訂正2題  古今集  石川九楊

今、午前中にやった番組の後半を見ながら書き始めたのだけれど(それまでは「ブラタモリ」を見ながら三好行雄師の松本清張論を読んでいた)、NHKBSのプレミアムカフェ「京都 冷泉家の八百年」は意外に面白い。
初回放送は10年ほど前で、それ以降何度か再放送されているのではないかと思うけど、在職中だったせいかシッカリ見た記憶はないから面白さが分からなかった。
藤原俊成・定家の家柄に伝わっている文化の厖大さが、番組から視覚的に伝わってくるので迫力がある。
それはともあれ、最初から見た午前中に見たところに定家直筆(ステキ!)の「古今集」の冒頭部分が映っていたのを見て、「ア〜、ヤッパリ!」と己の間違いに気づいてしまった(とはいえ変体仮名をボクが正確に読めているとは限らない)。
年賀状の挨拶に「春立つ今日の」(「古今集」冒頭歌)と記したものの、冒頭だったかどうかに確信が持てなかったのだ。
《袖ひぢて結びし水の凍れるを春立つ今日の風や解くらん》(仮名使いが分からないから漢字書きでごまかしている)
この歌は3つの時間を歌い込んだ技巧も含め、「古今集」の中では好きな歌(一番すきなのは「新古今集」)だけれど、テレビ画面に映っていた冒頭歌は「こぞ(去年)とや言わん今年とや言わん」のように見えたので「しまった!」と思ったのだ。
この虚子の「こぞ(去年)今年貫く棒のやうなもの」という著名句の本歌(?)になったであろう歌こそが、「古今集」の冒頭歌だとすれば新年早々堂々と間違いをひけらかしてしまった次第、記してお詫び申し上げます。
そもそも自家の古典全書30冊ほどの中には古今も新古今もないので(新古今は学部時代にクボジュン《久保田淳先生》のテキストとして持っていたのだけれど、その後捨てたらしい)確かめようが無かったのだ(万葉の文庫本はあったけど)。
それなら本屋で立ち読みしてくれば済むのに、出掛けるとすぐに忘れてしまうのが数年前からの習性(ボケ)だからダメなんだナ。


もう1件、訂正しなければならない。
石川九楊氏が最近大きめな受賞をしたようなことを記してしまったけれど、朝日新聞に連載記事が載ったことと取り違えてしまったようだ。
なぜ石川氏が頭の中に残っていたのかは、何度か紹介した「語るーー人生の贈りもの」という10くらいの連載に石川氏が取り上げられていたのだった。
それも去年ではなく、新年の4日から始まった記事だった。
ボクの勘違いはともあれ、例によって面白い内容だから一読をおススメします。


恥ずかしい思い違いを2つも続けざまに犯してしまった。
恥といえば、ガリレオの「地球は回る」を聞いて、頭の中で「恥丘をこする」と変換して独り笑ったこともあった。
恥の上塗りでした、スミマセン!