学大国語科の学会  疋田雅昭先生の充実した講演

他に3つほどの近代文学分野の学会と重なったせいでもなさそうながら、参加者がチョッと少な目に感じたのは淋しい。
ウッチー(内田)先生も指サック(山田)先生も共に欠席というのはさらに淋しいと思っていたら、指サック先生は講演直前に現れたので期待していたボク等を喜ばせたものだ。
でも総じて現役の先生方の参加も少な目なのは気になった。
6月第4土曜は毎年近代文学会の例会に重なっているけど、ボクは現職の頃から学大の学会に優先して参加していたものだけどなァ〜。

懸念していたタケシ君の「山月記」論は、ヒグラシゼミの時の内容より後退していた印象で多くを語れない。
彼の学生時代の「古譚」(「山月記」などの総称)論についてのレポート(保存してあるのだヨ)よりも後退していたほどで、手垢にまみれた作品を論じる難しさを露呈していた。
気になったのは「寓話・寓意」という読み方を前提としつつ、それが「尊大な自尊心」などを指しているようなので違和感を抱いた。
名人伝」が《無》の「寓話」としても、「山月記」は「尊大な自尊心」の「寓話」だという風には言えまい。
「尊大な自尊心」の喩のレベルは作品全体を覆うものでないと考えられるので、《無》という寓意とはレベルが異なるように思うのだけれど、どうだろうか?

ヒッキー先生の講演は素晴らしいもので、聴けなかった人が可哀そうなくらい。
準備のために「美しい町」を再読したけれど、相変わらずツマラナイこと限りなし(肌に会わないテクスト、「西班牙犬の家」は大好きだけど)。
いつぞやバンセイ君がこの作品で発表した時と同じく、読むのに苦痛を感じたテクストだけれど、ヒッキー先生の講演はメチャクチャ面白かったので驚いた。
前もって実篤の「新しき村」という理想の実践運動との関わりを尋ねたら、それに関しては既に先行研究があるというのも驚いた(こんな作品にも十数本もの論文が書かれていた!)。
テクスト末尾に近い所に「独探」などと出てくるので、それについても尋ねたら検討したけれど未解決という返事で、テクスト細部に気を配りながらの《読み》が徹底されている手応えを得た。
講演では「この作品について5時間は話せる」と豪語したとおり、盛りだくさんの内容でとても勉強になったものだ。
ヒッキー先生自身が建築の歴史その他、多くを勉強したからの成果に違いない。
先行研究を十分に消化・吸収した上での自説の展開で、とても面白く感心しながら拝聴した。
詳しく記すとキリがないし、論文化される前に明かしてもいけないだろうから、参加できなかった人は論文になるのを待てばいずれ読めるだろう。
素人で関心も薄いながらも乱歩(などの探偵小説)の味わいを感じたことと、ル・コルビジェフランク・ロイド・ライト(帝国ホテルの設計者)等との関連についても教えてもらおうと思いながら果たせなかった(ライトについては呑み会で質問した記憶もあるけど)。