漱石シンポジウム  今度は「口演」ではなく講演

3月11日の宇都宮大学国語教育学会主催の漱石シンポジウムについての報告を延ばしたままになっている。
主客のやらねばならぬ用件が多い中、「話せば長くなる」ので先送りしていた次第(著書や雑誌を落掌してもブログで紹介するヒマもないのでお待ちやれ)。
シンポのテーマは「漱石の文体」だったけれど、もう1人のパネリスト・小池清治氏も言うように《漱石には文体がない》。
小池氏は日本語学者ながらも積極的に漱石のテクスト分析に挑戦しつつ、3種(以上?)の著書で漱石を論じているのでレジュメで紹介した。
中でも名著『日本語はいかにつくられたか?』はちくま文庫で再販されているそうだから、ぜひ一読をおススメする次第。
漱石には文体がない》という断言はどの著書でなされているのか、確認している余裕はないものの、漱石がよく分かっている人の言である。
端的に「虞美人草」の文体と「坊っちゃん」の文体を比べれば、その差異の大きさは一目瞭然。
その揺れ幅の中にその他の作品が位置しているわけだから、個人的に文体論ではもっとも評価している原子朗氏にも「『吾輩は猫である』の文体」という論はあっても「漱石の文体」という論はない。
ただ三部作というまとめ方があるように、類似したものとして括れる文体はあるので、ボクの発表は漱石の文体の変遷をたどるものにした。
実は高校生にも分かるような書き方で〈漱石の文体の変遷〉についてまとめたコラム様のものを書いたことがあり、「一人称と三人称」の対照を中心に展開したものである。
それ以前に太宰治が「一人称」でしか書けなかったというコラム様のものを書いたことがあるので、その続きを意識したものだった。

学大でもやった3年前の〈卒業生との集い)では、「最終講義」なる思わせぶりなものに真っ向から叛逆しつつ《できるだけ無内容な話》を目差して「口演」と銘打ったけれど、そのモチーフはあまり伝わらなかったようで残念だった。
今回はそれと真逆にできるだけ中身の濃い話をしよう、それも聴き手を楽しませつつ・充実感を得られるものにしようと心掛けたのだけれど、終わってからケイコ先生(鈴木啓子・宇大教授)から「1年分の講義を聴いたような気持」という講評をいただいて満足だった。
小池氏が漱石の手紙を紹介されたので、ボクも学生時代に物草次郎(子規)に宛てた凸凹(漱石)の手紙(明治24年7月18日)を紹介した。
候文から話し口調に移る(それも病状に同情する悲調から笑いへ移る)絶妙な切り換えぶり、漱石の面目躍如といった文体の多様性を朗読で示した。
先に講演された小池氏の話を受けて、それにいちいちヒネリを入れながら(カラミながら)笑いを狙ったけれど、その部分は会場にいなかった人には伝えにくい。
小池氏の語りを落語の大家の話しぶりと称揚しながら、自分ではビートたけしの往年の早口で話すことを宣言したが、それでも予定の20分を倍以上の時間を費やしてしまった(ゴメンナサイ!)
発表内容はケイコ先生のお言葉に甘えて『宇大論究』に載せてもらうことにしたので、参加できなかった仲間はそれを参照してもらいたい(というわけで、以下には概略だけをメモしておきます)。

@ というわけで何度かまとめ始めたものの、チャレンジする度に中身が膨れて止めがないので諦めた(このままじゃ、いつまで経っても他のことが書けないヨ)。
  「虞美人草」の世界を透過的に見据えて語るような視座が、(後で気付いたら拙著『小林秀雄への試み――〈関係〉の飢えをめぐって』の第4章「〈私〉の仮構線」で論じた)例えば小林秀雄の「様々なる意匠」における〈私〉の設定の異様な高さにも通じていることに気付いて苦笑したが、成長が無いというか同じ穴を掘り続けているしかないカニでしかないというか・・・
  『太宰治研究25』(和泉書院)に書いた「ダス・ゲマイネ」論のゲラが先日届いたので読んでいたら、安吾における「描写」の(不)可能性について言及していたので、この間の自分の関心の在りどころに改めて気づかされた。
  漱石安吾の異同についても熟考した上で、日本近代文学における「描写」の可能性についてまとめ直してみようと考えたので、『宇大論究』の発行を待たれヨ!