秋山虔の文体

メールが不具合になったので「ぷらら」の会員登録証(?)を探していたら、「女と探し物も探しても出てこない」とイチロー語録にあるとおりその時は見つからなかったけど、代わりに貴重なハガキを発見した。
ボクが2冊目の著書『シドク――漱石から太宰まで』をお贈りした礼状として、秋山虔先生から頂戴したものだ。
先生の個人的情報に関わることは公表できないけれど、《『シドク』拝受、最高にうれしいことです。(略)正月の読書始めにとたのしみにしております。触発的な貴君の文体によって、老化しつつあるわが頭脳に活を入れていただけたらと思ってわくわくするような気持です。》という文面に久々に接し、改めて勇気をいただいた気持になった。
「文体」に着目していただいたのはこの上ない喜びであり、東大の学会で「研究者の文体」がテーマに掲げられながらもパネリストの誰も秋山虔の「文体」に触れることができてないことにハラが立ち、第一に挙手してその点を追及したことを思い出す。
そう言えば秋山先生を偲ぶ会とかいうのは11月の予定だったかな?
先生を騙(かた)って、あるいは秋山虔の名によって自己保存を図るモノどもが、秋山虔の真価をスルーして盛り上がろうとするのは許し難い(とブログに記した)。
先生のみならず呼びかけ人に利用された人の名を見て、消極的な気持で参加を余儀なくされたという人もいるという、まさに〈騙りの連鎖〉である(イチローの名言?)。
そんな自分たちのためだけの会合を開催するより、「秋山虔の功罪を問う」というテーマで大議論をした方がよっぽど先生のためになる。
学会のテーマが「研究者の文体」であるにもかかわらず、秋山虔の「文体」が視野に入らない連中には無理な注文だろうけど。