近代文学合同研究会  宮沢賢治

近代文学合同研究会の賢治についての発表を聴いてきた。
「北守将軍と三人兄弟の医者」という不思議な作品ながら、事前の発表要旨を見ると「戦争」などで読む分かりやすいものだと思われた。
実際の発表は「戦争」に限らず、数多くの先行研究が提起している諸問題に応じながら、目移りするほどさまざまな問題に言及し過ぎて核心が伝わってこない散漫な印象だった。
留学生にもかかわらず実に幅広く読んでいる(吸収して?)のは、先行研究の紹介や注の多さで一目瞭然で圧倒されるほど。
それも文学に限らず歴史などの他分野の参考文献も上げられていて、近年流行の「文学離れした文学研究」の傾向と言っていいだろう。
しかし単純に流行に乗ったというわけでもないのは、先行研究にも「戦争」その他を読み込むというものが少なくなかった。
意外だったのは菅谷規矩雄の論までその文脈で紹介されていたので、先ほど読んでみたら確かに賢治には「〈社会〉に寄与するという課題」を「童話によってはたしうるとかんがえた」という捉え方も語られていた。
もちろん朔太郎をめぐって那珂太郎と激しく論争を展開した菅谷らしく、論の中心テーマはくり返される「律動」にあると思われるけれど、その点は発表では無視されていたのは個人的に惜しまれた。
改稿過程では韻文形もあるそうだから、朔太郎や中也と同じように短歌詠みを通過した賢治における〈韻律の引きずり方〉が気になった。
残念ながら中也の専門家であるヒッキー先生が(他ならぬ中也学会その他への参加のために)欠席だったので、その手の問題は深められなかった。
先行文献で一番面白そうだったのは西成彦さんのもので、中でもハムスンの「飢え」にも言及していると紹介されていたのは刺激になった。
このノーベル文学賞の受賞者は、昭和の初期まではともかくもその後はほとんど話題になっていない模様で、(比較文学会ではともかく)近代文学研究の世界では無視されたままになっている。
一橋大の大学院で中国の新感覚派文学の研究をしていた院生が、ハムスンの短篇からの影響を論じながら「飢え」の再検討を強調していたのが思い出される。
ハムスンに限らず、近代文学に対する北欧文学の影響という問題は、(山室静以後?)イプセンを含めてあまり耳にしなくなったのは気になるところではある。