3月11日、綺堂に決定

3月11日(日曜)午後2時〜
学大国語第一演習室
岡本綺堂「半七捕物帳」より「女行者」
(レポ) クリマン君(栗田卓クン・フェリス女学院大学非常勤講師)

@ テキストは青空文庫でも読めるそうです。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1011_15003.html



 明治三十二年の秋とおぼえている。わたしが久松町の明治座を見物
にゆくと、廊下で半七老人に出逢った。
「やあ、あなたも御見物ですか」
 わたしの方から声をかけると、老人も笑って 
えしゃく
会釈 した。そこはほん
の立ち話で別れたが、それから二、三日過ぎてわたしは赤坂の家をた
ずねた。半七老人の劇評を聞こうと思ったからである。そのときの狂
言は「 
てんいちぼう
天一坊 」の通しで、初代左団次の大岡越前守、権十郎の山内伊
賀之助、小団次の天一坊という役割であった。
 わたしの予想通り、老人はなかなかの 
みこうしゃ
見巧者 であった。かれはこの
狂言の書きおろしを知っていた。それは明治八年の春、はじめて守田
座で上演されたもので、彦三郎の越前守、左団次の伊賀之助、菊五郎
天一坊、いずれも役者ぞろいの大出来であったなどと話した。
「御承知の通り、江戸時代には天一坊をそのままに仕組むことが出来
半七捕物帳女行者
ないので、大日坊とか何とかいって、まあいい加減に誤魔化していた
んですが、明治になったのでもう遠慮はいらないということになって、
講釈師の伯円が先ず第一に 
こうざ
高座 で読みはじめる。それが大当りに当っ
たので、それを種にして芝居の方でも河竹が仕組んだのですが、それ
が又大当りで、今日までたびたび舞台に乗っているわけですが、やっ
ぱり書きおろしが一番よかったようですな。いや、こんなことを云う
から年寄りはいつでも憎まれる。はははははは」
 芝居の話がだんだん進んで、天一坊の実録話に移って来た。
天一坊のことはどなたも御承知ですが、江戸時代には女天一坊とい
うのも随分あったもんですよ」と、老人は云った。「 
もっと
尤もそこは女だけ
に、将軍家の 
ごらくいん
落胤 というほどの大きな触れ込みをしないで、男の天
一坊ほどの評判にはなりませんでしたが、小さい女天一坊は幾らもあ
りましたよ。そのなかで、まず有名なのは日野家のお姫様一件でしょ
う。あれはたしか文化四年四月の 
もうしわた
申渡 しとおぼえていますが、町奉行
所の申渡書では品川 
じゅく
宿 
はたごや
旅籠屋 安右衛門 
かかえ
抱とありますから、品川の貸座
半七捕物帳女行者
敷の娼妓ですね。その娼妓のお 
こと
琴という女が京都の 
ひのちゅうなごんけ
日野中納言家 の息
女だと云って、世間の評判になったことがあります。その頃、 
くげ
公家 の
お姫様が 
じょろう
女郎 になったというのですから、みんな不思議がったに相違
ありません。お琴は奉公中に主人の店をぬけだして、浅草源空寺門前
の善兵衛というものを家来に仕立て、例の日野家息女をふりまわして、
正二位 
ないじのつぼね
内侍局 とかいう 
かたがき
肩書 で方々を押し廻してあるいていることが奉
行所の耳へきこえたので、お琴も善兵衛も吟味をうけることになりま
した。しかし奉行所の方でも大事を取って、一応念のために京都へ問
いあわせたのですが、日野家では一切知らぬという返事であったので、
結局お琴は重追放、善兵衛は手錠を申し渡されて、この一件は 
らくぢゃく
落着 し
ました。なぜそんな偽りを云い触らしたのか判りませんが、おそらく
品川の借金をふみ倒した上で、なにか山仕事を 
もくろ
目論 もうとして失敗し
たもので、つまりこんにちの 
にせ
華族というたぐいでしたろう。それが
江戸じゅうの噂になったので、狂言作者の名人南北がそれを 
せいげん
清玄 桜姫
のことに仕組んで、吉田家の息女桜姫が 
せんじゅ
千住 の女郎になるという筋で
半七捕物帳女行者
大変当てたそうです。その劇場は 
こびきちょう
木挽町 の河原崎座で『 
さくらひめあずまぶんしょう
桜姫東文章 』
というのでした。いや、余計な前置きが長くなりましたが、これから
お話し申そうとするのは、その日野家息女一件から五十幾年の後のこ
とで、文久元年の九月とおぼえています」
 
 八丁堀同心岡崎長四郎からの迎えをうけて、半七はすぐにその屋敷
へ出かけて行った。それは秋らしい雨のそぼ降る朝であった。
「悪いお天気で困ります」
「よく降るな。秋はいつもこれだ、仕方がねえ」と、岡崎は雨に濡れ
ている庭先をながめながら 
うっとう
欝陶 しそうに云った。
「いや、この降るのに気の毒だが、ちっと調べて貰いたい御用がある。
この頃、 
かやばちょう
茅場町 に変な奴があるのを知っているか」
「へえ」と、半七は首をかしげた。
「もっと
尤 
も、この頃は変な奴がざらにころ
転 
がっているから、唯そればかりじゃ
あ判断がつくめえ」
半七捕物帳女行者
 岡崎はちょっと笑い顔をみせたが、又すぐにまじめになった。
「変な奴の正体は女の 
ぎょうじゃ
行者 だ。案外に年を食っているかも知れねえが、
見たところは十七か十八ぐらいの美しい女で、何かいろいろの 
きとう
祈祷 の
ようなことをするのだそうだ。まあ、それだけなら見逃がしても置く
が、そいつがどうも 
怪け
しからねえ。女がいい上に、祈祷が上手だとい
うので、この頃ではなかなか信者がある。この信者のなかで 
くめん
工面 のよ
さそうな奴を奥座敷へ引き摺り込んで、どう誤魔化すのか知らねえが、
多分の金を寄進させるという噂だ。男だけならば色仕掛けという狂言
かとも思うが、そのなかには女もいる。いい年をした爺さんも婆さん
もある。それがどうも 

