前橋の土地問題  進藤栄吉  深代民江(福島民江)

(6日深夜の記事+書き加え)
BSプレミアムで坂手洋二作・演出の再演「くじらの墓標 2017」を観ながら(聴きながら)プロ野球のことを書き止めたのだけれど、まだ時間があるので別のことを書いておこう。
捕鯨問題にからむ作品なので、とても重い印象の舞台だから個人的に重い話題を選ぼう。
坂手作品が終ったら、真船豊作・長塚圭史演出「鼬(いたち)」の再放送が続いているけど、これも暗い印象の舞台だ。
こちらは以前録画してあり、白石加代子ほか充実した配役で魅せるからおススメ(お貸し)できます。
真船豊の代表作なので筑摩の「現代日本文学大系」にも収録されているけれど、読むのはタイヘンなので舞台化されているなら観るに限る。

楽しい連休が終る前に、気がかりというか不快事というか、吐き出さないとスッキリした気持で前に進めないことを記しておきたい。
野球記事と同じく、興味のない人は最初からスルーしてもらいたい。
以前にも書いた前橋の実家のあった土地の問題なのだけれど、最近判明したのは不愉快なことをされた一方の当事者が老死していたこと。
土地を買うという約束をしてくれたものの、(銀行で代金700万?を用意してくれていたのを、もう一方の当事者のために売買を延期してもらっている間に)理由も説明せずに買うのを拒否した進藤栄吉氏(仮名、以下同じ)は既に亡くなっていた。
父親の商売仲間で長年の付き合いだった人であり、父が死ぬ前にも見舞いに来てくれていたので、まさか裏切られるとは考えられなかったのでショックは大きかった。
仕事で成功を収めた「名士」という自覚を持って自伝をまとめた際に(ライターによる)、著書の帯にボクが推薦文を寄せたほど理解し合った関係だと思い込んでいたこちらが甘かった(のをジャミラに後で追及されてしまった)。
生きる姿勢として他人との衝突を避けていた亡父の気持を察し、それ以上進藤氏を追及することは差し控えたけれど、進藤氏が下衆(ゲス)のやるようなことをして「晩節を汚す」人だとは思えなかったので残念至極。
東京で我が家を建てるための資金として貯めていたカネを回して買った前橋の土地だったので、進藤氏が突然購入を拒否したために資金が回収できなくなったわけだから、ジャミラが怒り心頭だったのも当然だった。
約束どおり土地売買の書類を作りに前橋に行ったものの、バカ面下げて手ぶらで帰ったボクをジャミラはマヌケ呼ばわりしていたけれど、進藤氏の回避のお蔭でマヌケぶりを証明することになってしまった次第。
他人に迷惑をかけないように生きていた親の無言の訓え(おしえ)の通り、「立つ鳥、後を濁さ」ぬように売買契約を延期して問題を解決したまでだったのが、裏切り横行の「世間」では通用しなかったという結果だった。
裏切られて唖然としているのを、世間のゲス達はマヌケと呼ぶのだろう。

