カラヴァッジョ展

やっと観に行けたものの、一月以前に黒田清輝展を観に行った時に前を通った時には空いている感じだったのに、今日の国立西洋美術館は混雑していてタイヘンだった。
でも期待を超えて迫ってくるので絶対おススメ!(といっても12日まで) カラヴァッジョ展は今後も滅多に開催されなかろうし。
意外にカラヴァッジョその人の作品は少ないので詐欺まがいにも見えるが、カラヴァジョスキ(影響を受けた画家)の作品もけっこう観応えのあるのもあって入場料(1600円)も高く見せない。
これに比べると先般の「樹の絵画展」は内実が無くて高すぎる。
少しは知られたラ・トゥール(2点)始め画力のあるカラヴァジョスキも並んでいる中に水準の低い画家も交っているけど、「箸(はし)休め」にはなるのでいいかも。
今ちょうどテレビで井上ひさしの「太鼓たたいて笛ふいて」(林芙美子がヒロイン)を見ているのだけれど、井上作品に付き物のツマラナイ(というよりダサイ)歌と同じで下手な絵も緊張をほぐすには役立つ。
つかこうへい作品にも余計に見えるダンスが挟まれていることもあったナ。
演劇というジャンルは大衆性を課されるので、息抜きがあっても我慢しなければならないのだろう。

黒田清輝展の時と同じ失敗(後半は疲れで集中できなくなる)をしてしまったのはチョッと悔やまれる。
最初の作品「女占い師」に引き込まれてしまい、それもテレビで見た時はツマラナイと感じた風俗画なのに、ベンヤミン言うところの実物の持つアウラ(オーラ)のせいか、つい見入ってしまう迫力がある。
テレビで見るのと同様で全体だけならスルーできるのだけれど、細部に注目し始めるとスゴイ迫力があって優れたカラヴァジョスキの場合も同じだから、名画の際には時間がかかる。
有名な「果物籠を持つ少年」や「バッカス」の静物にも人物(ホモの視線なのかな?)にも惹かれなかったけど、「法悦のマグダラのマリア」や「エマオの晩餐」には圧倒された。
期待の「ナルキッソス」がそれ程でもなかったのは、構図と画面の黒さ(暗さ)は誰も発想できないヒラメキを感じるけど、細部が弱い印象だったためか。
それとも前半で疲れ切ってしまい、後半は集中できなくなったのが敗因か。
あと1週間しなないけれど、ぜひこの疲れを味わいに行ってもらいたいものだ。
こんなチャンスはまたと無いだろ。

@ ラ・トゥールにも純化されて引き継がれている1つの光点から照らされる人物像の魅力に引き込まれていたら、先日の学会で取り上げられた岩野泡鳴の「一元描写」が思い合わされて興味深かった。
  決して単なる連想ではなく、芸術の本質的な問題だろうと思う。