小池清治(日本語学者)

ボケ進行と共に蔵書の整理に取り掛かっていて、残りの生涯でも読みそうもない蔵書を若者に献呈しているところ。
先日ヒグラシゼミを機会に上げる本をロフトで探していたら、小池清治『日本語はいかにつくられたか?』(ちくまライブラリー)を見出し再読する気になって仕事場に持ち帰った。
その後もたくさん本を出した人だけど、この著書は群を抜いて素晴らしい!
殊にⅤ章の「近代文体の創造 夏目漱石」は未だに古びない面白さで、こんなこと書いてあったかな? と初めて読む印象の箇所も少なからず(こちらがボケてきたせいもあるかな)。
宇都宮大学在職中の10年間、先輩の同僚として研究・教育両面で刺激を受けてきた人で、漱石のみならず種々の作家や作品を近代文学専攻はだしで読む才気を具えている人の書いたものだからぜひ一読を勧めたい。
宇大時代には際立ったゼミを主催していて成果を出していたので、我が近代文学ゼミ(その後にヒグラシゼミと改称)も圧倒されていた印象。
ヒグラシゼミ宇大支部は今でも津久井秀一クンのガンバリで続けられているけれど、小池ゼミのその後は不明。
教育の方はともあれ、小池さんは小林とし子さんの分厚い「源氏物語」の修論を5回も読み返したと聞いた時には、審査のためとはいえよっぽど文学的関心が強い人なんだナと圧倒される思いだった。
前にも記したが東大の内閉的な国語国文学会は、毎年1回古典文学・近代文学・日本語学(と司会)の3人(4人)が共通したテーマでシンポジウムをやっているのだけれど、小池さんのように文学を論じる存在が皆無のようで、この分野の代表者が議論に入れない分シンポのレベルを下げてツマラナクしている。
「文体」のテーマでボクが「黒い雨」で発表した時も古典の代表の方と司会の藤井貞和さんとの3人は盛り上がれたが、日本語学が完全な文学オンチだったのでジャマなほどだった。
「研究者の文体」の時は文学の2人も低調だったけれど、日本語学代表がやはりオンチで議論が噛み合わずじまいで司会のオスギがカワイソーだった。
この時のことはブログに書いた通りで、4人揃って秋山虔(先般ご逝去なさって淋しいかぎり)を無視して「研究者の文体」を議論しようなんてハナから間違っているのが自覚できてないのだから、東大のシンポに進歩が無いのも当然。
小池清治のような人とこのようなシンポジウムできたらどんなに面白くて充実できるだろうと想像すると楽しい。
宇大の国語教育学会でやらないかな、良い企画だと思うけど。

小池さんの著書に戻るけど、言文一致の先駆として勝夢酔(海舟の父)の「夢酔独言」を上げているのは聞いたことがあるけど(小池さんの本で知ったのかな?)、岸田吟香「呉松(ウースン)日記」(正しくは「松」にさんずいが付く)が上げられているのは初耳で(ホントは前に読んでるのに)面白かった。
吟香は有名な画家・劉生の父であることは以前プロジェクト学習の授業の準備をしていた時に知ったので(薬の宣伝コピー文が見事だった)、ひときわ興味深かった。
これは手始めで専門的にも盛りだくさんのことを教えてもらえるから、漱石の章だけでもぜひ読んでもらいたい。
ただ所々で「語り手(内海文三)」という認識で記されている点は現在の把握とは異なるので、その点だけは要注意といったところ。
現在では三人称で語られる文三は主人公ではあっても、語り手ではありえないというのが一般的な捉え方だから。