安吾の研究会  龍之介がらみのテーマ?

いきなり安吾研究会から以下のようなメールが届いたので情報として流します。
近代文学合同研究会」の実体は不明ながら、逸物の大原祐治氏も発表するというのだから(小澤純氏とは国立駅で遭った記憶がある)問題無かろう。
そもそも大原さんは安吾研究会の運営委員なのだから、このような混乱を招くような案内はヘンだと思うけど。
「昭和十年代の『芥川龍之介』」という奇異を狙ったような表題には違和感があるし、龍之介には興味ないけど、テーマは安吾らしいから参加してみたい。
翌13日は昭和文学会だから前日の12日にもヒグラシゼミを入れなかったけど、大正解だった。

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近代文学合同研究会第15回シンポジウムのご案内
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近代文学合同研究会より、以下のシンポジウムのご案内をいただきました。
ニューズレター臨時増刊号としてお知らせし、情報共有をいたしたく存じます。

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近代文学合同研究会第15回シンポジウム
日時:二〇一五年十二月十二日(土)午後二時より
会場:慶応義塾大学三田キャンパス 南校舎五階四五二教室
http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html

テーマ:
昭和十年代の「芥川龍之介」―「文学のふるさと」を視座にして―

芥川龍之介」の使い方―方法論としての「文学のふるさと」 
大原 祐治

普及版全集「〔題未定〕」に見る芥川龍之介の晩年
小谷 瑛輔

昭和十年代の「芥川龍之介」と太宰治お伽草紙
小澤  純

ディスカッサント:副田 賢二
司会:服部 徹也

【シンポジウム主旨】
 昭和一六年に発表された坂口安吾の「文学のふるさと」では、そ
の「全然モラルのない作品」への評価と、「そこで突き放されて」
「プツンとちよん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透
明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでせうか」の一節の情緒
的感触が中心化され、そこに安吾の文学観の本質が見出される一方
で、このテクストが孕むねじれや過剰さには目が向けられてこなかっ
た。また、そこで引用された芥川龍之介の遺稿も必ずしも正確に再
現されたものではなく、その執筆時点で「解釈」されたものであっ
た。そこでの「芥川龍之介」は様々な「書き換え」を加えられたも
のであって、そのイメージの可変性・可塑性こそが、昭和十年代の
〈文学〉をめぐる問題を照らし出す手がかりになると考えられる。
 今回のシンポジウムでは、「文学のふるさと」に浮上した「芥川
龍之介」像を中心に、作家の固有領域を越えて連関する表現の位相
と同時代性の問題を考えたい。ただ、「文学のふるさと」のみに視
点を限定せず、そこに引用された芥川の遺稿やそれ以前のテクスト、
同時代の他の安吾テクスト、「お伽草紙」等の太宰治のテクスト
等の多様な視点から立体的に考察を展開、交錯させることを目指す。
芥川テクストについても、安吾の引用と実際のテクストとのずれを
検証しつつ、そこで展開された問題系を新たに対象化する。中でも、
今回新たな視点として、昭和四年刊行の『芥川龍之介全集』別冊及
び九年刊行の普及版全集第九巻が、安吾や太宰等の多くの文学者に
共有されることで生まれた読書空間という角度から検証を加え、葛
巻義敏との関係も含めて、芥川テクスト受容史の新たな側面を明ら
かにしたい。また、昭和十年代の安吾や太宰の小説テクストにおけ
る「昔話」の方法論やその表現的連関についても考えたい。芥川龍
之介は、そのテクストと同時に、作家像や文学性、視覚表象等の多
様な形で消費された存在であった。宮本顕治「敗北の文学」(『改
造』昭四・八)に代表されるように、自殺直後から文学的象徴性が
そこに投影され、そのイメージは記号的に広く流通したのだが、今
回は昭和十年代という、芥川の死から一旦「遅れ」た地点からその
イメージを見返すことで、従来論が捕捉し得なかった領域を対象化
することを目指すものである。3名のパネラーの視点は多様である
が、そこで昭和十年代の文学空間において消費された、現象として
の「芥川龍之介」のあり方を浮き彫りにしたい。

【発表要旨】 
●「芥川龍之介」の使い方―方法論としての「文学のふるさと
            大原 祐治
 坂口安吾の文学全般を体現するものと見なされることの多いエッ
セイ「文学のふるさと」(一九四一)だが、実際のところ、その内
容はあくまで創作の方法をめぐる具体的な提言である。そして、そ
の中核部分に配置されていたのが、芥川龍之介の遺稿であった。
 もっとも、安吾がこの遺稿に言及するのはこれが初めてのことで
はなく、「女占師の前にて」『吹雪物語』(ともに一九三八年)と
いった小説の中に、この遺稿への言及が見出される。そして、当該
遺稿を含む芥川龍之介とその文学的営為に対する評価は、「文学の
ふるさと」の場合とは微妙に異なっている。没後にその表象が一人
歩きし始めていた芥川の遺稿を積極的に〈利用〉することによって、
安吾は自らの文学観をどのようにして確立させたのか? 小説「紫
大納言」(初出一九三九、改稿版一九四一)の改稿に関する考察を
通して考えてみたい。

●普及版全集「〔題未定〕」に見る芥川龍之介の晩年
            小谷 瑛輔
 坂口安吾は「女占師の前にて」(昭和十三年)、「吹雪物語」
(昭和十三年)、「文学のふるさと」(昭和十六年)で繰り返し芥
川龍之介の遺稿に触れ、その芥川イメージから自己の文学観を語ろ
うと試みた。この芥川の遺稿自体については、これまで詳しく検討
されてはこなかったが、安吾の記憶するものとは異なる形で芥川晩
年の問題を伝えている。本発表では、この遺稿から読み取れる芥川
晩年の問題を検討することによって、それを“誤読”した安吾の問
題意識を浮き彫りにするための手がかりを示したい。

●昭和十年代の「芥川龍之介」と太宰治お伽草紙
            小澤  純
 坂口安吾による芥川への言及は、普及版芥川龍之介全集刊行と前
後して起こった芥川表象のインフレからは外れた時期のものだ。し
かしその遅れによって、「文学のふるさと」(昭和十六年)は同時
代の芥川受容にメスを入れたのではなかったか。一方、昭和十年に
設立された芥川賞をめぐってメディアに躍り出た太宰治は、渦中に
おいて芥川像を異化しつつ、その後も息長く芥川文学の読み換えを
試みた。本発表では、安吾を起点としつつ、芥川「教訓談」(大正
十二年)・「桃太郎」(大正十三年)等と太宰の『お伽草紙』(昭
和二十年)の比較を通して、昔話や説話を戦時下に語り直す意味に
ついて考察する。

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坂口安吾研究会運営委員会】
浅子逸男/大國眞希/大原祐治
桑原丈和/塚本飛鳥/時野谷ゆり/原卓史
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