腑 に落ちねえ。いや、まだ怪しからねえのは、
そいつが京都の 
く げ
公家 の娘だと云っているそうだ。 
れいぜいためきよ
冷泉為清 卿の息女で、
 
さえもんのつぼね
左衛門局 だとか名乗って、白の小袖に 
緋ひ
のはかま
袴 
をはいて、下げ髪にむら
さき 
ちりめん
縮緬 の鉢巻のようなものをして、ひどく物々しく構えているが、
前にもいう通り、 
きりょう
容貌 は好し、人品はいいので、なかなか 
こうごう
神々 しくみ
えるということだ。どうだ、ほんものだろうか」
半七捕物帳女行者
「そうですねえ」と、半七は再び首をかしげた。「京都へお聞きあわせ
になりましたか」
「勿論、念のために聞き合わせにやってある。その返事はまだ判らね
えが、冷泉為清という公家はいねえという話だ。といったら、考える
までもなく、それは偽者だというだろうが、なにぶんにも今の時節だ。
ひょっとすると、ほんとうの公卿の娘が何かの都合でいい加減の名を
いっているのかも知れねえからな。そこが詮議ものだ」
「ごもっともでございます」
 半七もうなずいた。今の時節―――勤王討幕の議論が沸騰している今
の時節では、仮りにも京都の公家にゆかりがあるという者、それは厳
重に詮議しなければならない。殊に祈祷にことよせて、多分の金銀を
あつめるなどとは聞き捨てにならない。討幕派の軍用費調達というほ
どの大仕掛けではなくとも、江戸をあばれ廻る浪士どもの運動費調達
ぐらいのことは無いともいわれない。岡崎が懸念するのも無理はない
と思ったので、半七はすぐにその探索に取りかかることを受け合って
半七捕物帳女行者
帰った。
 かれは神田の家へ帰って、子分の多吉を呼んだ。多吉はその話を聞
かされて頭をかいた。
「親分、申し訳ありません。その女の行者のことは、このあいだから
わっしもちらりと聞き込んでいたんですが、ついその儘にして置いて、
八丁堀の旦那に先手をうたれてしまいました。こいつは大しくじり、
あやまりました。だが、あの辺は瀬戸物町の持ち場じゃありませんか」
「瀬戸物町もこの頃はひどく弱ったからな」と、半七は考えながら云っ
た。
 多吉のいう通り、茅場町辺の事件ならば、そこは瀬戸物町の源太郎
という古顔の岡っ引がいるので、当然彼がその探索を云い付けられる
筈であるが、源太郎はもう老年のうえに近来はからだも弱って昔のよ
うな活動も出来なくなった。子分にもあまり 
うでき
腕利 きがなかった。それ
らの事情で今度のむずかしい探索は特に半七の方へ重荷をおろされた
のであろう。それを思うと、彼はいよいよ責任の重いのを感じないわ
半七捕物帳女行者
けには行かなかった。
「多吉。まあ、しっかりやってくれ。なにしろ其の行者という奴が一
体どんなことをするのか、それを先ず詳しく詮議しなければなるめえ。
なんとかして 
たぐ
手繰 り出してくれ」
「ようがす。一つ働きましょう」
 事件の性質が重大であるのと、ひとの縄張りへ踏み込んで働くとい
う一種の職業的興味とで、年若い多吉は勇み立って出て行ったが、普
通の人殺しや物盗りなどとは違って、事件の範囲も案外に広いかも知
れないという 
け ねん
懸念 があるので、半七は更に下っ引の源次をよび付けた。
こういう事件には、なまじ其の顔を識られている手先よりも、秘密に
働いている下っ引の方がかえって都合がいいかも知れないと思ったか
らである。
 相手が京都の公家の娘で、問題が勤王とか討幕とかいう重大事件で
あるから、下っ引の源次はすこし躊躇した。これは自分の手にも負え
そうもないから、誰か 
ひ と
他人 に引き受けさせてくれと一応は断わったが、
半七捕物帳女行者
半七から説得されてとうとう受け合って帰った。きょうの雨は日の暮
れるまで降りつづけて、宵から薄ら寒くなったが、多吉も源次も帰っ
て来なかった。
「何をしていやあがるのか。いや、無理もねえ。あいつらにはちっと
荷が重いからな」
 こう思って、半七は気長に待っていると、その夜の四ツ(午後十時)
過ぎに多吉が帰って来た。
「よく降りますね」
「やあ、御苦労。そこで早速だが、ちっとは種が挙がったか」と、半
七は待ち兼ねたように 
訊き
いた。
「まだ十分というわけには行きませんが、少しは種を洗い出して来ま
した」と、多吉は得意らしく云った。
「まあ、聴いておくんなせえ。その行者というのはまったく十七八ぐ
らいに見えるそうです。すてきに 
きりょう
容貌 のいい上品な女で、ことばも京
なまりで、まあ誰がみてもお公家さまの娘という位取りはあるそうで
半七捕物帳女行者
すよ。なんでも高い段のようなものを築いて、そこへ 
ごへい
御幣 や 
さかき
榊をたて
て、座敷の四方には 
し め
注連 を張りまわして、自分も御幣を持っていて、そ
れを振り立てながら何か 
いの
祷りのようなことをするんだそうです」
「どんな祷りをするんだろう」
「やっぱり家運繁昌、病気平癒、 
失う
せもの 
たず
尋ねもの、まあ早くいえば
世間一統の行者の祈祷に、うらないの判断を 

