太宰治「竹青」

豊田真由美のあまりのオモシロさに浸っているうちに(?)授業の感想を記すのを忘れてしまった(24日の学大の学会の準備もあったけど)。
チンさんの発表は中国人留学生らしいもので、原典の「聊斎志異」との比較を通じて太宰作品の特色をあぶり出そうとしたもの。
内容もやはり留学生らしい範囲を出ることができていなかった感じで、思い切りが悪いのが致命的。
自信が無いので先行研究に引きずられるまま、自分の《読み》(意見)が出せていない。
あるいは私見が出せても無理があり、奇異な方向の理解に外れがちになる例となった印象。
道教への反感」やそれを中国人に訴えたかったという理解は説得力が無いと思う。
留学生共通の限界なのだが、「物語内容」にばかり興味が偏ってしまい、「物語行為」に対する考察が疎かになって太宰特有の《語り》の面白さが意識されていないのは残念。
太宰文学は昔から《語り》が際立った特色で、女性の語り手による作品が10編を超えるほどで《女語り》という言い方まで定着しているのは常識。
同じく「聊斎志異」を素材にしながらも、「竹青」が龍之介の「酒虫」や「仙人」などと異なるのは、この《語り》方だと思う。
太宰作品の《語り》の過剰さに注目すると、龍之介とは異なる自虐的な《笑い》(ユーモアではない)の文学として評価する観点を持てるのではないかな。
(我にもあらず、ジュネットの論の基本を伝えたばかりなので、その用語を使ってみました。)

リーチ君の発表は逆に《異見》を狙い過ぎたのか、《読み》に無理が生じていて説得力を感じさせないのが致命的。
評価できるとすれば、《異見》を出そうとする意欲とそれを《読み》に構築し得る能力といったところか。
それにしてもリーチ君に限らず法政院の日本人学生の、留学生に対するバックアップする姿勢には脱帽! 日中友好はこういう所に基礎を置くと堅固になるものと実感。

今回は引用について、歴史的仮名遣いだった時代のテクストからの引用は《平仮名はそのまま、漢字は新漢字があるものは新に直す》という原則を徹底した。
こうした基本も少しずつ身に付けてもらうつもり。