書簡類の整理・処分  肥後ズイキ

死期を感じているわけじゃないけれど、このところ過去の手紙やハガキの整理・処分をしている。
自家で本探しをしているとあちこちから書簡類の入った箱が出てくるので、そのまま捨てるに忍びずチェックして取捨選択していると意外に時間がかかる。
驚くことに高校生の頃のも少なくないので、今日までの半世紀くらいの書簡類を整理していることになる。
若い時のものほど恥ずかしさが頻りなので、チョッと目を通して大方は捨てて行く。
年賀状も年ごとに整理処分しているのだけれど、半世紀分となるとなかなかの大量となるので捨てるよう心掛けている。
残すのは後でも笑えるものにしているが、宇都宮大学卒業生の乾クンが初の子供の誕生を報告した賀状が一番だった。
「やればできる」という励ましの言葉をヒネッたもので、「やったらできました」と記してあった。
宇大時代には肥後ズイキの土産品が研究室においてあり、民芸品の秘具が数種類入っているものだ。
ズイキの茎を乾燥させ、ペニス状の形に編み上げたものや指輪のリング状に編んだもので、ケースには確か「四十八手」という言葉が記されていたと思う。
鈍いヒトのために付しておくと、ズイキはイモの種類名だけれど音が「随喜」に通じるので48手に関連するのだネ。
部屋を訪れる学生には分け隔てなく見せていたけれど、乾クンはとりわけお気に入りだったようで、ボクが学大に赴任後の賀状にも「ズイキは無事ですか?」と記してあったこともあり笑えた。
残念ながら年ごとに1個1個と腐って行き、数年後のケースの中には全て跡形も無くなっていた。
実は定時制高校教員の頃に学校始まって以来、修学旅行先を九州にして連れて行ったのだけれど、熊本の水前寺公園の土産売り場で買ってきたのがこのズイキだった。
バスに戻って「ズイキを買ってきたゾ〜!」と大声で自慢したら、マジメな60代の植物好きな男性生徒が「ズイキなら私も欲しいのですが、先生どこで売ってますか?」と問われた時には言葉に窮したのを覚えている。
ボクが定時制教員になったのは26歳だったけど、60歳を超えた生徒も複数いて40代・50代の人も少なくなかった。
その人たちの賀状もけっこう残っていて、ほとんどが既に故人となっているのを懐かしみながらも一礼してから処分している。
若い生徒がSOSを発してきた手紙も交っていて亡くなったヒトもいるけれど、その種のものは何だか捨てがたいものだ。

@ 賀状の一言に「先生の賀状集を本にして下さい」というのが予想以上に多かったので驚いた(そんな本出さないでくれというのは極めて少数派)。
 実は卒業生との集いに簡単にまとめたものを配布しようとは考えていたものの、多忙過ぎて果たせなかった。
 告別式はお断わりすることに決めているけれど、生前最後の卒業生との集いにはお配りしたいと思っています。