安部公房「繭」  来週は村上春樹「午後の最後の芝生」

在職中は立教大や聖心女子大でも他大学の院生を受け入れて双方に刺激し合ってもらっていたけれど、法政大では残念ながら今まで外部からの参加者がいなかった。
昨日は教科書にも採られている作品だったせいもあって、桐原書店の浜田編集長に声をかけたら参加してくれた(彼は勉強熱心でヒグラシゼミにも時おり参加している)。
久しぶりに会ったら「今まで以上にお元気そうで」と言われながらも変化した自覚がなかったけど、トイレの鏡を見たら顔が赤く見えたので「これか」と了解。
子供の頃から日焼けしやすく、チョッと日光を浴びると赤くなるので母親からも冷やかされたものだった。
6月の定時制高同窓会でも卒業生に「飲み会の前にもう飲んできたナ」と茶化されたけど、1滴も飲んでなかった。
その時も昨日も上野の美術館に寄ってから参加したのだけれど、天気が良くてチョッと日を浴びただけで顔が充血していたのだろう。
酒の臭いがしないので明らかだろうけど、疑われても仕方のない顔色なんだろうナ。
水曜は法政大に行く外のお仕事だから、帰宅すると必ず飲むけどネ。
昨日も駅にできた「ののわ マルシェ」で(20%引きで)1000円ほどの寿司をゲットして美味しく飲んだけど、ジャミラがいないと一段と酒がウマイ!

肝心の授業の方は、浜田さんからたくさんレジュメに突っ込みを入れてもらったお蔭で読みが深まった。
レジュメはさすがに公房の専門家らしく、テクスト(表層)レベルを超えてコンテクスト(深層)を拡大した読み方を提起しながら参加者を刺激してくれた。
いきなりテクストを超えてしまうと、実際の授業では生徒を混乱させてしまうし、読みの基本としてはレッドカードだと思う。
だからテクストレベルでは末尾に現れる「彼」は指示代名詞である以上、前半の「棍棒をもった彼」を受けていると押さえるしかない。
それ以上の読みの可能性を楽しむのは、読みの基本を踏まえた上でのコンテクスト探究になる。

もう1点、このテクストの一番難しい問題であろう末尾における語り手の交代をどう理解・処置するかである。
これもレジュメはアクロバティックに処理していたけれど、私見によれば「おれ」が「消滅」した後はいわゆる「神の視点」の語りに切り替わると理解できると思う。
授業中でも分かりやすいと受け止めてもらった読み方を示せば、「おれ」が消えた後の段落の「おれ」にカギ括弧を付しておいて、それらの「おれ」は全て神視点から外在的に語っていると押さえれば済むと思う。

短いテクストながらも議論が深まったのはレジュメのお蔭だろうが、来週は放っておいてもたくさんの面白い問題が潜んでいるので、盛りだくさんの議論になると期待している。
「午後の最後の芝生」は短編集『中国行きのスロウ・ボート』(中公文庫など)に収録されている。