千田洋幸の「或る女」論

法政大の留学生院生が「或る女」論で修論を書くというので、多忙な専任教員のお手伝いで助言することになった。
カインの末裔」はじめとする有島の短篇は大好きだけど、「或る女」は入りにくくて通読できたためしがない(その手の小説は「夜明け前」を筆頭に枚挙にいとまがないけど、小林秀雄の戦後作品にも中途で挫折した作品がたくさんあるのは企業ヒミツ)。
論としては原子朗『文体論考』収録の「有島武郎の文体」を読んだ時の感激は忘れることができない。
原先生といえば、学生時代に偶然秋山虔先生の研究室で見かけられた(見かけたのではない)のを知らずに、後で「秋山さんの部屋で会ったじゃないか」と言われてビックリしたということも忘れられない。
千田洋幸さんの「或る女」論を読んだ時も、あまりの面白さ・説得力に驚いたものだが、今回拾い読みしようとしたら一気に通読してしまった。
三谷邦明編『近代小説の〈語り〉と〈言説〉』(1996年、有精堂)に収録されているのだが、三谷邦明という無恥ぶりにも驚いたけれど、千田さんの新理論の吸収ぶり・正確な応用ぶり・論述の説得力は圧倒的だった。
表題は「『氾濫――反乱するシニフィアン」だから有島のテクスト、特に「或る女」を想起できる人は論のモチーフは想像できるだろうけど、文学史上の著名作や先行研究の切り捨て方が小気味イイことこの上ない。
引用して紹介したいが、キリがなさそうなので控えるけれど、江種満子・篠田浩一郎を始めとして中村三春さんまで批判の対象になっているのだから驚く。
脱構築」が流行りかけた時代だったろうが、蓮實重彦氏が流通させた「宙吊り」ともども的確に使われているのは、当時の流行追随者の論とは一線を画している。
でも留学生には全然理解できないだろうと思うと淋しい、せめて日本人の院生や若手研究者には読んでもらいたいものだ。