吉田修一  ハルキとの差異  又吉直樹の小説

授業の感想を書く前に、メル友の大先輩(文学専門ではない)から吉田やハルキなど最近の作家に関するメールを頂戴したので、その返信をそのまま載せて授業の感想代りとしたいと思います。
(○○はお名前を伏せたものです)

吉田を選んだ留学生の発表によれば、彼の作品は大分作家自身の事実によっているようです。
そういう意味ではハルキとは全然違うようです。
ハルキの「蛍」は学生時代の寮など、確かに彼の事実に基づいています(それにしても○○はよくご存じで)がほとんどが創作です。
しかし両者を比べると、ハルキが常に描ききらずに「空白」を残して読者に「読み」の可能性を託しているのに反し、吉田は全部描ききってしまうのでテクストだけで論じるのが難しくなっているのだと思います。
読者の「読み」の自由度が狭められてしまうと思います(あくまでも『最後の息子』収録の初期3作品に限っていますが)。
両者とも実に読みやすい作品を書いていますが、ハルキがスッキリとは分かりにくいために読者に「読み」の楽しさを与えているので卒論でも取り上げられる所以でしょう。
今朝日に連載中の小説が吉田であることも知りませんでした(それにしても○○はよくお読みで参ります)。
新聞小説山田風太郎など2・3の作品を毎日読んだ体験がありますが、そのどれもに失望して以来まったく読みません。
又吉についてはおっしゃる通りでしょうが、これは文学が読まれなくなったための話題作りで無理に芥川賞を与えたと受け止めている上に、小説を味読する能力を有する先輩の評価(低レベル)を信じているので読みません(芸人としては昔から好きですが)。