漱石「倫敦塔」

留学生のコウ君が果敢にも漱石の読みにくい作品に挑んだ姿勢に敬意を表したい。
今どき日本人でも漱石研究にチャレンジする人が稀な中で、この姿勢は評価できるということだ。
しかし結果が思わしくないので、今後いっそう励んでステージを上げてもらいたい。
最悪なのはその場で指摘したとおり、語り手の「余」を漱石に重ねて、空想される女性に漱石の《母》思慕を読み取っている点だ。
毎回のように注意しているのだけれど、テクストに作家を読むのは半世紀近くまでならまだしも、今や禁じ手になっていると言っていいだろう。
初歩からテクストを《読む》とは何か? をマスターしてから再挑戦してもらいたい。
比較文学的なアプローチとしては、以前から評価できた塚本利明氏のもの以外にも末延芳晴という人のも紹介されていたものの、こちらはテクストの《読み》においてピントがズレていると思えた。
厖大な量の漱石の先行研究は、イイものとダメなものとの区別を付ける能力を身につけないと、ツマラナイ論のために時間を無駄にすることになる上に、自己の論のレベルを下げることになるので要注意である。

急遽サブとして発表者になったタイメイ君が、いたく作品に感銘を覚えたと言っていたのは嬉しい収穫だった。
基本的には《漱石であって、漱石でない「余」が何者であるかを探り》たいという期待できる方針だが、「草枕」の「余」と安易に結び付けている増田裕美という比較文学の人の論に引きずられている分、ステージが下がってしまった感じ。
また「方丈記」を英訳した漱石の言葉を紹介した増田の落とし穴にハマるように、論がツマラナイ方向に行ってしまった印象でザンネンだった。
ただし質疑応答では臨機応変で「分かっている」感が伝わってきたのは、十分期待できる資質の持ち主であることを明かしている。
そう言えば、近代文学会の春季大会の会場で、初参加にも拘らず堂々と外さない質問をしていた人だから、今さら驚くには及ばない人だった。
文芸創作科に属しているとのことだけれど、文学研究にも十分対応できると保証できる逸材かな。

次週は佐藤春夫「西班牙犬の家」。