田村景子の「近代能楽集」論

以前この欄に記した著書について『日本近代文学』第89集(2013・11)に書評が載っていて、相も変らぬ自分のウカツさに気付いた。
本屋で偶然見つけた本だったので、学会誌に書評が載っていることを知らなかったのは不勉強な証拠。
在職中は学会誌を受け取ってもザッと目次に目を通すくらいだったから、気付かなかったのも当然なほど「研究の現在」と無縁だったということで自慢にならない。
この89集には斎藤理生氏の「夫婦善哉」論が載っていて、それだけは読んだ形跡と感心した記憶はあるけれど、読んだのは退職後だと思う。
ボクが書いた細谷博さんの著書の紹介記事も載っているけれど、田村さんの著書が紹介ではなく書評欄に載っているのはバランス的に意外な印象だった。
細谷さんのものが紹介(1頁)なら田村さんのも当然紹介並みの達成でしかないのに、書評欄(3〜4頁)に入れた編集委員会の見識には疑問が残った。
それでも久保田裕子氏が遠慮がちながらもキチンとマイナス面を指摘しているので、委員会の手落ちはカヴァーされている感じ。
記憶するかぎり久保田氏は三島論で傾聴すべき見解を残している人だけあって、田村論の幼さを完璧に見抜きながらも傷付けないような書き方をしている。
細谷本の紹介欄でも書いたように、研究書など気軽に出すべきでないと考えているので、久保田氏のオトナの配慮は敬すべきではあるものの、配慮し過ぎるのも本人や地球のためにならないと考える。
ボクの評価は繰り返さないが、久保田氏の書評を読んで氏(と編集委員会)の評価と対照してもらいたい。
ボクの側に非があると説得されれば、田村氏も含めて3者に謝る用意はあるけれど。