イチローの○(グッド)と×(バッド)  藤原耕作

『昭和文学研究』最新号に、松本和也『昭和一〇年代の文学場を考える』の書評を載せたことは記したと思う。
その書評自体も『昭和文学研究』が刊行された後でブログに載せたと記憶している。
先日大学の後輩からの(この欄で紹介した『近代日本とフランス象徴主義』収録の寺山修司論のコピーを送った)礼状に、我が書評についての感想が付してあった。
《ご書評、拝読。衰えることのない、充実の筆力に敬服しています。》とあったので、少々意外ながら嬉しかった。
意外というのは、文章・文体にあまり注目・評価をしない研究者だと思っていたからで、言葉に対する彼の感性の鋭敏さに「感服」してしまった。
研究者の文体が無視軽視されるようになってしまった時代だからこそ、彼の文章を味わう能力に感心した次第。
5年ほど前だったか、東大国語国文学会で「研究者の文体」がテーマのシンポジウムが開催されたが、いつもながら(と察している)議論は低調だった。
古典文学・近代文学・日本語学から各1人の研究者と司会者の4人でなされるシンポなのだが、人材不足で毎回ツマラナイままで終わるようだ。
ボクが10年以上前に「文体」のテーマでパネリストを務めた時も、古典文学の方と司会の藤井貞和がガンバッテくれたものの、日本語学がまるで文学の分からない人だったのは不満が残った。
「研究者の文体」でも司会が杉本優という切れ者だったのに、近代文学側の人から三好行雄越智治雄の名が出たものの、古典のみならず誰からも秋山虔の名が出なかったほど不見識な集まり(6・70名ほど)だったので、議論がまるで深まらなかった(聴者の不満としてその場で指摘した)。
話を戻すと、我が書評の文体に敏感に反応してくれたのは、「研究者の文体」が軽んじられる時節柄とてもカンゲキしたわけだ。
小林秀雄・その転位の様相」でデビューした頃から、三好行雄の再来と言われたのも文体の上でのことながら、当人は三好師の文体とは異質だと自覚していた(江藤淳には近いかも?)。
ボクよりキューちゃんの方が自覚的に三好節(ぶし)を取り込んでいたように見えたけど、キューちゃんは煙草もロングピースだったので何でも師匠のマネだと自虐していた(初めからロンピー喫ってただけなのに)。

若い頃から(?)颯爽としていたイチローも今やボケまくって救いようがない感じ。
退職して余裕ができたので、読めないまま溜めこんでしまった受贈論文を整理しているのだが、先日やっと藤原耕作さんの「坂口安吾『イノチガケ』論」を探し当てた。
いただいた時にチョッと見たのは覚えていたので、今一番注目している安吾だけに拝読しようとは思い付きながらも、いつも発見できずにいたものだ。
掲載された『国語と国文学』(平成25年10月)が薄かったので、抜き刷りやコピーの箱に分類されていたのが見つからなかった原因だろ。
「イノチガケ」論をけっこう無理して書いたので、それでボクにも論文を贈ってくれたのだと思うけれど、典拠の考察などムヤミに詳しいものだったせいもあってか、読まずに仕舞いこんでしまったようだ。
姿勢を正して拝読したけれど、綿密な文献調査と読み込みに基づいた考察で感心するばかり。
それはイイのだが、何と拙稿から引用までしてあったので恐縮至極!
年齢的なボケというより性格的なウカツさなのだった、どっちにしても×(バッド)に違いない。