是枝裕和「そして父になる」  福山雅治  リリー・フランキー  前橋市  深代民江と進藤栄吉  小栗康平監督  宇都宮

当日知ったのだけれど、16日の土曜夜9時から是枝監督の「そして父になる」という映画をフジテレビで放映したのを観た。
(民放の映画ってむやみにCMが多いもンだネ、その間は音を消していたけど。)
この監督の存在は知っていたものの映画は見たことが無かったけれど、以前テレビの発言を聞いていたく感心したので、退職時に近代文学研究の学生の機関誌『青銅』に是枝さんのことを書いたのを覚えている。
ボクよりずっと若いのに、考え方があまりにシッカリしていたので驚いたものだ。
しかし映画の方はあまり共感できなかったのは残念だった。
病院で赤子を取り換えられた夫婦の懊悩を取り上げた意欲作には違いなく、興味を持って期待しながら見ていくほどシラケてしまう印象だった。
父親2人は福山雅治演じる高学歴・一流会社員と、電気屋店主のリリー・フランキーの対照的な人物像が図式的な感じで訴えてこない。
子役や母親役の熱演からはリアリティが伝わってくるのに、父親像がイマイチで惜しまれる。
特にエリート会社員の、父との葛藤から家出した過去が明かされたり、取り違えが看護師(女性)の裕福な家庭に対する妬みによる犯行という落としどころを用意してしまっては、せっかくの親たちの懊悩と怒りの矛先が絞られてしまって作品の奥行きが殺がれてしまう。
是枝監督にしては(その他の作品は見てないけど)なんだか底の浅い映画に仕上がってしまった感じだった。
個人的に愉快でなかったのは、事件の起きた病院と電気屋の所在地が前橋市だったことだ。
いかにもその手の事件が起きそうな病院があり、欲得勘定が先に立つ電気屋がいそうな場所として前橋がイメージされたらしいが、仮構の町の出来事で良かったのじゃないかな。
確かに、何度も恩をかけてやったのに(そのためにこちらは何百万もの損失を受けたのに)裏切ってドロボーを働いた深代民江(福島民江)や、一度家屋ともども土地を買う約束をして家から好きなだけ物品を持ち出しながらも、イザという時に買わずに損害をもたらした進藤栄吉のような裏切り男がいる町ではある。
しかしその手の、他人のことはいっさい考慮しないジコチュウ人間は前橋の特産とは言えまい。
それなのになぜ是枝監督が前橋に設定したのかを深読みすれば、小栗康平を意識したとしか思えない。
「泥の河」(宮本輝・原作)や「死の棘」(島尾敏雄・原作)などの名画(前橋を舞台としたと思われる「眠る男」だけはツマラナイ)で知られる小栗康平は、前橋高校の先輩であるという誇りを感じつつ日本で最高の映画監督だと評価している人だ。
是枝監督も小栗監督を評価していたので、小栗康平に対する敬意の裏返しの選択として、敢えて小栗監督の出身地である前橋にしたという「読み」はどうだろうか?

上司の配慮で(?)エリート社員が飛ばされることになる先が宇都宮という設定には、笑うしかなかった。
深代民江と進藤栄吉のお蔭で、18才まで住んだ前橋よりも(10年間宇都宮大学で勤務しつつ築き上げた人間関係のお蔭で)宇都宮に愛着を感じているボクにとって、前橋のトラウマを和らげるために宇都宮が用意される設定は他人事(ひとごと)ではないから。
つかこうへいのテレビドラマだったかで、脇役のタクシー(?)運転手(平田満が演じていた)が「オレ宇都宮」と自己紹介していた時も、「大都市(?)だけど田舎」というのが宇都宮のイメージだと納得しつつ笑えたナ。