「時が流れるお城が見える」

以前、ランボーのこの詩句が小林秀雄の訳だと言われているけれど、中原中也の間違い(というより小林が中也の了解の下でパクッた?)じゃないかと記した。
有能な中也研究者からも賛同を得ているが、この詩句を著書の表題にしていたのが中也好きだった評論家・秋山駿だ。
この本を自家でやっと探し出せたので「あとがき」を見たら、次のようにある。
《その後、白水社版の小林秀雄訳『地獄の季節』に、「季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える」とあるのを見出して、なるほど原形はこれだったのかと思ったが、全体の独創的な調子によって、やはりこれは中原中也の手製の言葉であると、私は受け取っている。》
秋山駿の直観に間違いなかろう。
小林にこんな砕けた言い回しができるはずもない、中也だ!