松波太郎「ホモサピエンスの瞬間」が読めた!(?)

『LIFE』までは素直な作風だと思っていたボッキマンが「ホモサピエンス」ではイヤに手の込んだ書き方をしていて、それをいちいち読み解くのがメンドクセーので引いてしまった。
誰か読み方を教えてくれと悲鳴らしきグチを吐いてしまったけれど、一度通読してからあれこれ拾い読みしながら考えていたら、今朝やっとスッキリさせることができた感じになれた。
この書法じゃ芥川賞選考委員には読み解きがたくて(彼らはそんなヒマが無いだろう)受賞できなかった原因の1つは手の込んだ書き方にあったと思う。
実はこれこそが(文学的な)価値なんだと思うけど、ザンネンだった。
驚いたのは朝日新聞文芸時評担当の片山杜秀さんが、雑誌発表の際に取り上げていたのだネ。
この御仁、音楽評論家としては信頼できるのだけれど、なぜ文芸時評などやらせられたのか当初はカワイソーなような、バカバカしいような気がしていたものだ。
それでも蓮實重彦小森陽一などに比べれば、何とか文芸時評らしき体裁だけは保っていた印象だったけど、その一端が松波作品に注目したところに現れていると思う。
もっとも出てすぐの作品を分析・批評しなければならないのだから、読み(読解)に疑念を生じさせるものがあるのは已むをえないところだ。
片山氏は物語の背景に現代の日中関係を透かし読もうとしているが、話をあまりに拡げ過ぎ一般化し過ぎていると思った。
もっと個人の私的世界に立ち入った作品だというのが私の理解だけれど、それはいずれまとめてみたい。