立教大学日本文学科学会  日高昭二『菊池寛を読む』

ブログでも案内した立大の学会に行ってきたが、期待した石崎等さんに会えなくてザンネンだった。
チョッと遅れて会場に入ったら開会の挨拶が始まっていたので、自由に席を選びにくかったため手近なところに座ったら林淑美の隣りだったのはアイニクだった。
安部公房の「R62号の発明」は昔、木村陽子嬢の論文指導めいたことをした記憶があったけど、評価できない作品なので関心が無かったためスルーした(公房の傑作には興味があるけど)。
それでも発表した安尾クンが、ボクの授業をサボっていた頃に比べてシッカリした人に変っていて、リン先生の突っ込みにも何とか姿勢を保っていたので安心した。
例によってリンさんの質問がむやみと長くなった時に、時間経過を報せるチンが鳴ったのには笑えた。
リンさんが「今のチンは私の質問が長すぎるということか?」と問い質したのに対し、司会のユウタ君が1つの発表と質疑応答の制限を報せるものだと応じたのは立派な姿勢だった(後で聞いたら鳴らしたのは別人だった)。
大昔、松山で近代文学会の大会をやった際に運営委員として司会を担当していたら、質問というより自己アピールで時間を費やしていた人がいたので、(前代未聞と思われる)質問者に向けてチンを鳴らしたことを思い出した。
その場でもバカ受けして印象記にも書かれたけれど、リン先生のは自己アピールではなくて純然たる質問・指導だったことは明記しておきたい。
 
次の発表は公房作品よりずっと興味のある菊池寛の「藤十郎の恋」だったし、ヒグラシゼミにも参加した事のある影山クンの発表でもあったので準備はしておいた。
資料がたくさん引かれている割には結論が弱いと感じていたら、指導教員の石川巧さんが実に的確に突っ込んでいた。
発表が支離滅裂というのはハッキリしない発表内容をキツイ言い方で叩いたのだろう。
「発表で菊池寛の「文学性」を言っていたけれど、菊池に文学性があるとは聞いたことが無い」、という石川発言には心底共感してしまった。
聴いていたボクの感想も「文学性」に関わっていたからだ。
今日の発表のテーマはタイトルにあった「戯曲化」というより、発表にもあった松竹を中心とする「商業(大衆)演劇化」の問題だろうと思った。
小説「藤十郎の恋」が大森痴雪という商業演劇家の手による台本によって評判になったのに乗り、菊池自身が痴雪の台本に沿って自分で戯曲に書き直した時、既に(それ以前にあったとしても)「文学性」が抹殺されたのではないだろうか。
「文学性」とは規定しにくい概念だろうけど、分かり易くいえばこの戯曲化を選択したことで菊池は龍之介のような「文学的」な歴史小説家への道を閉ざされたということだ(龍之介の「文学性」自体はここでは問わない)。
明治期以来の新歌舞伎の方向で成功しても、商業演劇の成功であって決して文学的な成功とは言えまい。
文学の可能性としては不評が続いた翻訳劇の側にあり、その可能性は大正末からの築地小劇場から始まるという定説は否定できまい。
個人的には鈴木泉三郎「生きてゐる小平次」が好きだけれど、この大正末の昨品も(実演記録は知らないけれど)新歌舞伎の枠内の作品ということになるのだろう。
新歌舞伎という限界を考慮すれば、石川センセイの言うとおり「藤十郎の恋」などよりは「父帰る」の方に近代的な大衆化の可能性を読み取れるのは明らか。
ともあれ戯曲(演劇)の大衆化(商業演劇化)を際立たせるというモチーフで、逆の文学化という方向も視野に置いて論を展開すれば良かったかな、と思ったのがボクなりの結論。

手許に日高昭二さんの『菊池寛を読む』(岩波書店、2003年)があったので、これを機会に全5講の中の1と5を読んだ。
日高さんと言えば大昔、前田愛蓮實重彦等が作り上げた時代の波に乗ってルー小森(陽一)が指サックさん(山田有策氏)を叩きのめしたという伝説があるけれど、ルーさんの自己アピールは嫌悪でしかなかっただけだっただけで、日高さんの「蟹工船」論にいたく感銘を覚えた方が重大だ。
発表を論文化したものには分かりにくさが伴っていたけれど、この単著は講演記録らしく至って分かり易く書かれていて驚いたほど(若干分かりにくいタームや言い回しは残っているけど)。
第1講は「藤十郎の恋」の4種のテクストをめぐって丁寧に論じているのに、影山クンは日高論に全く言及していないのは不自然だった。