搗 きまぜたようなもので、
それがひどく 
ききめ
効目 があるというので、ばかに信仰する奴らがあるよう
です。なんでも毎日五六十人ぐらいは詰めかけるといいますから、随
分 
みい
実入 りがあることでしょう。祈祷料は 
おぼしめ
思召 しなんですけれど、ひと
りで二 
歩ぶ
三歩も納める奴があるそうですから、たいしたものです」
「それはまあそれとして、その行者は 
くめん
工面 のよさそうな信心ものを奥
へ連れ込んで、なにか秘密の祈祷をして多分の金を寄進させるという
じゃあねえか。それはどうだ」
「それもあるらしいんです」と、多吉はうなずいた。「だが、それは
いっさいの秘密の 
ぎょうほう
行法 で、うっかり口外すると一年 
経た
たねえうちに命
半七捕物帳女行者
がなくなると 
おど
嚇かされているので、誰もはっきりと云うものがねえそ
うです。それに、その秘密を行なうのはいつでも夜なかときまってい
て、どこの誰が秘密の祈りをして貰ったということが 
ひ と
他人 に知れると、
その 
げ験

がないというので、秘密の祈りを頼むものは世間がみんな寝静
まった頃に、顔を隠したり、姿を変えたりして、そっと裏口から出入
りをしているので、誰だかよく判らないということです。行者の奴め、
なかなかうまく考えたもんですよ」
「むむ」と、半七は又かんがえた。「そのほかに何か浪人らしい者の出
這入りする様子はねえか」
「それは聞きませんでした」
「行者の家には、当人のほかにどんな奴らがいる」と、半七は訊いた。
「なにか、弟子のような者でもいるのか」
「五十ばかりの男と、十五六になる小娘と、ほかに台所働きのような
女が二人いるそうですが、台所働きはこのごろ雇った山出しの奉公人
で、祈祷の方のことは 
いっさい
一切 その男と小娘とが引き受けてやっているん
半七捕物帳女行者
だそうです」
 多吉の報告はそれだけであった。
 
     二
 
 あくる朝になって源次が来た。
「親分。多吉さんの方で面白いことが手に入りましたかえ」
「面白いというほどのことも判らねえが、まあ少しばかり眼鼻をつけ
て来た。そこで、おめえの方はどうだ」と、半七はすぐに訊いた。
「わたくしの方でも取り立ててこうというほどの種は挙がりませんが、
唯ひとつ、妙なことを聞き出しましたよ。 
ふきやちょう
葺屋町 に 
たどん
炭団 伊勢屋という
大きい紙屋があります。何代か前の先祖は炭屋をしていたとかいうの
で、世間では今でも炭団伊勢屋といっているんですが、地所 
か さく
家作 は持っ
ていて、 
しんしょう
身上 はなかなかいいという評判です。その伊勢屋の息子が此
の頃すこし乱心したようになって……。息子は久次郎といって、こと
半七捕物帳女行者
し 
はたち
二十歳 になるんですが、 
やくしゃ
俳優 の河原崎権十郎にそっくりだというの
で、権十郎息子というあだ名をつけられて、浮気な娘なんぞは息子の
顔みたさに、わざわざ遠いところから半紙一帖ぐらいを伊勢屋まで買
いに来るようなわけで、かたがた其の店も繁昌していたんですが、例
の行者のところへ行って来てから、なんだか少し気が変になったとい
うんです」
「その息子も祈祷をたのみに行ったのか」
「久次郎のおふくろというのが、その春の末頃から 
しょう
性の知れない病気
でぶらぶらしているので、茅場町に上手な行者があるという噂をきい
て、一度見て貰いに行ったのが病みつきになってしまったんです」
 久次郎も世間の噂に釣り込まれて、最初は半信半疑で母のお豊を連
れてゆくと、神のように美しい行者はお豊をひと目見て、これは怪し
い 
けもの
獣の祟りである、自分の祈祷できっと本復させてやると云った。久
次郎もそれを信用して、なにぶんお頼み申すと云うと、行者はお豊を
神壇の前に坐らせて、一種のおごそかな祈祷を行なってくれた。その
半七捕物帳女行者
効験は著しいもので、お豊はそのあくる朝から 
しんき
神気 がさわやかになっ
て、七日ほどの後には元の達者なからだに回復した。それだけでも、
伊勢屋一家の信仰を買うには十分であって、伊勢屋からは少なからぬ
奉納物を神前にささげた。取り分けて久次郎は美しい行者を尊崇した。
 かれが奉納物を持参したときに、行者は久次郎の顔をつくづく眺め
ながら云った。
「はて因果はおそろしい。おふくろ様ばかりでなく、おまえにも同じ
祟りが付きまとうています。その禍いの来たらぬうちに、早くお 
は祓


をなされてはどうでございます」
 あくまでかれを尊崇している久次郎に異存のあろう筈はなかった。
かれはその日からすぐに祈祷をたのむことになったが、行者は 
いちしちにち
一七日 
のあいだ 
にっさん
日参 しろと云った。久次郎は勿論その指図通りにした。初め
の三日は昼のうちに通っていたが、四日目からは奥の一と間で秘密の
祈祷をうけることになって、夜ふけを待って通っていた。しかし其の
一七日を過ぎても、かれの祈祷は終らなかった。行者は更に一七日の
半七捕物帳女行者
参詣をつづけろというと、久次郎はやはりその指図にそむかなかった。
かれは毎晩かかさず通いつづけていた。
 行者を信仰している伊勢屋では、久次郎の日参を怪しまなかった。
母のお豊はむしろ我が子をすすめて出してやるほどであったが、久次
郎の参詣が初めの一七日が過ぎて更に二七日となり、又もや三七日と
なり、四七日とつづくようになったので、店の番頭どもは少し不安を
感じて来た。おふくろの病気は唯一度の祈祷で平癒したのに、息子の
病気、しかも差し当ってはどうということもない病気が、幾日の祈祷
を頼んでも去らないのはどういうわけであろう。殊に夜更けを待って
秘密の祈祷をつづけるというのも少しおかしいと、一の番頭の重兵衛
が、それとなくお豊に注意したが、かの行者を固く信用しているお豊
は絶対に耳を 藉

