「熱海殺人事件」論補遺  被爆者 ブス オカマ  (訂正版)

テクストに取り込まれている歌詞について、マチルダさんから以下のようなご教示をいただきました。
レコード大賞や朝ドラの主題歌、それに山田太一作詞など意外な事実を教えていただき感慨深いです。
ちなみにマチルダさんは、以前「観る」コーナーでおススメした鄭義信「焼肉ドラゴン」を劇場に観に行ったそうです(もう終演とのこと)。
アタサツもヤキドラも共に歴史に残る傑作だと思います。

ハチのムサシは死んだのさ/ 平田隆夫とセルスターズは1972年2月のリリース、、この年の日本レコード大賞の編曲賞を取っています。「耳を澄ましてごらん」(ご指摘の通り本田路津子の歌、作詞は山田太一)は1972年の朝の連続テレビ小説藍より青く」の主題歌なので、時期的に合っていると思います。1974年発表の「あたみ」を書いていたとき、つかこうへいはこれらの曲を耳にしていたと思います。

(ボクからの補遺)クリマン君の発表には《「被爆者」としての〈弱者〉の位相》(レジュメには「爆」が「曝」となってるけど「火」偏だよネ)とあったけど、討論では異論を述べておいた。
ハナ子 山田太郎です。
部長  チェッ、おもしろくねえなあ、山田太郎たあ、なんてざまだい。生まれは? ・・・いつまでフテてんだ!
刑事  広島です。
部長  くだらねえ。被爆者か。ちょっと書いてくれたまえ。

 というやりとりに対するクリマン君の読みだったわけだけれど、「弱者」という言葉で理解するとズレてしまうのではないか?
つか作品では一般に弱者に対する気遣いどころか、敢えて差別的に顕在化する向きがあって、アタサツが「ブス殺し」を執拗に強調しているのもその現れ。
クリマン君が言ったような、部長が弱者を犯人にするわけにはいかないという配慮をしているのではなく、反対に被爆者=被差別者の犯罪というありがちなパターンを敢えて「くだらねえ」と吐き捨てていると読むべきだ。
作家レベルで言えば、つかこうへいはオカマ(当時はHLBTの総称)に対する嫌悪感を必要以上に露わにしていて、「ヤツラに敬語のオなど付ける必要はねエ、カマでたくさんだ」と繰り返していてものだ。
いつも心に太陽を」はオカマの世界をからかった作品だと思うけど詳細は忘れてしまい、舞台冒頭で平田満風間杜夫(?)が裸姿(履いていたから安心)で上から落ちてくる巨石を避けながらビビッているのが可笑しく蘇ってくる。
つか自身で笑えたのは、ある舞台で使って評価していた若い男優(アマッチから名前を思い出させてもらったことがあったのに忘れた)がホモ関係のもつれから飛び降り自殺した際の告別式で、つかと美輪明宏が隣り合って座っていた時のツーショットだった。
美輪もつかが大のオカマ嫌いだと知っているらしく、2人が気まずそうに黙っていたのが笑えたのだ(テレビ・ニュースの画面で見たのだけれど、つかは美輪に呪い殺されたわけじゃないだろナ)。
つかこうへい(とハルキも)とイチロー関谷は同学年だと思うけど、皆が気を使って避ける言葉を敢えて言葉にするところが似ているという自覚はある。
アタサツを読んだ皆さんから、それについて突っ込まれることがなかったのは幸いだった(かな)。

(補記)
補遺に補記せざるをえない誤記をまたまたマチルダさんから指摘されてしまったので、訂正しておきます(マチルダさんは阿倍首相の表記ミスは、ボクが軽蔑を表すためわざと誤記したのだと解釈した人です)。
上記のHLBTは以前ブログでも記したようにLBGTが正しい表記ですが、その時にBはブスではない(Gはゲソ=男のブスではない)と「つか風」の言い方をしていたと思います。
また名前を思い出せなかった自殺した男優についても、マチルダさんが教えてくれました(以下のとおり)。
ちなみに沖雅也はビルから飛び降りる前に、より若いホモだちの口中に発射したという証言もあったと記憶しています。
オカマ嫌いなつかこうへいと美輪明宏が居心地悪そうに隣り合って座っていた告別式で、沖雅也をゲイ相手としていた(事務所の社長だったか)汚ねえオヤジが大泣きしていたのは見ちゃいられませんでした(テレビ画面)。

チルダ情報
《また先生が思い出せない俳優の名前は沖雅也ではないでしょうか。「太陽にほえろ」に出演していて人気俳優でした。遺書の文中の「涅槃で待つ」が当時週刊誌に大きく取り上げられました。また自殺したとき、つかが【蒲田行進曲】での彼の演技を評価しないことも原因の一つではないかといわれたりしたようです。(wikiペディアからの引用)》