『村上春樹と1980年代』  宇佐美毅  大川武司  早川香世

(22日に記したもの)
村上春樹と〜』はおうふう社から出ているシリーズで、「1990年代」「二十一世紀」と続いている読み応えのある論文集だ。
共同編集者の宇佐美毅・千田洋幸両氏のもとに集まる中央大学東京学芸大学の院修了生たちの力作が、毎回20本近く揃っていてとてもお買い得。
学大に20年以上勤務していたので、名前だけ見ても傑出した力量の持ち主たちの顔が想起されるけれど、読んでみると改めて教えられることが多くて「自慢の子」等の成果としておススメできる。
現代作家でもあり、ハルキについてなら誰でも書けるという理由で、在職中は卒論には取り上げないように指導していたけれど(それを破って提出されたハルキ論は優れたのもあったけど)、さすがにこのメンバーに論じさせるとハルキの世界が深く感じられてくるというものだ。
吾ながら情けないのは、明日(23日)のゼミのための準備として早川論と大川論を読もうとしたら、既に読んだ形跡があったこと(ボクは読みながら線を引いたり「バカ」とか「死ね」とかコメントを書着こむので判る)。
もちろん「バカ」等のコメントは皆無で、面白い箇所に沢山の赤線が引いてあったけど、内容はほとんど覚えてなかったのはボケの証拠。
たぶん在職中の演習授業でハルキをテキストにした時、関連しそうなので読んだのだろうけど、その時はともかく今は脳中に何も残っていないのは末期的かな?
早川香世さんを「カヨちゃん」などと昔どおりに言うと今日(きょうび)では四方から叱られるかもしれないけど、「ファンタジーと反転する『現実』」というタイトルからして明日のテキスト「土の中の彼女の小さな犬」を読むのに参考になるし、《記号》というキーワードを駆使した「踊る小人」の読み方にはとても示唆された。
カヨちゃん、スゴイ!

大川クンは学部がスポーツ科という変わり種だったけど、修論宮沢賢治論は圧倒的に面白かった。
賢治は前橋高校時代の斎藤孝弐先生の影響で神聖なイメージが刷り込まれていたけれど、大川論はそれを払拭する作品選びと分析で楽しませてくれたのを忘れない。
しかし「『遠く』をめぐって」という表題で括られた「中国行きのスロウ・ボート」と「午後と最後の芝生」の読解は忘れていたので、再読したらとても新鮮な読み方で感心させられること頻り。
後者は昭和ゼミでも在職中に中村光太郎クン等の素晴らしい論が出たのを覚えているけれど、それとは全く別の見地の大川論は「遠く」をキーワードに「中国行きのスロウ・ボート」と括りながら興味深く論じ切っている。
井口時男さんのハルキ論を援用しているが、昭和文学会や坂口安吾研究会でもご活躍だった井口さんがハルキを論じているとは思わなかった。
ボクは未読の論考だけど、「伝達という出来事」という表題から勝手に察するとドゥルーズガタリ「ミル・プラトー」が流行った頃のものなのかも。
小林秀雄安吾を論じてもレベルの高さで読ませてくれる井口さんのことだから、大川クンも強い刺激を受けたのも当然だろう。
カヨちゃんの論にも見えたけれど、大川論には盛んに使われる「宙吊り」という言葉はいかにも蓮實重彦が流行った時代の痕跡だろう。

(以上が22日に記して、続いて宇佐美論の感想を書こうかと思っていたのだけれど、時間が無くなってしまったまま放置したもの。
 後で書くけど、23日のゼミから帰ってからチョッとした一大事があったのでブログどころではなくなってしまった。
 宇佐美論の感想は落ち着いてから記します。)