 さなかった。伊勢屋の主人は五年まえに世を去って、
今では 
ごけ
後家 のお豊がひとり息子の 
こうけん
後見 役でこの大きな店を踏まえてい
るのであるから、彼女が飽くまで行者を信仰して、わが子の祈祷にな
んの故障もない限りは、ほかの奉公人どもが 
強し
いてそれをさえぎるわ
半七捕物帳女行者
けには行かなかった。久次郎はその後も相変らず通いつづけていた。
その奉納物は親子二人きりの相談で、店の者共にはよく判らないので
あるが、ひと月あまりのあいだに二、三百両を運び込んだらしいと番
頭どもは睨んでいた。
 そうしているうちに、久次郎の様子がだんだんおかしくなって、こ
の頃はちっとも落ち着かないようになって来た。店に坐っていたかと
思うと、不意にどこへかふらふらと出て行ってしまうのである。彼は
なんだか魂のぬけた人のようにみえた。権十郎息子の顔色がひどく蒼
ざめて来た。
「まあ、こういうわけで、店の若い者や小僧なんぞは、若旦那は気が
違ったらしいと云っているんです」と、源次は説明した。
「むむ、気が違ったかも知れねえ」と、半七はほほえんだ。「相手はす
ばらしく美しい行者というじゃあねえか」
「そうです、そうです。むこうが若い美しい行者で、こっちが権十郎
半七捕物帳女行者
息子というんですからね」と、源次1 も笑った。
 しかし半七は笑ってばかりもいられなかった。単にこれだけの事件
であるならば、問題は案外に単純であるが、かの怪しい行者は勤王と
か討幕とか、京都の公家の娘とかいう、大きな背景を持っているらし
いだけに、半七は 
うかつ
迂濶 に彼女に手をつけることが出来なかった。軽は
ずみのことをして、たとい本人だけを引き挙げたところで、ほかの徒
党を取り逃がしてしまっては何もならない。うまく工夫して彼等の一
類を一網に狩りあげることを考えなければならない。半七は源次に云
いつけて、これから毎夜茅場町の近所に網を張って祈祷所へ出入りす
るものを偵察させることにした。
 その日の夕方になって、多吉が再び来た。
「親分、どうも思うような種はあがりませんよ。女の行者はお 
つぼね
局様と
かお 
ひい
姫様とかいっているだけで、ほんとうの名はわかりません。五十
ばかりの家来の男は式部といっているそうで、どうも 
かみがた
上方 生まれに相
1
「源次」は底本では「源次郎」
半七捕物帳女行者
違ないようです。十五六の小娘は藤江といって、これもなかなか 
きりょう
容貌 
がいいんですけれど、行者のほんとうの妹か身寄りの者か、そこはよ
く判らないそうです。台所働きはお由とお庄というんですが、これは
飯炊きや水汲みに追い使われているだけで、奥の方のことは何も知ら
ないようです」
「ゆうべも云ったことだが、祈祷をたのむ者のほかに誰も出這入りす
るらしい様子はねえのか」と、半七は念を押して訊いた。
「わっしもそこが大切だと思って近所の者によく訊いてみたり、お由
という女中が外へ出るところを 
つか
捉まえて、それとなく探りを入れて見
たんですが、まったく誰も出這入りをするらしい様子がないんです」
「夜になって祈祷をたのむ奴が幾人ぐらい来る」
「それがこの一と月ほどは一人も来ねえそうです。頼む奴が来ねえの
じゃねえ、行者の方でなにか 
からだ
身体 がわるいとかいうので、夜の祈祷は
みんな断わっているんだそうです。だが、その中でたった一人かかさ
ずに来る奴があります」
半七捕物帳女行者
「紙屋の息子か」
「あ、源次の奴ほじくり出しましたかえ。あいつ油断がならねえ」と、
多吉は鼻毛をぬかれたような形で少し

 て

 れた。「じゃあ、その方は大抵
御承知ですね」
「だが、まあ話してみろ」
 多吉の報告も源次とあまり違わなかった。そうして、紙屋の久次郎は
色仕掛けでたくさんの祈祷料をまきあげられているに相違ないと云っ
た。
「そうだろう。誰が考えても、落ち着くところは同じことだが、ただ
困るのは徒党の奴らだ」と、半七は云った。「夜なかに祈祷をたのむ振
りをして、姿をかえて入り込むのじゃねえかと思うが、これも此の頃
はちっとも来ねえというのじゃあ仕方がねえ。行者の奴らをつかまえ
るのは 
いつ
何日 でも出来る。あいつ等はまあ当分は 
いけす
生簀 にして置いて、ほ
かから来る奴らに気をつけろ」
 多吉は承知して帰った。
半七捕物帳女行者
 それから半月ほど経ったが、多吉も源次も思わしい成績をあげること
が出来なかった。その報告はいつも同じことで、夜になっては紙屋の
息子のほかに誰も出這入りするものは無いとのことであった。行者の
家でも女中が買物に出るほかには、誰も外出するものはないらしかっ
た。
「半七、どうだ。貴様にしてはちっと足が 
のろ
鈍いな」
 八丁堀同心の岡崎からときどきに催促されて、半七も気が気でなかっ
た。こうなったら仕方がない。まず行者一家の者どもを引き挙げて、
それをぶっ叩いて白状させるよりほかあるまいと、かれは内々でその
手配りにかかっていると、あしたが 
いけがみ
池上 のお 
えしき
会式 という日の朝、多吉
があわただしく駈け込んで来た。
「親分、紙屋の息子が二、三日前から姿を隠したようです」
「行者はどうした」と、半七はすぐに訊いた。「まさかに駈け落ちをし
たわけでもあるめえ」
「行者はやっぱり 
うち
家にいます。それについて、行者の家の式部という
半七捕物帳女行者
奴がなにか紙屋へ掛け合いに行ったらしいんです」
 そう云っているところへ源次も来た。
 
