山根龍一の安吾論  森本淳夫の小林秀雄論

『日本近代文学研究』第94集については既に記したけど、その中のおススメ論文の1つ・山根龍一「軍人は藝術家か」(藝は原文のまま)は安吾「真珠」論なのですぐに読んだ。
「真珠」には既にたくさんの論があるけれど、山根論はとても斬新な切り口で問題提起をしているので改めて一読を勧めたい。
論のモチーフは本人が記しているとおり、《「真珠」を〈軍人の藝術家化〉に〈抵抗〉する作品として読み変える試みである。》(読み「換える」でないのは原文のまま)であり、意図どおりに説得力を持って展開されている。
「真珠」に限らず、昔は安吾(作品)を戦争に「抵抗」したと単純化して読みたがる傾向があって呆れていたけれど、最近の研究者はキチンとテクストを読んだ上で「抵抗」・「協力」を判断するので信頼できる。
「軍人の藝術家化」(論文の表題は「か」であり、キイワードは「化」)とは聞き慣れないけれど、当時の「軍人を藝術家と同一視する論調」を指していて安吾はその傾向に「抵抗」したのだと言う。
その傍証として自分で少なからぬ資料を探査しているのも山根氏の手柄であるが、氏自身が明かしているように論のモチーフが森本淳夫『小林秀雄の論理 美と戦争』(人文書院、2002年)から多くの示唆を得ているという、その森本論に遡って今再読しているところ。
森本氏の小林論は抜群に面白く、小林研究にとって不可欠の文献ながらも、意外に小林研究者が無視している模様なのが不可解なところ、山根氏が着目してくれたので他人事ならず嬉しい。
小林秀雄の名前にあやかって小林関連本が出版されるけれど、以前非難した高橋昌一郎なる無知にして無恥な御仁のものが朝日新書に入っているのが最悪の例だろう。
そんな最低のシロモノに続けて森本論を紹介するのは失礼ながら、フランス文学・思想研究者でいながらも森本氏の小林研究の手続きは日本文学研究者の模範ともなるので、研究を志す人は実際に読めば多くを学べる。
フランス文学研究者では、先日紹介した柳瀬善治の論が触れていた福田拓也という人の小林本も出ているが、こちらは研究の手続きが踏まえられていないので思い付きを並べた感想文に近い。
森本氏は小林のテクスト・クリティック(本文チェック)が本格的で圧倒されるだけでなく、少なからぬ先行研究を批判的に吸収した上で(とりわけ関谷一郎の小林論を理解・批判している所がスゴイ)自説を展開している点では、福田拓也はじめ他分野の小林秀雄論は足元にも及ばない(山城むつみの評論は別格)。
というわけで現在この森本氏の著書を読み直しているのだけれど、山根氏が示唆を得たというまさにその点に昔から十分な理解・納得が得られていないので、時間がかかっている次第である。