近代能楽集」その2

@ 後半一気に載せようと思ったら上手く貼りつけられないので、中半分のみです。 

卒塔婆小町」 
 
 《さよですか。今度私の一門で舞踊劇をいたします。(紙を配る)これをどうぞ。……奥さんは百枚引受けて下さるといふお話でした。》(「綾の鼓」)
 右の「百」は単純に「たくさん」という意味にとどまるであろうが、岩吉の「百通」のラブレターや「百打ちおはつた」の「百」とまったく無縁とも言えない。数値が一致する以上、単なるノイズで終るわけもなく、「百」を絶対化する岩吉の心情を読み手(観客)の心中に浸透させる働きを果たしているであろう。
「百」という数の神話化を強化していると言い換えてもいいが、「綾の鼓」が「百」という数字にこだわっているのは、「卒塔婆小町」(昭27・1)を意識しているのは断るまでもない。しかし「卒塔婆小町」における「百」という数字の表れ方は、「綾の鼓」ほど単純ではなく、無理をしてまでも「百」にこだわっているようにも見える。
《詩人 いやね、今僕は妙なことを考へた。もし今、僕があなたとお別れしても、百年……さう、おそらく百年とはたたないうちに、又どこかで会ふやうな気がした。
 老婆 どこでお目にかかるでせう。お墓の中でせうか。多分、さうね。
 詩人 いや、今僕の頭に何かひらめいた。待つて下さい。(目をつぶる、又ひらく)こことおんなじだ。こことまるきりおんなじところで、もう一度あなたにめぐり逢ふ。
 老婆 ひろいお庭、ガス燈、ベンチ、恋人同志……
 詩人 何もかもこことおんなじなんだ。そのとき僕もあなたも、どんな風に変つてゐるか、それはわからん。 
 老婆 あたくしは年をとりますまい。
 詩人 年をとらないのは、僕のはうかもしれないよ。
 老婆 八十年さき……さぞやひらけてゐるでせうね。
 詩人 しかし変るのは人間ばつかりだらう。八十年たつても菊の花は、やつぱり菊の花だらう。》
 二人のやり取りのうちに「百年」が「八十年」にスライドしてしまうのは不可解に見える。その直後でも幕切れ近くでも、詩人は「百年」と言い換えているのだから、右の引用箇所でも「百年」であった方がテクストとしては安定する。先に「八十年」と言うのが老婆であり、詩人は思わずそれに「八十年」と応じているだけであって、その後はもともとの自分の発想である「百年」に戻ったと見られる。とすれば老婆はなぜ「八十年」と言い換えたのであろうか。鹿鳴館の場面に転換される直前に次のような会話がある。
《詩人 わかつたから昔の話をしてくれ。八十年、ひよつとすると九十年かな、(指で数へてみて)いや八十年前の話をしてくれ。
 老婆 八十年前……私は二十だ。そのころだつたよ、参謀本部にゐた深草少将が、私のところへ通つて来たのは。》
 詩人は老婆が美の絶頂であったと思われる、「八十年前」を語らせようとしているわけである。やがて二人は外見はそのままで「八十年前」の、すなわち鹿鳴館時代の深草少将と小町の意識に転じて先のやり取りになるのであるから、深草少将になった詩人の意識の中で「百夜通ひ」の「百」が神話化されたまま「百年」につながったと思われる。「九十九歳」だという老婆の年齢も、詩人に「百」を連想させる働きをしているであろう。《奇蹟なんてこの世のなかにあるもんですか。奇蹟なんて、……第一、俗悪だわ。》と語る老婆は、全てを見通している観点から、冷静に「二十」の頃から「八十年」経った「百年後」に詩人に会ったという計算をしているわけであろう。「百」という完結感のある数を神話化して、「百」に固着したままで抜けられない詩人の姿は、そのまま「綾の鼓」の岩吉を想起させずにはおかない。
《詩人 僕は今すぐに死んでもいい。一生のうちにそんな折は、めつたにあるものぢやないだらうから、もしあれば、今夜にきまつてゐる。