もう1人の当事者は隣人の深代民江(旧姓・福島)で、深代家を代表する彼女の要望で進藤氏との売買を延期してもらった経緯があった。
事の発端は進藤氏が民江に電話で「関谷家から買うことになった土地の一部を買う」ように仕掛けたこと、その言い方が「お化けがでそうな古家が建っている裏の土地を買わねエか」と脅かす口調で言ったというのだ。
商売で成功した人だから、それなりの手を使ったということなのかもしれないが、相手が女性だけに想定以上の恐怖感を与えたらしい。
息子が2軒先に家を建てた進藤氏としては、駐車場として関谷の家が建っていた土地だけで十分だったので、古家が建っていた裏の土地までの広さは不要だった模様。
元々地主の土地には関谷・深代・古家の3軒が建っていたのだが、古家の土地の分は買い手がつかなかったので、仕方なくボクが買った次第。
元来1つの土地だったものを、地上げ屋に迫られて関谷・深代の両家で仕方なく競売で買ったもの故、境界がイマイチ不明確だから進藤氏に売る前にハッキリさせてくれというのが民江の要望だった。
幼い頃から知っていた民江の「恐怖感」にも同情できたので、進藤氏に売買手続きを延期してもらいながら境界を明確にする手続きをしたという経緯だった。
さかのぼると元々の地主(東京花小金井在住の原沢姓)と民江の親が親族同士で争っていた土地なので、原沢から破格の低価格で買うように勧められたことがあったものの、前橋に住むつもりもなく(血のつながりはともあれ)姉妹間で所有をめぐってもつれている土地などを買うつもりもないから断ったものだ。
そのうちに原沢が地上げ屋を使って両家に買うように嫌がらせを始めたとのことで(詳しくは後で知った)、親孝行のつもりで購入した次第。
書類上は原沢の土地なのだが、固定資産税は原沢ではなく福島家(民江の実家)で納めていたのでもめていたとのことながら、(関谷家では原沢に借地代を納めていたものの)福島家も民江も借地代を払っていなかったので地上げ屋に付け込まれて困っていた模様。
民江が引っ越して家を建てる前までは、原沢家の縁者である老若2人が住んでいた土地だったけれど、他家のその後の親族間の醜い争いについてはここでは割愛する。

ともあれ進藤氏が土地購入を断ってからは、買い手がつかぬままの土地がいつまでもボクの心中に引っかかっていてストレスの元。
売買の担当者だったS氏が「群馬土地」を辞めたという連絡も無いまま、その後「群馬土地」が何もせずに放置していたのだから買い手がつかなかったのも当然だった。
こちらも在職中は多忙にかまけて、土地については無為に過ごしていたのも確か。
(それにしても「鼬」という作品は長いなア〜、疲れて書くのがメンドーになってしまったので以下は掻い摘んで記しておく。)
1ケ月ほど前に、なぜかジャミラが民江の所に乗り込んで行ったと聞いて心底ビックリした。
ボクをマヌケ呼ばわりしつつ、土地購入を邪魔したとして民江を憎悪し続けていたジャミラながら、他人と議論する才覚がまるで無いので民江とやり合っても言い負かされるだけだと伝えてあったのだけれど、シビレを切らして乗り込んだと見える。
結果は予想を超えて民江の圧倒的な勝利、(などと他人事のように記している場合じゃないけど)民江に何ら反論できずに言いくるめられて帰ってきたものだ。
それも当然で、ボクが以前から渡してておいた土地に関する経緯のメモを読みもせずに行ったものだから、狡猾な大人が無知な子供を自分に都合よく言い含めるようなもので、完全に洗脳されてきたのでその愚かさに呆れてしまった。
もっとも、2人は共通してイチローに対する反感というか、負い目・コンプレックスを抱いているので、イチローをこき下ろす点で一致して盛り上がり、ジャミラの無知をいいことに民江も乗りすぎて放言してしまったのかもしれない。
民江には当初からジャミラの怒りを伝えてあったので、それが心理的な負担になっているという手紙はもらっていたけれど、その元凶が目の前に現れてみたら無知でダマしやすい幼児同然だったため、長年のストレスから解放された気分だったのだろう。

