栄和人と安倍晋三の共通性  戸塚ヨットスクールも小池百合子も  「点と線」  プーチン

ハラスメントの話題となるとイチローの出番だろ、という声が聞こえてくるような気がするので、一言。
もちろん誰でもが言うようなことをくり返しても意味がないから、イチローの広角打法でネ。

栄和人が吉田沙保利たちのオリンピック・メダルを本人に渡さずに自分の所に確保していると(昔テレビで吉田が語っているのを)聞いた時に、今日のような問題が発生するのは時間の問題だと想定していたので驚かない。
栄がテレビに露出し始めた頃から、見るからに卑しいニンゲンだという印象を持ったけれど、ボクの個人的な嫌悪感が国民全体のものに拡大したのも当然の帰結だったろう。
栄の誤りの根本には己れの《全能感》にあり、オリンピック(世界のタイトルマッチも含む)で結果が出せたのは、全て自分の力だと錯覚したところにある。
それなりの結果が出た時に、自省心の無いヤカラはこの種の勘違いを起こしがちで、自分の思い通りにならない者を「排除」したがることになる(「排除」を引用したのは、この言葉を洩らした当時の小池百合子栄和人と同類だから)。
もともと自省の心を持たないヤカラは、自制することができずに調子に乗りすぎて失敗するものだ。
今どきの人は知らないだろうけど、むかし「戸塚ヨットスクール」で引きこもりなどの子供たちを自立させる結果を出した戸塚某という男も、栄和人によく似て《全能感》を抱いたためにヤリ過ぎて身を滅ぼした。
自分のやり方が全ての人間に当てはまると思い込んでしまったための自滅である点では、栄和人は戸塚の先例に学ぶべきだった。
思わず名前を出してしまった小池百合子も、時代の波に乗っただけであることに気付かずに、全て自分の力だという思い違いに足元をすくわれたわけである。
戸塚某が事件を起こした時に、敬愛する故・河合隼雄さんが「子供たちが自立できたのは、例えば海の力など戸塚さん以外の要因があったはずなのに、彼は自分の力のお蔭だと限ってしまった。」という発言をしていたのを思い出す。
栄和人も小池百合子も、そうして安倍晋三麻生太郎も自制心を失ってヤラカシテしまったヤカラだ。
政治が親子代々継承するものと勘違いした日本国民が作り出した安倍一強という体制に胡坐(あぐら)をかいた安倍晋三(と麻生太郎等)も、何をやっても許される(国民はスルーしてくれる)という大誤算に基づいてモリカケ問題のような、見え見えの悪事をくり返した結果が現在の日本のブザマな状況だ。

実は昼食(ボクは毎日午後6時前後)を摂りながらBS朝日6時からのドラマ「点と線」を見始めたのだけれど、ビートたけし主演と記してあったせいもあるものの、前回ブログに部下に自殺させて自分は責任を逃れる政治屋と記した時に、「松本清張がよく書いたように」と付そうと思いながらも止めたからだ(清張はほとんど読んでないから)。
もちろん二部制の5時間ドラマ全体を見たわけではなく、食事やメールチェックやブログ更新をしつつ「らららクラシック」「博士のヒトの秘密」「欲望の経済史」を聞きながら、切れ切れにドラマを覗く感じで見た程度。
それでも今の森友問題にほぼ完全に重なってるじゃないか! という思いを強くした。
安倍晋三に重なる政治屋がヤラカシタ悪事をかばうために、官庁の小役人が殺されたり・自殺したり、一方では上役が出世したりという構図はソックリだよネ。
森友問題で自殺者が出たと知った時にデジャヴュ感(既視感)を感じたけど、政治屋がやりたい放題をする水面下で責任を代行するために弱者が死んで行くのが日本のウルワシイ伝統なのかな。

遠くはナポレオン、近くはヒットラースターリン、目の前ではプーチン習近平などが抱いている《全能感》に比べると、死人の数ではケタが違うだけ日本の政治屋の方がマシだとすべきなのだろうか?
そう言えばスターリンの伝統を引く殺人鬼プーチンの特集がNHKBS1続いているけど、「プーチンの復讐」の前篇を見て納得したのはプーチンというニンゲンの小ささだった。
冷戦終結後にフセインカダフィが殺されるのを見ながら、プーチンはいずれは吾が身と思い込み被害妄想から敵対者を殺しまくり(著名なだけで9人だったか)、つい最近は元ロシア側のスパイまで殺してイギリスのみならず米仏独との関係を悪化させたのは、誰が見てもヤリ過ぎだ! 
人の命を何だと思ってるのだ!