小池百合子は危険  都知事として国歌斉唱を強制  「君が代」ではない国歌を!

昨日の朝日新聞「ニュースQ3」の記事を読んで驚いた・・・けどヤッパリそうかな、とも思い返したものだ。
今年の都立看護専門学校の入学式では、昨年までの歴史を否定して式典で国歌斉唱が取り入れられたというのだ。
小池が議会で「要望」したのを受けての方向転換だそうだけれど、都の関係者も「今はやりの『忖度』なのかもしれませんけど」と言っているそうだ。
日本の国歌といえばもちろん「君が代」で、この「君」のために厖大数の国民の命が奪われた汚辱に満ちた過去を気軽にリセットして、無垢な新入生に「君が代」を歌えなどとよくも言えたものだ! というより小池だから当然やりそうなことではあった。
短期間とはいえ、(さまざまな党を渡り歩いた後に)かつて自民党防衛庁長官までやらかした女だから、いよいよ本性を暴露し始めたということだろう(都議会の自民党の誘導があったかかも?)。
同じ女でもアホな稲田朋美防衛大臣のように右翼的イデオロギーにこり固まってはいないだろうけど、そして丸川珠代オリンピック担当大臣ほど低能ではないかもしれないものの、小池の「自分ファースト」のジコチュウ主義には弱者(庶民)に対するデリカシーなど一かけらも無い。
自分さえ目立っていれば庶民などはどうなっても構わない、というのが小池のホンネであるのは何度か記した通りで、選挙に有利になるように豊洲問題を引き伸ばし続けているのもその1つ。
野党が頼りがいがないからとはいえ、安倍晋三にダマされ続けているアホな日本国民のことだから、ノンキに小池を支持してしまうのは仕方ないのだろうが、小池が「君が代」を弱者に強いている現実をシッカリ見すえてから選挙に向かうべきだろう。
安倍晋三と同じく人間として信頼できない小池百合子を単純に信じてしまうと、都民も小池にイイように利用されてしまうだけだろう。

前科のある「君が代」などをいつまでも国歌として認めてきた日本国民のバカさ加減も理解しがたい。
ヒットラーのナチズムに呑みこまれたオーストリアでは、戦後は国歌だったハイドン弦楽四重奏曲「皇帝」(名曲だけど)を別の曲に変更したという賢明さを発揮している。
固陋旧弊な日本人は、ファシズムの血に彩られた「君が代」を変更できないまま戦後も、70年過ぎて「君」が誰のことか忘れ果ててしまうほどバカな国民だったということか。
昭和の「君」とは打って変わり、現行の「君」の方がいち早くファシズム・カラーから脱け出し、未だに戦争をひきずっている犠牲の島・沖縄へもくり返し訪れて慰霊しているというのに。