 老婆 つまらないことをお仰言いますな。
 詩人 いや、今夜にきまつてゐる。もし今夜を他の女たちとすごしたやうに、うかうかすごしてしまつたら、ああ、考へただけでぞつとする。
 老婆 人間は死ぬために生きてるのぢやございません。
 詩人 誰にもそんなことはわからない、生きるために死ぬのかもしれず……
 老婆 まあ、俗悪だわ! 俗悪だわ!》
 「百夜通ひ」の深草少将になりきって〈陶酔〉している詩人の、「生きるために死ぬ」という発想は、〈自己否定による自己証明〉であって、岩吉の言動と大同小異である。老婆がそれを「俗悪」だとくり返すのは、彼女がすでに〈陶酔〉の虚妄を知り尽くしているからである。冒頭近くで老婆から《しかし寿命はもう永くない。死相が出てゐるよ。》と言われた詩人が、「(おどろかず)」に「おばあさんは前身は人相見かい。」と応じるのも、「生きるために死ぬ」ことに酔っているからである。深草の少将として死ぬことになる詩人とは異なるものの、公園に集う恋人たちも老婆からすれば《男も女も目をつぶつてゐる。そら、あいつらは死人に見えやしないかい。》ということになる。恋人たちが「退屈」そうに鶏やネクタイや終電車など、〈日常〉的なものを話題にし始めた時の姿こそ、老婆からすれば〈陶酔〉から覚めて「生き返」って見えるのである。
《いいや、人間が生き返つた顔を、わたしは何度も見たからよく知つてゐる。ひどく退屈さうな顔をしてゐる。あれだよ、あの顔だよ、わたしの好きなのは。……昔、私の若かつた時分、何かぽう―つとすることがなければ、自分が生きてると感じなかつたもんだ。われを忘れてゐるときだけ、生きてるやうな気がしたんだ。そのうち、そのまちがひに気がついた。(略)今から考へりやあ、私は死んでゐたんだ、さういふとき。……悪い酒ほど、酔ひが早い。酔ひのなかで、甘つたるい気持のなかで、涙のなかで、私は死んでゐたんだ。……それ以来、私は酔はないことにした。これが私の長寿の秘訣さ。》
 「生きるために死ぬ」などという「酔ひ」から免れて、〈日常性〉に復帰することこそが「生きる」ことだという価値の転倒が主張されているわけである。老婆の言うところが説得的なのは、若い頃に「悪い酒」に酔った経験を踏まえているからであろう。「若かつた時分」とは、(テクスト外の小町伝説を措いて読めば)鹿鳴館の頃ということになる。
《(声はなはだ若し)噴水の音がきこえる、噴水はみえない。まあかうしてきいてゐると、雨がむかうをとほりすぎてゆくやうだ。》
《……まあ、この庭の樹の匂ひ、暗くて、甘い澱んだ匂ひ……》
 若返った声で独り言をつぶやいている老婆の意識は小町のもので、一時的に「酔ひ」の中にいると見てよかろう。「八十年前」を深草少将と共有した「酔ひ」の果て、少将を喪って生き残った老婆は、すでに「酔ひ」が去った後の「退屈」を知り尽くしている。最初に登場するところから早くも「酩酊」している詩人に対し、「酔はない」ことに決めていた老婆の考え方が正反対なのは当然である。死に急ぐ詩人と、長命の生を得た老婆との対比は、言うまでもなく「綾の鼓」にも通じる〈非日常〉と〈日常〉との対立に他ならない。しかし岩吉と詩人が似ているほど、華子と老婆が似ているわけではない。
《華子 ああ、早く鳴らして頂戴。あたくしの耳は待ちこがれてゐるんです。
 亡霊 六十六、六十七、……ひよつとすると、鼓がきこえるのは、儂の耳だけなのかしらん。
 華子 (絶望して。傍白)ああ、この人もこの世の男とおんなじだ。
 亡霊 (絶望して。傍白)誰が証拠立てる、あの人の耳にきこえてゐると。 
 (華子と亡霊の台詞・略)
 華子 はやくきこえるように! 諦めないで! はやくあたくしの耳に届くやうに! (窓から手をさしのべる)諦めないで!
