五味渕典嗣  小林秀雄  火野葦平  山城むつみ

ブログに記しておきたいことは、次から次へと出てくるのだけれど、書いてるヒマがないというのはいつものボヤキ。
昨日の「読む」欄は聴く方だったので、本来の「読む」方の報告を。
今何を読んでいるかということなんだけれど、三島論を書いている時は他のものを読んでいる余裕が無かったものの、稿了後に発見した「近代能楽集」論を読んだかというと・・・そうは進んでない。
既に三島に対する関心が薄らいだということでもないのだけれど、論文自体が単調で読み続けていられないのが主因かな(近々読んだところまでの感想を記さねば、とは思っている)。
書き終わる頃にすぐにでも読みたい論文を拝受したことも大きいようだ。
五味渕典嗣「友情の効用――小林秀雄火野葦平」がそれで、この2人の関係は『小林秀雄への試み――〈関係〉の飢えをめぐって』にまとめた論文を書いている時からスゴク気になっていたものだ。
2人の「友情」については自分でも論じておいたのだが、中国への侵略していた頃の「情」なので、その後(特に戦後)の関係が気になって仕方なかったところへ、やっと論じてくれる人が現れたのだから嬉しくて仕方ない。
それも以前、学会誌で批判的に書評を書いた低レベルの小林論者ではない実力ある人の論文だったので、三島論が仕上がってないのに一読してたくさん教えられて喜んだ(小林論者必読文献!)。
再読してから礼状を書こうと考えて読み返しているうちに、そこで紹介・引用されている論文・著書にも興味をそそられて次々に読み込んでいる最中。
もともと退職後の計画の一つに小林作品の再読も入っていたけれど、主たる目標だった安吾同然で1年間に1行も読んでない状態だった。
そこへ五味渕論が強く刺激してくれたので、興味が三島から小林(と葦平)へと移ってしまったしだい。
葦平の方は、幸い構クン(東京学芸大学連合大学院生)がヒグラシで取り上げてくれたので、その時だけは葦平作品に触れることができたし、小林の方も津久井クン(宇都宮大大学院修了生)が小林の芥川論を取り上げてくれたけれど、初期の小林については津久井クンに任せているので自分の関心とはズレていた。
話がドンドン外れて行きそうだけれど、小林論を読んでいたらこれも次々と読書が広がり、五味渕さんから山城むつみへ、山城さんから柄谷行人へと初読・再読しているところ。
柄谷の小林論は最初期のもので、やはり柄谷は初期のものが刺激に満ちていて面白い、と改めて感じた。
山城さんは気付いたら初めて読む(恥ずかしながら)感じで、思った以上にスゴイ批評家だと思っているところ。
デビューしたのは覚えていて、群像新人賞の評論部門では際立った人だという印象だったけれど、それだけにウカツには読めない(ジックリ読める時を待とう)と考えているうちに今どきになってしまった。
てなところで、最近の読みものが伝わった上に、五味渕さんへの礼状も書いた気持ににもなれたので擱筆

他にも滝口明祥さんの井伏論や関谷由美子さんの漱石論等々たくさんの貴重な著書をいただきながら、この数年は礼状らしいものを書けぬままで(少しでも読んでから、と思っているうちに機会を失してしまう繰り返し)心苦しいばかりなので、退職したらと考えていたもののそう簡単な身分ではなかったというわけで申し訳なく思っております。