中島飛行機  磯田道史  「昭和の選択」

法政大院生の研究対象に合わせる意図もあって、久しぶりに三島由紀夫をツマミ読みしている。
驚いたのは(忘れていたせいかナ?)三島の勤労動員先が群馬県の「中島飛行機小泉工場」だったということ(「終末感からの出発」昭和30・8)。
中島飛行機といっても大方の人は初耳だろうけど、群馬県は前橋で生まれ育ったボクにとっては中島飛行機は親しい名前だったのだ。
特にボクのような魚取り(釣るのではなく網で掬う)に没頭していた少年にとっては、前橋郊外の中島飛行機工場跡の周辺は手頃な小川があって鮒を中心に魚が取れたので、忘れ難い名前なのだ。
前橋の工場跡はその後ダイハツの工場敷地となったけど(姉よりも敬愛しているその夫がそこで出世したのは個人的な情報だけど)、中島飛行機としては工業団地(?)として目覚ましい発展を遂げた大田市が本拠地だと思う。
軍人の時にいち早く飛行機に着目して「大鑑巨砲主義」(大和や武蔵がその悲劇的な結果)を排して飛行機を重視する方針を主張しながらも受け入れられず、野に下って個人的に飛行機製造に励んだ中島知久平の先見の明を知ったのは衝撃だった。
中島の出身地が大田だったとのこと。
それまでのボクの知識では、真珠湾攻撃の計画から実践までの指揮を執った山本五十六こそが、「大鑑巨砲主義」ではなく飛行機の攻撃性を重視し主張した人だったので、中島が先んじていたと知って驚いたものだ。
「英雄たちの選択」とは別に磯田道史さんが「昭和の選択」という番組を作っていて、ボクが見たり録画しただけでも既に「終戦鈴木貫太郎」など7・8本はある。
その番組で3週間ほど前に「中島飛行機」の再放送をやったので、改めて幼い頃の記憶と共に中島知久平の偉大さ(少なくとも前半生)を思い出した次第。
磯田さんが作っているこの2つの番組はボクの一押し、見るべし!