高校生の歴史参考書  教員の水準と戦争

自家に息子が高校時代に使った(買わせられただけで使ってはないかも)歴史の参考書、『新詳日本史図説』(浜島書店)と『最新世界史図表』(第一学習社)の2冊があったので読んで(見て)みたらメチャ楽しい。
自分の中高時代には無かった種類の参考書であり、こんなに充実していてイイのだろうかと思わせるほど良くできているので、とても勉強にもなる。
殊に日本史は受験に関係無かったせいもあって高校時代にイイカゲンに聴いていたから、新鮮でいろいろ教えられる。
文化面もすごく詳しくて仏像まで豊富に写真が載せられているけど、フツーの高校生が関心を示すのかな?
フツーでなかったボクは、中学生の美術の先生が中宮寺の半跏思惟像はブロンズだと講義すると、違うヨ、木造だヨ! と抗議して図書館から資料を持ち出して先生に付きつけるような、嫌なガキだった。
先生は「オレは実物をこの目で見て来たのだから間違いない」と言ったのは、漆で黒光りしているから誤解したのだろう(ユーモアがあるので好きな先生だったけど)。
関西旅行は高校2年のときだから、ボクの方は実物をまだ観ていなかった。
絵を描くのは不得意なのに、画集を観るのが好きで仏像も例外じゃなかったンだネ。
社会の先生が教科書に載っている六波羅密寺の空也上人像の口から出ているのは、数個の小さなロウソクだと説明したから、「いや、唱えた念仏が小さな仏像になったものだ」と反論して先生を恐縮させたものだ。
この爺ちゃんは専門ではないのが明らかで、指導書をそのまま板書するようなレベルの人だったけど、ボクの中学時代はその手の低レベルの人が教員をやっていたものだ。
昭和30年代で銭湯に教員募集が貼ってあったというから、これも戦争が子供に犠牲を強いた結果だネ。
戦地から帰ったのが判る先生が何人もいたものだけど、戦争は子供だけでなく教員の水準を下げるものだから絶対避けなければネ。
断っておかなければいけないのは、ボクが通っていたのは前橋市内で一番レベルの低い前橋第二中学校だったけど、群馬大学付属中学にはその手の先生はいなかったようで、優秀な人を集めていたと思う。
ちなみに糸井重里がいたのは第一中学校で、付属に次ぐレベルの学校だった。