その4

「班女」

菊が次郎に向かって「待つといふことはつらいことでございますよ。」と語るので、その連想だけで次に「班女」(昭30・1)を取り上げたい。この作品を喜劇として読む斬新な論にも出会ったものの、⑧「邯鄲」と同列の喜劇とは思えない。もちろん一人の男を駅で待ち続ける「狂女」花子も、彼女を「擒にする」ことに夢中で常軌を逸した実子も、一度は捨てた花子を思い出して探し続ける吉雄も、一般常識からすれば喜劇的な存在ではある。しかし人間の言動は見方しだいでは喜劇的でもあると言えるので、次郎を笑うようにはこの三者を笑うことはできない。次郎とは異なり、三者三様の真剣さが伝わってくるので素直には笑えない。笑えない喜劇とは言語矛盾であろう。
「悲劇」だとする傑出した論もある。
《この劇の結末は女二人の生活再開のハッピー・エンドであるよりは、むろん、花子が吉雄を拒否する悲劇であることのほうに重点がある。幕切れの台詞である実子の「すばらしい人生!」という言葉は、ハッピー・エンドそのものに対するアイロニーであり、逆に吉雄を拒否した劇の色合いをいっそう濃くしている。》(青海健『三島由紀夫の帰還』平12・1))
「ハッピー・エンドそのものに対するアイロニー」とは言い得て妙で、アイロニーに満ちた三島由紀夫作品の特徴を捉えているが、アイロニーを感じさせるのだから喜劇だとする向きがいると議論が元に戻るほかない。惜しまれつつ早逝したこの論者は、悲劇か喜劇かという二者択一に囚われぬ、別の観点から「班女」を見据えて我々を驚かす。
《この劇の主題は、簡単に言えば、不在=観念としての吉雄が現実存在としての吉雄に勝った、ということ、存在よりも不在=観念のほうがはるかに「待つ」に値するのだ、という美学である。この構図は『サド侯爵夫人』のそれとほとんど同じであると言ってよい。『サド侯爵夫人』の真の主人公が不在のサド侯爵その人であるなら、『班女』の真の主人公は待ち望まれる存在としての不在の吉雄である。(略)実在の吉雄よりも不在の吉雄のほうがはるかに存在感に満ちあふれている。つまり、より実在的である、というアイロニー、すなわち観念自体が逆に実在と化する劇。》(傍点原文)
「サド侯爵夫人」が三島戯曲の最高峰だと感じていながら、「班女」がその原型だとは指摘されるまで気付かなかった。己のうかつさを恥じるばかりではあるが、全篇が五人の女によって語られ続けるサド侯爵その人ほど、吉雄は二人の女の語りの中で肉付けされてはいない。サド侯爵のように種々な像が提示されるものの本人は最後まで舞台に現れないというのとは逆に、吉雄は具体的な像が語られるまでもなく二人の眼前に現れてしまう。主人公とは呼びにくいと言わざるをえないが、青海氏がくり返す「アイロニー」には共感できる。「観念が実在と化する」とは強すぎる言い方であろうが、花子が「実在」の吉雄を認められないのは確かである。登場人物たちは別の言い方をしているものの、言わんとするところは青海氏の把握に重なる。
《吉雄 何を言ふんだ。忘れたのかい? 僕を。
 花子 いいえ、よく似てゐるわ。夢にまで見たお顔にそつくりだわ。でもちがふの。世界中の男の顔は死んでゐて、吉雄さんのお顔だけは生きてゐたの。あなたはちがふわ。あなたのお顔は死んでゐるんだもの。
 (略) 
