのだが通称はカクさん)も、呑めないのに付き合いの良いケン爺(宮腰先生)も記念すべき宴会では不可欠の指サックさん(山田先生)も参加され、この上ない幸福感!
この方たちに続いて名誉教授として紹介されながら挨拶させてもらったけど、初めて誇らしい気持になれたネ。
卒業生たちの挨拶で一番印象に残ったのは、久しぶりに学大に来て研究室に寄ったらソファが無くなっていて違和感を覚えたという感想が多かったこと。
ボクが20年以上すごした建物も改築が終り、別の空間のように見栄えがして「病院みたい」という声が印象に残っているけれど、キレイになることが全てプラスだと受け止めたらあまりに一面的で視野が狭すぎると思う。
「病院」というイメージが的確に表現しているように、バイ菌を排除する点ではプラスでも微生物全部がマイナスの働きをするわけではない。
中には多くの有意義あるいは人間にとって不可欠の菌も共存していたわけだから、それらを無思慮に排除するばかりだと有意味・不可欠な要素まで滅却させる愚行を犯すことになるだろう。
廊下からソファがなくなるとスッキリすると感じたり、そこに陣取っていた目障りな学生を目にしなくて済むようになると思う教員もいるだろうけれど、大学は教員だけのためにあるわけではなく、他に学生や事務方があってこそ存在できるものであることが解っていない教員がいることも残念な事実。
(無視されがちではあるが、事務方がもっとも苦労しているのであって、手間のかかる教員(ボクもその1人)の面倒を見ながら我がままなガキ(学生)の相手をしなければならないのだから、そのストレスはハンパナイものだろう。)
生物はアイマイな空間(環境)でこそ生き生きとするので、学生時代にソファで息つぎ・息抜きをしていた卒業生たちがソファが無くなったことに敏感に反応した感覚・感性は信頼できる。
吾ながらまるで学生を菌類のように見なしているかのような物言いをいているようであるが、一部の教員にとっては学生は付き合いたくない(いない方が好都合な)存在であるに違いない。
言うまでもなく教員には向いてない人たちであり、教育ということを理解していないし教育実践もできない人であるが、その類の教員はどこの現場にもいるのでタイヘンなのである。
一番見やすいのは、学祭で音だしをする学生を目の敵(かたき)にする教員(その代表例で以前、岩田重則という名を出したが、その後も学生・卒業生から共感を寄せられた)である。
岩田氏のことは知らず、一般に結婚・子育ての経験の無い教員が自分が相対化される契機を持てぬままジコチュウ(自己中心)に陥りがちではあるものの、逆にそうした経験を持たないのに学生(若者)を許容しつつ教育のできる教員に出遭って感銘を受けることもある。
バイ菌ではなく清潔なイメージで他の例を出せば、「病院」のイメージは川の護岸工事につながるだろう。
川端にある芦原のような環境でこそ微生物・虫類・魚類・鳥類が生存し続けることができるのに、人間の都合だけで護岸工事をして気持良がっているばかりで、多くの生き物を殺しているのに気付かない鈍重さは情けない。
護岸をコンクリートで整備すれば、川と岸がスッキリと二分されて気持良いと感じる向きもいるであろうが、何事でも単純な二分法こそが危険極まりないのであって(例えば敵味方の二分法)、あいまいな空間(芦原)でこそ生き物が生存できるのだ。
懇親会での卒業生の思い出話によると、毎春図書館裏で嶋中先生と共に花見を楽しんだそうであるが、近代文学のゼミは揃ってサッカー場の土手でやっているので、それぞれゼミの伝統が続いているのだという感慨に耽ったものである。
しかしキャンパスが「病院」化するとともに、そうした伝統も断ち切られていくことになる危惧も持たざるをえない(キャンパスで呑むなとか)。
教員養成の大学としての伝統ある学大は、ボクが赴任した頃は学生の車通学を許容する度量の広さを示していたくらいだったけれど、だんだんと学生に対する禁止事項を増やしていく点では他大学と差異(メリット)の無いタダの大学になりつつある。
少子化に伴って学生の質的定価は免れないものの、教員のレベルまで下がって行くようで心配この上ない。
教員のレベルが低いと研究室に入るハードルが上がるので(下心をそそらない学生は入室できなかったというセクハラ爺が好例)、ますます親密な教育から遠ざかることになる。
国語教室では他の教室より許容度が高くて学生の居場所もあり息抜きもできてはいたものの、同世代で太っ腹な嶋中さんのような人が退職したらどうなるのか、気がかり・心配が増すばかり。
嶋中さんという支柱を失った後の国語教員が、他の教室のように狭量な方向に暴走しないことを祈るばかり。