川端康成「禽獣」  主人公  田村俊子「秋海棠」

太宰研究が主眼だというハンさんがなぜか「禽獣」をやりたいというので(その意欲や良し!)、木島クンが乗って一緒に発表。
難しいテクストだし読みきれないほど多量の先行論があることを断っておいたけれど、案の定2人とも苦労したのが露わとなった。
ハンさんは留学生が陥りやすい(だから毎回のように注意しているのだけれど)《テクストに作家を読む》という誤りを犯してしまい、川端夫人の死産した事実や川端の女性観、そして川端文学につきまとう「孤児根性」という誤読の元をテクストの読みに持ち込んでしまった。
誤解ではあっても読もうとする意欲はいずれ結果を出すであろうし、引用もテクストどおりの歴史的仮名遣いで行っていたのも評価できる。

木島クンは文学研究では初心者のせいか、研究者の良し悪しが判らぬまま谷崎以外では珍しいたつみ都志の川端論を紹介してくれたのはいいけれど、たつみ論の時制に「大過去」や「「不特定の過去」と並んで「半過去」という概念が提出されていたのには驚いた(わざわざ「不特定」の「過去」を設定するのも笑えるが)。
それがフランス語の半過去かと思いきや、木島クンの説明によれば自分勝手に作り換えた概念らしいのでさらに驚かされた。
若年時の過ちということなのだろうが、若いうちは功を焦って恣意的な造語や読みに奔りがちなので、学生の皆さんは要注意!
授業中に指摘し忘れたかもしれないが、不用意に「主人公」という言葉を使うのも注意してもらいたい。
「禽獣」の「彼」が「主人公」の名に価するかどうか、むしろ千花子を主人公として読むという人もいる可能性もあるだろう。
結論的に付しておけば、誰(何)を「主人公」として読むのかは読者が決めるので、このテクストは特に主人公は決め難いので禽獣たちを中心化(主人公化)して読む立場もあり得る。
誰(何)を中心化して読むかはテクスト全体の読みに関わるので、不用意に「主人公」という言葉を使うべきではないだろう。
ハンさん共々、木島クンが平気で「孫引き」をして済ましているのも困ったもの(先輩からの注意もあった通り)。

始まったばかりなので、今後の修正力に期待したい。

@ 次回は田村俊子「秋海棠」を留学生2人が発表するので、フロアの皆さんの支えが必要となる、そのつもりで準備してもらいたい。