落掌した著書・研究同人誌

定年退職した身ながらも、ご著書や同人研究誌をお贈り下さるご厚意にお応えしたいと考えながらも、なかなか思うようにいかないので申し訳ない気持を引きずり続けている。せめてブログに感謝の意を込めて紹介記事を書きとめておこうと考えるのだけれど、少しでも読んでからと思うとそれが果たせぬままに積読(つんどく)状態になってしまう情けなさ。
お互い若き日から敬愛しているチバちゃん(千葉俊二)の『文学のなかの科学』(勉誠社出版)については、書いたような記憶もあるけれど、頭の中だけに留まったまま実際には記さなかった気もする(ボケ進行のせいか、その類の書籍が多いのも困ったものだ)。
博論がまとまるのを待ちくたびれた竹田志保が、『吉屋信子研究』(翰林書房)を贈ってくれた時は嬉しくてすぐにブログ記事の文面まで浮かんだのに、書きとめないまま今に至ってしまっている。こちらが門外漢ながらも、本を出すたびに贈ってくれる葉名尻竜一さんの近著『文学における〈隣人〉――寺山修司への入り口』(KADOKAWA)も似たようなもので申し訳ないばかり。
学芸大修士から学習院博士となった竹田志保といえば、学芸大博士の大國真希の『国語科指導法の理論と実践』(渓水社)という彼女からすると珍しい著書が届いて「何じゃ?」と思ったら、副題「〈消失点〉と〈文学サウンドマップ〉を起点に」の通りの目次だったので安心した。
ナッキー山田(夏樹)の『石ノ森章太郎論』(青弓社)は書名だけは紹介した気がするけれど、この漫画家の作品を読んだことが無いのでコメントしようがないと自認している。でも先日「はじめに」と序章「マンガとは何か――その表現形式と身体性」は特定の作品を論じているわけではなさそうなので読み始めたら、新鮮な知識が得られる喜びと刺激が楽しめたところ。
毎号いただいていれ研究同人誌も『繍』(早大)の紹介をしたのかどうかハッキリしないところに『論樹』(首都大学東京)を落掌した。
目次が意外でいつもの伊藤佐枝さんのお名前が無くて、太宰や三島の論が並んでいる上に日仏の戦争詩の比較が目を引く(マギー氏)。
花粼育代さんのお名前で贈られたのは、白百合女子大の「アウリオン叢書」のシリーズ(知らんかった)である「長篇小説の扉」という特集で、花粼さんの大岡昇平「花影」論が収録されている。
「花影」は野澤涼子の論を指導した記憶が残っているので興味を惹かれる論だ。
その野澤が『学芸国語国文学』第50号に珍しく授業実践論として、川上未央子「乳と卵」について書いているので宣伝しておきたい。
などとお礼かたがた記しているところに、山本ホウメイ(芳明)から『漱石の家計簿』(教育評論社)をちょうだいした。
大学の後輩ながら、専攻が明治初期(ボクは昭和)だったり人間が文字通り「大人」しいので、こちらが無知のガキとしての下から目線でいろいろ教えてもらっていて、前著『カネと文学』(新潮選書)などまるで関心外の観点から種々の知識を与えてくれたものだ。
今度の漱石論もその延長で、授業の現場に役立つように漱石の「話法」の変遷について雑文を書いたばかりのボクには、全く意想外の漱石論でビックリしているところ。
学生時代に三好行雄師から、鴎外がいかに高給取りかを教えてもらって驚いたことがあったけど、本書の目次を見ると漱石も鴎外に劣らぬ高収入だったらしい。
そう思うと何だか漱石を読む気がなくなってしまいそう・・・