     三
 
 今度の事件については、多吉はとかく下っ引の源次に 
せん
先を越されて
いた。源次は多吉の報告以上に、紙屋の息子が姿をかくした事件を詳
しく知っていた。
 源次の話によると、きのうの 
ひる
午過ぎにかの式部が 
たどん
炭団 伊勢屋へたず
ねて来て、後家のお豊に厳重な掛け合いを持ち出した。それは当家の
伜久次郎どのがお姫様に対して無礼を働いたというのであった。久次
郎どのには怪しい獣の 
あくりょう
悪霊 が付きまとっているので、それを 
はら
祓うため
に毎夜秘密の祈祷を行なっていることは、おふくろ殿もかねて御存じ
の筈である。本来ならば一七日の祈祷で当然その禍いを祓い得べきで
あるのに、今度の祈祷に限って不思議にその 
げん
験がみえない。更に二七
半七捕物帳女行者
日、三七日、四七日と祈りつづけても、やはりその験のあらわれない
のは甚だ不思議に思っていたところが、今になってその仔細が初めて
判った。当人の久次郎どのが汚れた心を持っていたからである。久次
郎どのは毎夜かかさず通って来るのは、まことの心からの信心ではな
い。実はお姫様に 
けそう
懸想 していたのである。現にゆうべの祈祷の休息の
あいだに、彼はお姫様をとらえて 
みだ
猥らなことを云い出した。実に言語
道断の 
ふらち
不埒 である。
 お姫様は勿論それを取り合われる筈はなかった。持っていた 
へいそく
幣束 で
彼の面を一つ打ったままで、無言で奥の間へはいってしまわれたが、
それを知った拙者はすぐにその場へ踏み込んで、久次郎の不埒をきび
しく叱って、今後決して、参ることは相成らぬと襟髪をつかんで表へ
突き出してしまった。久次郎どのは何と云っているか知らないが、事
実は全くこの通りであって、お姫様を 
けが
涜そうとするのは神を涜そうと
するも同じことである。久次郎どの如き言語道断の不埒者はもとより
相手にはならない。改めておふくろ殿にお掛け合いをいたすために、
半七捕物帳女行者
こんにち 
まか
罷り越した次第であると、式部は形を正しゅうしておごそか
に云った。
 思いもよらない掛け合いをうけて、お豊は魂が消えるほどにびっく
りした。殊に自分は飽くまでもかの尊い行者を信仰しているだけに、
わが子の不埒が重々面目なかった。面目ないというよりも、かれは実
におそろしかった。彼女は畳に 
ひたい
額をうずめて、恐れかしこんでわが子
の罪を 
いくえ
幾重 にも詫びた。かれは当然自分ら親子のうえに落ちかかって
来るべき神の御罰をのがれるために、あらためて謝罪の祈祷を嘆願し
た。祈祷料の二百金は式部のまえに差し出された。式部は容易にそれ
に手を触れなかったが、結局お姫様の思召しをうけたまわるまで、と
もかくもお預かり申して置くということになって、その二百両を受け
取って帰った。
 式部の帰ったあとで、お豊はすぐ久次郎を奥へ呼んだ。相変らずぼ
んやりして店へ坐っていた久次郎は、母のまえに出てその詮議をうけ
たが、かれの答弁はすこぶるあいまいであった。尊い行者を涜そうと
半七捕物帳女行者
した事実について、彼はそれを絶対に否認しようともしなかったので、
母はいよいよ悲しみ嘆いて、神罰のおそろしいことをくれぐれも云い
聞かせた。今後その汚れた心を入れかえて、身に付きまとった禍いを
 
