岩波の手抜きでもなかった?

「門」において「自然」という言葉が3例あるのに、岩波の索引には1例しか上げられてないと記したら、ヒグラシゼミの常連であるナオさんから13例もあることを知らされて腰が抜ける思い。
「道草」に至っては38例だとのことで何をか言わんや、の落ち込み方。
ナオさんは青空文庫のテクストによって用語検索をしてくれたのだそうだけど、それにしても多数過ぎて岩波もボクも面目ない次第。
しかし実例に当たったら「自然」の意味が少々ズレていたので、ボク(と岩波も?)が数えていたのは特例のものだけだと判明した。
例えば、「門」の
 《大きな護謨風船を膨らましている。それが膨れると自然と達磨の恰好になって、》
というようなフツーの使い方まで全部カウントすると確かに13例になるのだけれど、ボクが数えたのは
 《彼等は自然が彼等の前にもたらした恐るべき復讐の下に戦きながら跪ずいた。》
というように、「自然」が人間の力を超える力を発揮している場合に限っていたから、数が少なくなったのだと分かった。
じつはこの種の用例は「道草」の方が気になっていたところ、「門」にも拾えるように考えた次第。
「道草」の方が典型的で数も多いが1例だけ引いておけば、ボクの考えも通じやすいだろう。
 《さいわいにして自然は緩和剤としてのヒステリーを細君に与えた。》
早とちりして岩波を貶してしまったので、ここに記してお詫びする次第。
文学テクストから用語例をカウントして論じる日本語学者がいるのを横目で蔑んできたけれど、今度の件で索引作りの難しさ・面倒臭さはハンパないもんだと知ったヨ。