アメリカのセクハラ騒動  山形大学某センター長のパワハラ  東京学芸大学のセクハラ・パワハラ  渡邉健治

アメリカでは芸能界のプロデューサーや役者(や元大統領まで)のセクハラが話題になっているようで、遅ればせとはいいながら歓迎すべきことでこの調子で拡大してもらいたいものだ。
わが東京学芸大学でもボクが在職中に、中国人留学生が国語科日本語学のクレイ爺教員にセクハラ・パワハラにさらされたものの、最初の事情聴収では事実を報告できなかったように(その後改めて報告した)、セクハラの告白は特に「2度目のセクハラ」と言われるように被害者以外には想像を絶する困難があるということは知っておかねばならない。
アメリカでも次々と勇気をもった告発が拡大すれば、1人1人の背負うものが分担されるだけでなく、今後のセクハラ防止に役立つこと効果抜群だろう。
プロデューサーとか演出家のセクハラといえば、日本ではアメリカで話題の人と同様な犯罪を犯した演出家を樹希希林が告発したことがあったけど、名前を失念しているので(彼かな?というのは思い当るけど違ったら失礼なので記さない)覚えている人は教えてちょうだい。
ジェームス三木が話題になって消えて行ったのは多数の女がらみだったと思うけど、セクハラ・パワハラじゃなかったと記憶する。


山形大学その他では教員のパワハラが事務職員などから告発されていると知って、これも拡大してもらいたいものだ。
山形大学ではセンター長の教員が女性事務員にハサミまで投げつけたというのだから、絶対に許してはならない。
ただでさえ「教授」と名が付くと自己像が肥大化するバカがいる上に、「長」まで付くと威張り散らす低能が現れるのは山形大だけではない。
これもわが東京学芸大学でも、ボクが在職中に渡邉健治という副学長が事務員に当たり散らしてヒンシュクを買ったために、1期で副学長を降ろされたということがあった。
「現場」をその目で見た同僚が「渡邉は人の使い方を知らない!」と怒っていたけれど、大学は教員中心に成り立っているものと勘違いしているのが渡邉健治(と同類の教員)だ。
学生からもその手の評判を聞いたこともあるのは、事務員や学生に対する意識が尊大過ぎるからだ。
教員だけでなく、学生はもちろん事務の人がいなければ大学は成り立たない。
渡邉健治や山形大学の某センター長が、アメリカのセクハラ男のように肥大化した自己像のままに威張り散らし、相手の基本的人権を無視して平気でいられたのは、その人間の劣性を示して余りある。
学大では内部告発を免れたものの、山形大学では職員組合が告発した勇気ある判断は素晴らしいものの、当局がセンター長を守ろうとしているのは見苦しい限り。
学大でもボクのセクハラ等の告発に対して、村松泰子執行部が無視しようとしたのも当局の常套手段で醜いばかり。
小中高の学校でイジメによる自殺などを、校長・教頭たちが隠そうとしてきたクロ歴史が最近では反省される方向にあるのだから、山形大学の執行部も素直にセンター長に責任を取らせつつ自分たちも責任を引き受けるべきだ。