はら
祓わなければならないと、涙ながらに説き 
さと
諭した。久次郎は黙ってお
となしく聴いていた。
 日が暮れてから久次郎はいつものようにふらりと何処へか出て行っ
たが、夜が更けても帰らなかった。伊勢屋でも心配して、念のために
式部のところへ聞きあわせてやると、久次郎はきのうから一度もみえ
ないという返事であった。久次郎はその晩も帰らなかった。そうして、
今朝になってもまだ帰らないので、伊勢屋ではいよいよ不安を感じた。
式部が掛け合いのことはお豊ひとりの胸に秘めて、店の者にはいっさ
い秘密にしてあったのであるが、もう 
斯こ
うなってはかく
匿 
しても隠されな
いので、お豊は番頭どもを呼びあつめて、その秘密を打ちあけた。番
頭共には差し当ってどうという確かな見当も付かなかったが、おそら
く自分の不埒を恥じ悔んで、面目なさの家出であろうということに諸
半七捕物帳女行者
人の意見が一致した。
 家出の動機がそれであるとすると、久次郎の身のうえにかかる不安
はいよいよ大きくなって来た。お豊は狂気のようになって騒ぎ出した。
かれはすぐに祈祷所へ駈けて行って、久次郎のゆくえを 
うらな
占って貰うこ
とにした。番頭の重兵衛は瀬戸物町の源太郎のところへ駈けつけて、
秘密にその探索方をたのんだ。親類そのほかの心当りへも使を出した。
 この報告を聞いて、半七は膝を立て直した。
「それじゃあ、いよいよ思い切って手入れをしなけりゃあなるめえ。
伊勢屋の番頭が瀬戸物町へ駈け込んで、そっちから何かちょっかいを
出されると面倒だ」
「すぐにやりますかえ」と、多吉は 
訊き
いた。
「むむ、すぐに取りかかろう。相手はその行者と、式部とかいう奴と、
藤江という女だ。まずそれだけだな。いや、かかり合わねえといって
も、女中ふたりも逃がしちゃあいけねえ。まだほかにどんな奴が忍ん
でいるかも知れねえ。源次は表向き面出しをするわけにも行かねえん
半七捕物帳女行者
だから、多吉一人じゃあちっと手不足かも知れねえよ。善八でも呼ん
で来い」
「善八ひとりでたくさんですかえ」
「それでよかろう。なんといっても相手は女だ。そんなに大勢でどや
どや押し掛けて行くのも見っともねえ」
 多吉はすぐに子分の善八を呼びに行った。源次はその後の模様を探
るために、再び炭団伊勢屋の方へ出て行った。半七が身支度をして神
田の家を出たのは朝の四ツ(午前十時)過ぎで、 
えしきざくら
会式桜 もまったく咲
き出しそうな、うららかな小春 
びより
日和 であった。
 半七は途中で買物をして、更になにかの支度をして、日本橋茅場町
祈祷所へたずねてゆくと、以前は誰が住んでいたか知らないが、新ら
しく作り直したらしく門柱には神教祈祷所という大きな札がかけられ
て、玄関先に 
しめ
注連 が張りまわしてあった。六畳ばかりの玄関には十四
五人の男や女が押し合うように詰めかけていて、坐り切れない人達は
式台の上までこぼれ出していた。半七もおとなしくそこに坐って、自
半七捕物帳女行者
分の順番のくるのを待っていると、そのあとから又五、六人がだんだ
んはいって来た。そのなかには子分の善八もまじめな顔をしてまじっ
ていた。かれは勿論半七の方を見返りもしないで、ほかの人達となに
か小声で話しているらしかった。
 一人ひとりの祈祷や占いが可なり長くかかるので、半七は 
いっとき
一晌 ほど
も待たされたが、それでも 
こん
根よく辛抱していた。先の人が立ち去ると、
入れ代りのように後の人がまた詰めかけて来るので、玄関にはいつで
も十四五人が待ちあわせている。なるほど、なかなか流行ることだと
半七は思っていると、やがて自分の番がまわって来て、かれは正面の
祈祷所へ通された。
 祈祷所は十五六畳ばかりの座敷で、その構えは先に多吉が報告した
通りであった。正面には 
み す
御簾 を垂れて、鏡や榊や 
へいそく
幣束 などもみえた。
信心者からの奉納物らしい目録包みの巻絹や巻紙や鳥や野菜や菓子折
や紅白の餅なども 
そこ
其処 らにうず高く積まれてあった。若い美しい行者
は藁の 
え んざ
円座 のようなものの上に坐って、手には幣束をささげていた。
半七捕物帳女行者
少し下がったところに、それが 
彼か
の式部というのであろう、五十ばか
りの如何にも京侍らしい惣髪の男が、白い袴に一本の刀をさして行儀
ただしく控えていた。神前をはばかるのか、かれは絶えずうつむいて
いるが、ときどき鋭い 
うわめ
上目 使いをしてあたりに注意しているらしいの
が半七の眼についた。
「どうぞお進みください」と、式部は静かに云った。
「ごめんください」
 半七は丁寧に会釈して進み出て、正面の行者の顔をみあげた時、そ
のそばに一人の若い女が控えているのを更に見いだした。女は白絹の
小袖を着て、おなじく白い 
きりばかま
切袴 をはいていた。それが 
彼か
藤江という
のだろうと半七はすぐに覚った。
 藤江も美しい少女であったが、正面の座に直っている行者は更にう
るわしいものであった。十七八というのは彼女の美に惑わされた報告
で、どうしても 
は たち
二十歳 か、あるいは二十歳を一つ二つぐらいは越えてい
るらしいが、見たところは如何にも若々しかった。彼女は 
おしろい
白粉 のあつ
半七捕物帳女行者
い顔に 
まゆずみ
眉黛 を濃くして、白い小袖の上に水青の 
かりぎぬ
狩衣 を着ていた。緋の
袴という報告であったが、きょうは白い袴をはいていた。万事の応対
はすべて式部が引き受けているので、かれはひと言も口を利かなかっ
た。
「して、御祈祷をおたのみでござるか」と、式部は訊いた。
「はい」と、半七は再び 
かしら
頭をさげた。「実はわたくしの母が昨年以来、
なにか付き物でも致したようで、時々に取り留めもないことを口走り
ますので、まことに困り果てて居ります」
 何分にもそのお 
はら
祓いをお願い申したいと云って、半七は白木の台付
きの箱をうやうやしく捧げて出した。箱の形から見て、それは一匹の
白絹であるらしかった。式部も 
えしゃく
会釈 して、その箱をうけ取って、まず
行者のまえに押し直すと、行者は幣束を取り直してその箱のうえを一
度払った。そうして、神前に供えよと 
あご
頤で知らせると、式部は心得て
その通りにした。
「お聴きの通りでございますが、お 
いの
祷り下さりましょうか」と、式部
半七捕物帳女行者
はあらためて行者に訊くと、彼女はやはり無言でうなずいた。
「では、もっと近うお進みください。御遠慮なく……」
 式部は半七を頤でまねいた。半七は会釈して又ひと膝すすみ出ると、
行者の衣にはなにかの香が 
た焚き
籠こ
 
めてあるらしく、 
らんじゃ
蘭奢 とでもいいそ
うな一種の匂いが彼の鼻にしみた。
 
     四
 
 行者は半七の顔をひと目みて、さらに何事かを問いたそうに式部を
見かえると、半七は声をかけた。
「いえ、一々お取り次ぎは、かえってお願いの筋が通り兼ねるかとも存
じます。御用でございましたらば、わたくしから 
じきじき
直々 に申し上げます」
「いや、そのような失礼があってはならぬ」と、式部はさえぎった。
「おたずねのこと、お答えのこと、すべて拙者がうけたまわる。して、
こなたの母御は当年何歳で、なんの年の御出生でござるかな」
半七捕物帳女行者
「母は六十で、 
いぬ
戌年の生まれでございます」と、半七は答えた。
「ふだんから何かの御持病でもござるか」
「別にこれということもございませんが、二、三年前から折りおりに
 