 花子 見てゐるのよ。あなたよりもつとしつかり見てゐるのよ。(実子に)実子さん、又私をだます気なのね。だましてむりやりに、旅へつれてゆくつもりなのね。こんな知らない人を呼んできて、吉雄さんなんて言はせたのね。待つことを、きのふも、けふも、あしたも、同じやうに待つことを、私に諦めさせようといふつもりなのね。……私は諦めないわ。もつと待つわ。もつともつと待つ力が私に残つてゐるわ。私は生きてゐるわ。死んだ人の顔はすぐわかるの。》
 〈現実〉の吉雄という対象を排除した上で、「待つ」ことを純化して生きている花子の姿は、「近代能楽集」にあって目新しいものではない。例えば「綾の鼓」の岩吉を想起してみれば、花子ならぬ華子を美化しすぎて〈現実〉の華子を認めることができずに、己を自死まにで追い込んでしまった岩吉の自己閉塞的な在り方に通じている。また、物語の必然に任せたとはいえ、相手が九十九歳の老婆だという〈現実〉から目をそむけ、妙齢の小町との恋に〈陶酔〉して死を受け容れて物語を完結させた「卒塔婆小町」の詩人も、花子と同類の存在といえよう。
 斃れていった岩吉や詩人と異なり、花子は「私は生きてゐるわ」と言い張ってはいるが、本人の自覚を超えて、死んだ二人と同様に「観念」の世界に自己閉塞していることに変わりない。花子も、より多く実子も、その台詞はどこを引用しても、自分に閉じることをくり返し強調しているだけである。
《実子 私のねがつてゐるものは、あの人のねがつてゐるものと同じです。あの人は決して幸福をねがつたりはしてゐませんわ。
 吉雄 (不敵な微笑)それではもし仮りに僕が、またあの人を不幸にするためにここへ来たのだとしたら……。
 実子 あの人の不幸は美しくて、完全無欠です。誰もあの人の不幸に手出しをすることはできません。
(略)
 実子 (略)私を愛するなんて、男として許せないことですわ。……ですから私は、夢みてゐた生活をはじめたんです。私以外の何かを心から愛してゐる人を私の擒にすること。どう? 私の望みのない愛を、私に代つて、世にも美しい姿で生きてくれる人。その人の愛が報いられないあひだは、その人の心は私の心なの。》
 花子も実子も〈現実世界〉における「幸福」を願わずにいるということは、〈外〉の世界を捨てて〈内〉に閉じることを意味する。整序化することができないほど豊かな現実世界を捨てることは、外側から見ればこそ「不幸」に思えるものの、本人たちからすれば整然として「美しく」満たされた世界であることは否定しえない。「完全無欠」という実子の台詞は決して強弁ではなく、現実世界へのリンクを断ち切って自分たちだけで充足し、自己完結していることを表明しているのである。
 実子の言うとおり花子は一方的に「擒」にされているように見えるが、第二場で初登場した際の「厚化粧」の下には何が隠されているのか、いささか不気味ではある。第二場の花子に関わるト書きに注視すると、実子の言うことを「(きいてゐない)」がくり返されたり「(狂人の狡さもて)」ともあって、花子は必ずしも実子の言いなりになっているわけではなく、悪びれることもなく自己を通す法を身に付けているようにも見えてくる。実子に強要されるまでもなく、花子は「狂人の狡さ」を利用して、したたかに〈現実世界〉を拒絶しながら閉塞しているようでもある。