 亡霊 (略)……九十八、九十九、……さやうなら、百打ちおはつた、……さやうなら。
   (――亡霊、消える。鼓鳴りやむ)
   (――上手の部屋に華子茫然と立つてゐる。あはただしく扉を排して戸山登場)
 戸山 奥さん!(略)どうしたんです。(体をゆすぶる)しつかりして下さい。 
 華子 (夢うつつに)あたくしにもきこえたのに、あと一つ打ちさへすれば。》
 二回目のやり取りが二人共に「(絶望して)」いる点に留意すべきであろう。華子が「(窓から手をさしのべ)」てまで「諦めないで!」と叫んでいる必死さは、「本当の恋」の可能性に未練を残している「証拠」であろう。だからこそ亡霊が消えてしまうと「茫然」としてしまうし、最後の台詞も「(夢うつつ)」なのである。「あと一つ打ちさへすれば」は前述のとおり岩吉に対する批判でもあるが、「絶望」しつつも「諦め」きれない華子の切実な願いでもあったわけである。
卒塔婆小町」の老婆には、華子のような秘められた願望は無いようである。
《(詩人は息絶えて斃る。黒幕閉ざさる。老婆、ベンチに腰かけてうつむきゐる。やがて所在なげに吸殻をひろひはじむ。(略))》
 現在の時空に戻って「うつむいてゐる」老婆の心中は測りがたいが、深読みは禁物であろう。《典拠の小町には、結末に救済が用意されているが、翻案の老婆には救いがなく、業の継承が暗示される》⑦という見方があるが、典拠に引きずられ過ぎた解釈と思われる。「救い」が無いというほど老婆が落ち込んでいるとも思えないし、「酔ひ」を拒絶して「長寿」を選んだ老婆は、改めてモク拾いをしながら次の深草の少将が現れるのを待つのみである。
「おまへに色気を? 笑はせるない。」と言う巡査に向かって、「(憤然として)何がをかしいんだよ。ありがちのことですよ。」と返す老婆には小町としてのプライドがあり、鹿鳴館におけるような〈陶酔〉の記憶がある。一時的な果かない〈陶酔〉ではあろうが、充たされた思いを得ていたのは確認したとおりである。

 「道成寺

 「綾の鼓」と「卒塔婆小町」の類似と差異を確認したわけであるが、「弱法師」はこの二作品ではなく「道成寺」(昭32・1)に似ている。二項対立が二作品ほど前景化されていない点においてである。俊徳の自己閉塞が級子によって解かれるように、「道成寺」の清子の硬直した思い込みがほどけて開放(解放)されて行くストーリーだからである。相違点を上げれば、級子のような存在が明確には現れないところである。「主人」が級子の位置に相当するように見えるが、彼は〈日常性〉の側を代表するだけで清子の〈非日常性〉を解く作用をするわけではない。清子は他者からの影響とは関係なく、己の自縄自縛を脱していくだけである。
 結論を先に述べたので後は簡略に済ませることができるように思われるものの、そうたやすくには行かない。巨大な箪笥に閉じこもってしまった清子が硫酸を浴びて醜女に変身することなく、無事に外に出てきて〈現実〉世界で生き抜こうという姿勢で立ち去って行く基本線だけ見れば、確かに俊徳の女性版と読むことができよう。しかし俊徳の思い込みに当たるものとして、清子は何を抱え込んでいるのか、なぜ箪笥の中に閉じこもろうとしたのか、なぜ硫酸を己の顔にかけようとしたのか、と問うた時に簡単に答えられるものではではない。そもそも清子自身も、なぜ安が自分を捨てて十歳も年上の桜山夫人に奔ったのか、という難題を解けずに迷走しているのである。
《清子 あの人はこの私から逃げたかつたのにちがひないわ。(二人沈黙)……ねえ、どうしてでせう。この私から、こんな可愛らしいきれいな顔から。……あの人は自分の美しさだけで、美しさといふものに飽いてゐたのかもしれないわね。
 主人 贅沢なお嘆きですね。(略)
 清子 でもあの人だけは私の若さと、私の美しい顔から逃げ出したんです。たつた二つの私の宝を、あの人は足蹴にかけたんです。》
 もちろん安自身の言葉は残されていないから、実際のところは誰にも分からない。安も美しかったようではあるが、他ならぬ自分の「美しい顔」が安には重荷だったと清子は解釈してみせる。清子には己の「美しい顔」に対する過剰な思い入れがあるのは否定すべくもなく、それが安にはプレッシャーだったという可能性も十分考えられる。いずれにしろ問題は清子の考え方である。
《今では私のたつた一つの夢、たつた一つの空想はかうなんです。ともするとあの人は、私が二目と見られない醜い怖ろしい顔に変貌すれば、そんな私をなら愛してくれたかもしれないと。》
《不満なんて、そんな小さな言葉。私はそんな世界には住んではゐません。あの人と私とが末永く愛し合ふためには、何か一つ歯車が足りなかつたんです、その機械が滑らかに動くためには。私はその足りない歯車を見つけだしたの。その歯車こそ私の醜く変つてしまつた顔ですの。》
 「何か一つ」足りないと言われると、「綾の鼓」の「あと一つ打ちさへすれば」が想起されるであろう。清子の少し前の台詞「……よくごらんなさい。私は老けてはゐなくて?」も「卒塔婆小町」を思わせるので、『近代能楽集』全篇を視野に置いた間テクスト性という課題も浮かび上がってはくるものの、ここでは先を急ぎたい。華子に揃えて言うわけではないものの、清子は己の「美しさ」という完璧さに閉じている状態を打破しなければ、埒が開かないと思い込んでいるわけである。その自己完結を溶かすために硫酸を顔にかけるという考え方自体は異常ではあるが、清子のアパートの管理人が言うように《恋人が殺されて間もないし、気性のはげしい娘ですから、何をやり出すかわかりませんや》という精神状態なのである。
 清子の自己閉塞した考え方がほどけるのは、安が桜山夫人と一緒に殺された箪笥の中である。
《主人 硫酸を浴びる勇気が、その瀬戸際になつてなくなつた。さうだね?