しゃく
癪に悩むことがございます」
「左様でござるか。では、これから御祈祷にかかられます」
 式部はうながすように行者の顔色をうかがうと、彼女は形をあらた
めて神前に向き直ろうとした。その時、半七は再び声をかけた。
「恐れながら申し上げます。この御祈祷におかかり下さる前に、わた
くしの御奉納物を一度おあらためを願いたいと存じますが……」
「なんと云わるる」と、式部は少し眉をよせた。「こなたが奉納の品を
一応あらためてみろと云われるか」
「どうぞお願い申します」
 行者はなんにも云わなかった。式部はすぐに起ちあがって、神前に
一旦供えたかの白木の箱を取りおろしてしずかにその 
ふた
蓋をあけると、
かれの顔色がにわかに変った。半七は黙ってその顔色をうかがってい
半七捕物帳女行者
ると、式部は案外におちついた声で云った。
「町人、これはなんでござる」
「御覧の通りでございます」
「どういうわけで、かようなものを持ってまいられた」と、式部は箱
のなかの品を睨みながら云った。
 行者も横目にその箱をのぞいて、これもにわかに顔の色を変えた。
傍にひかえている藤江も伸びあがって一と目みて、身をふるわせるよ
うに驚いたらしかった。半七が神前に奉納した箱のなかには、泥だら
けの古草履が入れてあった。
「こなたの母には何か付き物がしているとか云うが、こなたにも付き
物がしているらしい」と、式部の声はだんだんに尖って来た。「当座の
いたずらか、但しは仔細あってのことか。いずれにしても 
怪け
しからぬ
儀、御神罰を 
こうむ
蒙らぬうちに早くお起ちなさい」
「お叱りは重々恐れ入りました」と、半七はあざ笑った。「併しそこに
おいでになる行者様は何もかも見透しの尊いお方だとうけたまわって
半七捕物帳女行者
居ります。それほどのお偉いお方がその箱のなかにどんな物がはいっ
ているか、初めからお判りになりませんでしたろうか」
 式部もすこし返事に詰まっていると、半七は畳みかけて云った。
「その通り、どんなものでも 
ふた
蓋がしてあれば判らない。そのお 
て ぎわ
手際 じゃ
あ、ここにいる人間もどんなものだか判りますまいね」
「いや、それで判った」と、式部は又にわかに声をやわらげた。「それ
について、こなたに少しお話し申したいことがある。お手間は取らせ
ぬ。奥へちょっとお出でくださらぬか」
「折角だが御免を蒙りましょう。こっちが奥へ行くよりも、そっちが
表へ出て貰いましょう」
「そこがお話だ。ともかくも奥へ……。どうもここではお話が出来に
くい」と、式部はしきりに誘うように云った。
「ええ、うるせえ。出ろと云ったら 
すなお
素直 に早く出て貰おう」と、半七
は小膝を立てながら云った。「おめえばかりじゃあねえ。そこにいる行
者様もその 
みこ
巫子 も、みんな一緒に出てくれ」
半七捕物帳女行者
「どうしても出ろと云われるか」と、式部は少し身がまえしながら云っ
た。
「くどいな。早く出ろ、早く立て」と、半七もふところの十手を探っ
た。
 この場の穏かならない形勢が自然に洩れて、玄関に待ちあわせてい
る人々もざわめいた。中には起ちあがってそっとのぞく者もあった。
それをかき分けて善八はつかつかと神前へ踏み込んで来た。
「親分、どうしますえ。お縄ですか」
「どうも素直に行きそうもねえ。面倒でも畳のほこりを立てろ」と、
半七は云った。
 その声の終らないうちに、式部は腰にさしている一刀をそこへ投げ
出して起ったかと思うと、奥の襖を蹴放すようにして逃げ込んだので、
半七はすぐに追って行った。こういう 
やから
徒の習い、 
えもの
得物 をわざと投げ出
したのは、こっちに油断させる為であろうと、半七は用心しながら追っ
てゆくと、式部は奥の八畳の間へ逃げ込んで、そこに据えてある 
からびつ
唐櫃 
半七捕物帳女行者
の蓋をあけようとするところを、半七はうしろからその腕を取った。
取られた腕を振り払って、式部はふところに忍ばせてある 
あいくち
匕首 をぬい
た。用心深い半七は彼が必死の切っ先に 
くう
空を突かせて、刃物を十手で
たたき落した。
 式部が唐櫃のまえで引っ 
くく
縛られたときに、行者も善八の縄にかかっ
ていた。小娘の藤江は勿論なんの抵抗もなしに引っ立てられた。裏口
から廻った多吉は二人の女中に案内させて、戸棚から床下まで 
せんさく
穿鑿 し
たが、ほかには誰もひそんでいるらしい形跡もなかった。
 その日の夕方に、久次郎の死骸が品川沖に漂っているのを漁師船が
発見した。
 
 女の行者は公家の娘ではなかった。勿論、冷泉家の息女などではな
かった。しかし彼女の母は公家に奉公したもので、おなじ公家侍のな
にがしと夫婦になって、お万とお千という娘ふたりを生んだのだが、
六年ほど前に夫婦は 
はやりやまい
流行病 で殆ど同時に死んだ。たよりのない娘たち
半七捕物帳女行者
は父の朋輩の式部に引き取られたが、その式部もなにかの不埒があっ
て屋敷を放逐されることになったので、かれは二人の美しい娘を連れ
て、今後のたつきを求めるために関東へ 
くだ
下って来た。その途中でふと
思い付いたのが祈祷所の仕事であった。
 式部は加茂の 
やしろ
社に 
しるべ
知己 の者があったので、祈祷や 
はら
祓いのことなどを
少しは見聞きしていた。もとの主人が易学を心得ていたので、その道
のことも少しは聞きかじっていた。それらを世渡りの手段として、か
れは江戸のまん中に祈祷所の看板をかけたのであるが、自分では諸人
の信仰を得がたいと思ったので、姉娘の美しいお万を行者に仕立てて、
自分がうしろから巧みにそれを 
あやつ
操ってゆくことにした。まだその上に
も世間の信仰を増すことをかんがえて、かれは堂上方の消息に通じて
いるのを幸いに、都合よく云いこしらえてお万を冷泉の息女であると
 
