西部邁とは別の選択  鴎外の息子

自分の生を生き抜いた果てに自死を選ぶというのは、あくまでも西部邁個人の生き方であって特別な例だと言うべきだろう。
誰しもが寿命が尽きるまで、生物として生き続けることを選んでいるのが実情だと思うし、もちろんそれで良いと思う。
その反対の端的な例として、鴎外の前妻の息子であり医者だった森於菟(「おと」と読み、オットーを意識して鴎外が命名した)が著書『父親としての森鴎外』で、《自分の理想は自分が自分だという意識もなくなるほどボケるまで生きて、垂れ流し放題というのが一番だ。》という意味のことを記している生き方だろう。
於菟がどういう死に方を迎えたかは知らないけれど、学生時代にこれを読んでビックリしながらも、自分はマネできないという思いでいっぱいだった。
81歳で亡くなった父親は晩年かなりボケが進行して、ある時母親に向かって《ツネちゃん(一緒に呑んだり上州では盛んな花札で遊んだりしてくれた実の娘のつれ合いのこと)のカアチャン(妻)は誰だっけ?》とたずねたそうで、母は腰が抜けるほど驚く一方で《実の娘のことを忘れるなんテ!》と呆れて笑いが止まらなかったそうだ。
その母の方が先に亡くなってから父は2年ほど長生きしたので、毎週1度は故郷(前橋)の施設に引き取りに行って実家に連れ帰り、叔母(父の唯一の妹)と3人で時を過ごしたものだ。
半身を支えながら散歩をするのが恒例だったが、時に「オレはもういいンだ」という言葉を洩らすのはツラかった。
「生きていなくていいンだ」という意味であることは伝わってくるので、母に取り残され、意識が正気に戻る時の父の方がツライのは分かった。
先日法事の帰りに叔母(母の妹)から若い頃の父の楽しそうな話を聞き、早逝した祖父に代り18歳から一家を支えて生き続けたが父が、あながち弟妹のために己れを犠牲にしただけでもなかったのは救われた思いだったけれど、「もうイイ」という言葉は西部さんの気持にも通じるようで今でもただただツライ。