 清子 いいえ。我に返つて、また小瓶の蓋をしめたの。勇気がなくなつたからではないわ。そのとき私にはわかつたの。あんな怖ろしい悲しみも、嫉妬も、怒りも、悩みも、苦しみも、それだけでは人間の顔を変へることはできないんだつて。私の顔はどうあらうと私の顔なんだつて。
 主人 ごらん、自然と戦つて、勝つことなんかできやしないのだ。
 清子 いいえ、負けたのぢやありません。私は自然と和解したんです。
 主人 都合のいい口実ですな。
 清子 和解したんです。(略)……今は春なのね。はじめて気がついたわ。永いこと私には季節がなかつた。あの人がこの箪笥に入つてから。(あたりの香をかぐやうに)今は春のさかりなのね。》
 「都合のいい口実」にも聞こえるであろうが、きっかけは何にしろ清子が「我に返つ」たという自覚が大事である。醜女に変貌すれば安が戻ってくるという思い込みから吹っ切れたのである。その時初めて清子は四季のある〈外〉の世界の存在に気付く。安が柩や墓にも譬えられる箪笥に閉じこもったように、自己の〈生〉を思い込みという墓の中に閉塞させていた状態から解放されたのである。右のやり取りでキーワードになっている「自然」には、先行する会話がある。
《清子 でも私の夢が叶へられたら……
 主人 まさか彼氏が生き返りもしますまい。
 清子 いいえ、生き返るかもしれませんわ。
 主人 無いものねだりが高じた末に、あんたは怖ろしいことを思ひついた。あんたは自然を認めまいとしてゐるんだ。
 清子 (略)その通り。私の敵。あの人と私の恋の仇は、桜山夫人ではなかつたのよ。それは、……さうだわ、自然といふもの、この私の美しい顔、私たちを受け入れてゐた森のざわめき、姿のいい松、雨のあとの潤んだ青空、……さうだわ、あるがままのものみんなが私たちの恋の敵だつたのね。それであの人は私を置いて、衣裳箪笥の中へ逃げたんだわ。あのニスで塗り込めた世界、窓のない世界、電燈のあかりしかささない世界へ。》
 清子は死んだ安が生き返るという「夢」を、切実に信じていたからこそ箪笥の中で硫酸を浴びようとしたのである。死者が蘇るはずはないと主人が言う「自然」と、清子の言う「自然」には多少のズレがある。安と自分を取り巻いていた「あるがままの」世界が清子の「自然」であり、生きた「自然」から逃れるために安は箪笥に閉じこもったと清子は解釈しているのである。実際の安がそう思ったかどうかを問うても意味はない、そういう考えに囚われていた清子が反転して、「自然」を「受け入れ」たことが重要なのである。〈死〉の世界に閉じた安に執着することから解放されて、「自然」の世界における〈生〉を貫くことにした清子の強さである。《誰がこのさき私を傷つけることができるでせう。》という清子は強がりを言っているのではない。安のように〈死〉に閉じることを拒絶し、〈生〉を選択して「風のごとく」去って行く清子の最後の台詞は、決意と自信に満ちている。
《でももう何が起らうと、決して私の顔を変へることはできません。》