ふいちょう
吹聴 した。式部自身はその家来と名乗っていた。妹は腰元の藤江に化
けていた。この大胆な計画が予想以上に成功して、迷信の強い江戸の
人々を見事に瞞着しているうちに、ここに一つの 
しょうがい
障碍 が起った。それ
半七捕物帳女行者
炭団伊勢屋の息子が母の祈祷をたのみに来たことであった。
 母の祈祷だけで済めば、何事もなかったのであるが、伊勢屋が裕福
であることを知っている式部は、更にお万に入れ知恵をして息子の久
次郎をも釣り寄せることを巧らんだ。久次郎は果たして釣り寄せられ
て来たが、それが単に信仰ばかりではないらしく見えた。式部はそれ
を薄々承知のうえで、いろいろの口実を設けて少なからぬ奉納金を幾
たびも巻きあげた。
 それで済めばよかったのである。式部に取ってはむしろ思う壺には
まったのであったが、だんだん時日を経るあいだに、お万の魂もいつか
権十郎息子の方へ引き寄せられてゆくらしく見られて来たので、それ
に気がついた式部は今更にあわてた。それにはまた二様の意味があっ
た。第一には商売の妨げになることで、尊い行者がその信者と恋に落
ちたなどということが世間に洩れた暁には、たちまちその信用を落すの
は判り切っていた。もう一つは、遠い昔に妻をうしなって久しく 
ひとりみ
独身 
の生活をつづけていた彼は、江戸へくる途中からすでにお万を自分の
半七捕物帳女行者
物にしていたのであった。冷泉家の息女と云い触らしてある美しい行
者を、かれは自分の色と慾との道具に使っていたのであった。そうい
う秘密がひそんでいるので、この場合にはむしろ第二の理由の方が強
い力を以って彼をおびやかした。手の内の玉を奪われようとする式部
は、久次郎に対しておさえ切れない嫉妬と 
ぞうお
憎悪 を感じた。彼は鋭い眼
をかがやかして、厳重にふたりの行動を監視していた。
 式部の監視がきびしいので、夜なかの秘密の祈祷の場合にも、若い
行者と若い男とは膝を突きよせて親しく語るような好機会をあたえら
れなかった。それでも二人の心と心とがいよいよ熱して、いよいよ触
れ合って来るのを式部は決して見逃がさなかった。かれは一方にお万
を 
いまし
戒めると共に、久次郎を追い遠ざける手段を講じた。一日でも長く
釣りよせて置く方が 
みいり
収入 の上には都合がいいのであるが、式部はもう
そんなふところ勘定をしていられなくなった。彼はどんな利益を犠牲
にしても、悪魔のような久次郎を追い 
はら
攘ってしまわなければならない
と決心した。
半七捕物帳女行者
 しかも彼はぬけ目のない一策を案じ出して、ひそかに伊勢屋へ押し
掛けて行って、久次郎の母に厳重の掛け合いを申し込んだのであった。
久次郎は行者に 
けそう
懸想 してかれを 
けが
涜そうとしたというのである。飽くま
でも彼を信仰している母のお豊は唯ひたすらに驚き怖れて、みごとに計
画に乗せられたので、式部は思うがままに二百両の金をつかんで帰っ
た。久次郎が母に責められて、その無実を明らかに証明し得なかった
のも、やはりその内心に 
やま
疚しいところがあったからであった。式部に
おびやかされ、母に責められても、美しい行者にまつわり付いている
彼の魂は、ほかに落ち着くところを見いだし得なかった。かれは今日
の掛け合いの事情を問いただすために、日が暮れてからそっと祈祷所
へたずねてゆくと、式部はさえぎって内へ入れなかった。行者との面
会は勿論ゆるされなかった。心の汚れているお前のような者に祈祷は
無用であると、式部は行者の口上を取り次ぐようにして断わった。久
次郎は行者の前で一度 
ざ んげ
懺悔 したいと云ったが、それも許されなかった。
式部は何事も行者様のお指図であると云って、かれを表へ突き出して
半七捕物帳女行者
しまった。突き出された久次郎はそれから家へも帰らないで、どこを
どうさまよい歩いていたのか判らない。かれは水死の浅ましい 
なきがら
亡骸 を
品川の海に浮かべたのであった。
 式部の白状はこの通りで、お万とお千の申し立てもそれに符合して
いた。八丁堀同心や半七らがうたがっていたような勤王や討幕などの
陰謀はまるで跡方もないことで、一種の 
きゆう
杞憂 に過ぎなかった。かれは
やはり初めに云ったような、 
にせくげ
偽公家 の 
やまし
山師 であった。その山師におび
やかされて、すぐに疑惑と不安の眼を向けるのを見ても、幕末当局者
の動揺が思いやられた。
 こんなことは長くつづく筈はないので、一万両の金を儲け出したら
ば、京都へ帰って田地でも買って、安楽に一生を暮らすつもりであった
と式部は申し立てた。かれはもう三千両ほどをたくわえて、奥の唐櫃
にしまい込んであったのを一切没収された。単にこれだけのことであ
れば、かれらは追放ぐらいで済んだかも知れなかったのであるが、伊
勢屋の伜久次郎の死がこれに関聯しているので、その罪は軽くなかっ
半七捕物帳女行者
た。
 式部は死罪に行なわれた。
 お万とお千は追放を申し渡された。美しい姉妹のその後の運命はわ
からない。
 
 
 
半七捕物帳女行者