 「葵上」

 「葵上」(昭29・1)後半部のおどろおどろしさは舞台で観るのみならず、読むだけでも十分な迫力で感じられる。「ローエングリン」さながらヨットが「白鳥のやうに悠々と進んで来て」(ワーグナーをなぞらずにはいられない三島の面目躍如)、生霊の康子が光との過去を再現する展開も、また結末で現実の康子からの電話の声が響く中で葵が死んでいくという趣向も感心するばかりである。しかし光と看護婦との対話で構成されている前半はフロイディズムが滑稽なまでに俗流化されていて、二つの部分が木に竹を接ぐようで感興を殺いでいる。しいて前半部を読むとすれば、「大ブウルジョア」に見える康子の「性的抑圧」が高じて「リビドォの亡霊」となって葵を苦しめに来る、という位置づけになるであろうが、あまりに軽くて図式的にすぎ面白みに欠けている。
 《『近代能楽集』の内では最も原作に近く、重層的な寓意の無い素直な作。》⑨という評の通りであろうが、「葵上」を「情念の劇」とする山本健吉の卓論を紹介しつつ、これまでの本論の読み方を確認しておこう。
 《『卒塔婆小町』『葵上』など、すべて一人の登場人物のなかに、二重の状態、あるいは対応する二つの人格を設定して、成功している。
  たとえば『葵上』の登場人物は、実際は四人なのであるが、真の対立は、六条康子一人のなかに設定されている。(略)夢幻と現実、狂気と正気、過去と現在が、彼女の存在を通して、照し出されるのである。》(「詩劇への一つの道」、『近代文学鑑賞講座22 劇文学』        〈昭34・9〉所収)
 山本の言うとおり二項対立は康子自身の内部でもなされているが、光の存在あるいは彼が体現しているものを軽視すべきではあるまい。康子が「夢幻・狂気・過去」を生きることで自己閉塞しているとすれば、光は「現実・正気・現在」の側から康子に対処しているのである。「狂気」の康子が光と共にあった「過去」に執着しつつ、光の「現在」を崩壊させるという物語である。「狂気」という〈非日常〉の側が〈日常性〉に打ち克つという点では「班女」に似ているが、「葵上」における敗北は形の上では光にではなく葵の上に現れ、それも殺人であるところが強烈である。
 
 「狂気」とまで進んでいなくとも、〈非日常〉が〈日常性〉を抑えて暴走するタイプの作品としては先に上げた「憂国」や「英霊の声」(昭41・6)が上げられよう。この類の作品では〈日常性〉は抑えられたまま、ひたすら〈非日常〉的な論理が志向され支持されている。言い古された言葉でいえば〈自足的な歌〉というところであろうが、「歌」であるかぎり同調できなければ聞いていられないということになる。三島由紀夫に対する反発を生じさせている作品でもあるが、三島自身がこれらに登場する人物のようにドン・キホーテの道を選ぶことになる。⑩その時の三島由紀夫は、すでにセルヴァンテスにとどまることに堪えられなくなっていたに違いない。                                                                                               (了)
 注
(1) 谷原一人(関谷一郎)「『金閣寺』への私的試み」(『まんどれいく』昭46。『青銅』第三一集〈平13・3〉に再録)。『まんどれいく』は前橋高校同窓生の同人誌、『青銅』は東京学芸大学近代文学ゼミの機関誌。
(2) 磯田光一は本論の直後に引用した『殉教の美学』(昭39・11)で、出典を「太宰治について」と誤記している。
ちなみに三島が崇敬していた小林秀雄にも、私小説的文学観に囚われている正宗白鳥を相手どった論争文の中に、似たフレーズが見出せる。
《無論、ドストエフスキイは、「地下室の男」ではない。これを書いた人である。》(「思想と実生活」昭11・4。傍点原文)
  (3) 本誌の第二集に発表した拙稿「三島由紀夫小説の〈二重性〉――「殉教」・「孔雀」など」(平16・1)は読み方における〈二重性〉の問題であり、本論は物語内容における二項対立の問題なので論点が異なる。ちなみに「殉教」も「孔雀」も対立が解消されて終るパターンに入るであろう。
(4) 『シドク 漱石から太宰まで』(平8・12)所収の岡本綺堂論の初出題である「試読・岡本綺堂の作品――その自己実現の諸相」のとおり、上演とは無関係に戯曲を「試みに読む」ことの再現である。
  (5) 井久保茉優「三島由紀夫『弱法師』論」(『青銅』第四五集、平27・3)
 (6) 佐藤秀明「『弱法師』『卒塔婆小町』の〈詩〉」(『三島由紀夫の文学』平21・5)
  (7) 平敷尚子「三島由紀夫卒塔婆小町』」(『20世紀の戯曲Ⅱ 現代戯曲の展開』平14・7)
  (8) 赤星将史「三島由紀夫『班女』論――三者三様の喜劇の諸相」(『時の扉』第三一集、平26・7)『時の扉』の発行は東京学芸大学石井正己研究室。
  (9) 『三島由紀夫事典』(平12・11)の「葵上」の項目、執筆は堂本正樹。
  (10) 三島の自裁の意味については、注(1)の若書きを参照されたい。