ともあれジャミラの浅はかさに呆れている場合ではない、民江が他人の土地を勝手に使いながらゲス(下衆)丸出しの根性をさらけ出したという言葉を聞いて、その浅ましさに開いた口がふさがらないでいる。
10数年にわたって空地になっているのをいいことに、断りもなく他人(関谷家)の土地を駐車場代りに使い続けていながら、ジャミラに対して「車を置かせてもらっているので草むしりをしてやっていた」とほざいたというのだ。
幼い頃からの知り合いというだけでなく、母親同士の付き合いの長さも考慮しつつ(途中からは車椅子の身障者になったとも聞いて)、10数年前に夫が失業して駐車場料を払うのも負担だろうからと察して、無断使用していても敢えて見逃している気持でいたにもかかわらず、その「盗人(ぬすっと)猛々(たけだけ)しい」言い分を娘にも納得させていると自慢していたというのだからゲスのキワミというほかない(娘がゲス母の言葉どおり納得していたか否かは別)。
他人の物を盗んでおいて、「ホコリを払っておいてやった」と「恩を仇(あだ)で返す」自己弁護の言い逃れは親の顔に泥を塗るようなものだということが、分かってやっているのかどうか民江に尋ねてみたくなるというもの。
のみならずジャミラが何も知らないことをいいことに、「関谷家がこの土地に引っ越してくるにあたり、前の家でビンボーしていたので民江の母が同情して土地を貸してあげたのだ」という物語まで言って聞かせたというのだから、許しがたいドロボーぶりでニンゲンもどこまで落ちるやら。
民江の母の土地ではないのは上記の通りだし、民江の親が町なかに出していた料理屋は母がPTAの会合で使ったりしたこともある親同士の(我々が子供の頃からの)長い付き合いを思えば、安倍晋三並みの大ウソをついたら親に顔向けできまいと思うのだけれど、民江の心のゲスぶりは親のせいにはできない程度の悪さで悲しい。
のみならずジャミラの無知ぶりに安心して調子に乗りすぎたのか、民江は母親から刷り込まれた「地主意識」を振りまいていたというのだから呆れたものだ。
「地主」なら裏の土地に建っていた古家を壊した代金を、今からでも払ってもらいたいものだ。

民江の母親のことはしばし措いておくとして、父親(「味の店」の小父さん)の優しい性質は子供心に伝わってきたものだ。
祖母が生きていた頃の実家にこの小父さんが差し入れてくれた作りたての塩辛は、ビン詰めの塩辛しか知らなかったボク等には空前絶後のホンモノの味わいで、成長してから東京で食べた時にこの小父さんの塩辛を思い出したものだ。
福島家の「家庭の事情」はともかくとしても、民江が「盗人猛々しい」言動をくり返している限り親に会わせる顔があるまい。

@ キリがないので擱筆するけど、民江にもつながる(原沢姓となった人を含む)福島一族の醜い親族争いには《戦争の影》が色濃く見えてくるが、《戦争の影》は何も福島家ばかりに差していたわけではない。
  戦争に駆り出された一家の主人の留守の乏しさから生じた、戦後にも後を引いたさまざまなイザコザは多くの文学作品にも描かれているとおりだけれど、それを地で行くような現実が身近に起きているのが幼心にも伝わってきて、心痛をくり返した記憶が蘇ってくる。
  土地にまつわる問題のみならず、わが祖父母や父母について後生に残しておかなければならない気持が沸々と湧いてくるこの頃だ。
  実家から持ち出したセピア色の写真集(アルバム)のほとんどを見ても、息子には説明できない自分が不甲斐なく思えてくるとともに、せめて親の代を身近に見ていた者としての証言を残しておかなければならないと思い始めている。
  それぞれの家の長男・長女であった父母が、45歳で病死した祖父の代りの親代わりとして弟妹5人を育てあげた「他人本位」の生き方には頭が下がるばかりながらも、その生き方を意識せずにマネているような己の姿を発見する時がある。
  それにしてもイチローが誕生した時の父の悦び方が独特で、近くの交番で酔っぱらっていたとか・酔っぱらって交番に行ったとか。
  それもそのはずで、前の家ではよく「おまわりさん」達が集まって呑んでいたものだ(来れば必ず歌っていたせいか、その中に1曲は覚えているけど艶歌かもしれない)。
  父の唯一の妹である叔母の、結婚相手もその中から選ぼうとしていた雰囲気も記憶にある。
  夜は父の知り合いが集まって酒を呑み、昼間は祖母と母のいる我が家に(前に家の時から)小母さん達が毎日のように集まり、お茶を飲んでいたものだ。
  お蔭でイチローのお茶に対する味には厳しい基準ができているが、気のおけない人たちが集まってお茶でも酒でも飲むのが好きなのは両親の遺伝と思えば納得がいく。
  「味の店」の小父さんのことを記していたら、当時のことが次から次へと蘇ってきて果てしも知れず、「子孫」のためも今後少しずつで書き止めておきたい。(疲れた)