年賀状から  キョコタン  ホシフミ  タテバヤシ

何とキョコタン(高濱)から賀状が届いてビックリ!
去年の秋にボリビアから帰国していたのだネ、無事で何より。
30年以上大学教員をやっていたけど、研究室に集まったのは大まかに言うと2種類の人たち。
進歩的・左翼的人種と心に重いものを抱えている人、後者は狙ったようにボクの所に集まるのはルイトモ(類は友を呼ぶ)だと自覚している。
定時制高校の教員(7年間)の頃からの傾向だから、教員としてお役に立っているというヤリガイを感じ続けることができたナ。
キョコタンは前者の人種の典型で、だからこそ遥々ボリビアまで生身をさらしてボランティア活動に励んできたわけで、在職中はよくインドに行っていたものだ。
(子供も含めて)弱者のために行動せずにはいられないという衝動は、全共闘学生に典型されるような60年代の世界の若者が抱えていたもので、それと同じものを研究室の学生に感受することがしばしばあった。
インドのキョコタンはその代表的な存在と感じていたので、彼女が南米のキョコタンになったところで不思議はない(吉本ばななの小説にそんな題のがあったナ)。

また前振りが長くなってしまったけれど、今年ちょうだいした年賀状から印象的なものを紹介しようと思ったわけネ。
キョコタンもボリビアでたまに読んでいたと言う「関谷ゼミブログ」を、賀状の隅に「読んでます」という反響を記してもらうと、いつもながら「この人までが!」と意外な思いを抱いたり、更新を欠かせないという義務感まで生じてしまうので、義務にならないようにハンセイしている。
皆さん懐かしいホシフミが「キレッキレのブログを楽し」んでいるようなことを記してくれたけど、イチローのエゲツナイ表現がホシフミにはウケるのだろうナ。
あのホシフミが故郷の福島に帰って幼馴染みの消防士と結婚し、今や2人の子育てをしながら僻地で複式学級の担任をしているというのだから、昔日の彼女を知っている人は意外な感じを持つだろうネ。
チョンボで有名だったタテバヤシが、職場でも失敗をくり返しているそうだけど「タテバヤシほどの失敗はしていない」と書いてきたので笑えた。
昭和ゼミ恒例の館山合宿に、実家のある足利から参加するつもりで近くの館林(群馬県)に行ってしまい、宿へ行こうと乗ったバスの運転手から言われた言葉が限りなく面白くて歴史に残っている。
「オネエちゃん、スゴイこと教えて上げようか。ここは館山じゃなくて館林だヨ。」
彼女が集合時間をはるかに遅れて館山に着いたのは、言うまでもない。
それからというもの、彼女を本名(今は高田姓)で呼ぶ者はなくなり、通称タテバヤシとしか呼ばれなくなっている。

@ ハラが減ったので昼飯(フツーのヒトが夕飯を摂る時間だけど)を食べるから、今日はこれまで。