「半七捕物帳」の「女行者」

むかし『解釈と鑑賞』だったかで、「半七捕物帳」について見開き2ページの解説文を書いた時に、こんな作品で研究論文など創り上げることなどできないと思ったものだ。
『シドク 漱石から太宰まで』に岡本綺堂の初期戯曲論を載せてはいるけれど、戯曲には論になるネタは見つかるものの、捕物小説にはそんな手立てなどありゃしないと決めつけていた。
最近ではその不可能と思われていた「半七捕物帳」論が算出されているそうで驚いたけれど、ユースケ・ハマダマニア(成蹊大教授)の指導力のせいもあるのだろうか?
今回のレポのクリマン君もユースケ先生の半七ゼミに参加していたそうだけど、確かに論になっていたので感心したものだ。
作品が発表された時代との関わりを追求したものだけれど、論文化される予定とのことなので詳細は記すことは控える。
発表して良かったのは年代に関するトンダ思い違いが訂正できたこと、他人の目にさらさないで独りで論文書いていると、こうした誤認が直せない例はありがちな話(だから皆さん発表しにいらっしゃい)。
有名どころでは、昔の優れた研究者・故磯貝英夫氏が、小林秀雄論で「Xへの手紙」(昭和7年)の発表年度を7年くらい遅いものと勘違いしたまま論理を構築したことがあった。
年代には誤りがあったものの、論自体に説得力があったものだから、小林研究の専門家である故吉田熙生氏が有精堂の資料叢書に収録してしまったものだ。(この辺の叙述は記憶だけで書いているので、ボク自身の側に思い違いがあるかも。)
もちろん後書きで収録した経緯・判断は付記されていたけれど、クリマン君は無理をしてまで磯貝氏のヒソミに倣うことはない、年代の勘違いの方を正して論理の展開を訂正すればイイだけの話。
昔の別の優れた研究者(故人)も、磯貝氏と似たような発表年代を誤解したまま論理を構築してしまい、これも説得力を発揮してしまったものの、こちらは初出誌以外には収録されることはないままで終わっている。
思い込みによる誤認に基づいた論文を書いてしまうのは決して他人事(ひとごと)ではないのだから、できるだけ発表して他人の目に己(の論)をさらした方がイイということ。
発表の詳細が言えないので、発表の瑕疵(かし)をチョッと広げた話題にして書いてみました。
これも芸のうちかな?


ボッチ君差入れの飲み物をいただきながら、なおさん手作りの(レモン?)ケーキがいつも以上に美味でした。