ジャミラ論?

前にジャミラについての記事を楽しんでいるというサオリン(元昭和ゼミ長の女性)の期待を記したけど、その後も地方国立大学の教員のN君からもジャミラネタを楽しみにしているという希望が寄せられた。
つい最近ではボッチが職場のジャミラ的存在に激しいプレッシャーを受け続けているので、ストレス解消のためにいつもあちこち楽しそうな所を訪れているとか。
ジャミラについて書いているとキリが無いくらいだし、他の記事が書けなくなるので控えているのだけれど、最近また腹が立った(ジャミラ相手ではナニの方は立つどころか萎えるしかない)「事件」が重なったので記してストレスを解消したい。
最近1日1度のパン食の際のレタスにかけるオリーブ油が見当たらないので、ジャミラに行方を尋ねたら「私が買った物だから使われたくないので隠した」という素直な言葉が返ってきた。
退職後もボクの年金が生活費になっているのだけれど、ジャミラの小遣いで購入する物はジャミラが自身だけで消費するという暗黙の了解は守ってきたつもりながら、それ等はアイスクリームとかフルーツに限られているものとばかり思っていたものだ。
一橋大院生の西村家から毎年贈られる貴重なオリーブ油(世界でも認められているスゴイもの)も、ジャミラも含めた生活の中で消費されてきたはずなのだけれど、ジャミラが買ったオリーブ油はジャミラだけが消費するものだとは、さすがのボクも理解に苦しんだ次第。
とはいえ、その類の認識のズレは長年何度も経験してきたので、今日は西友で安価なオリーブ油を購入してきてこの問題をクリアした。
家計簿至上主義(?)の「婦人友の会」の会員として出歩きまわっているものの、自家の家計簿は数年前からつけなくなったので(とにかくメンドクサイことが大嫌いでやらなくなる一方)、生活費を渡してもその詳細は「ヤブの中」で不透明なまま。
何度も記したと思うけど、洗濯物は部屋につるしたまま・食器は食洗機で洗ったまま・床はホコリが積もったまま等々なので、それぞれボクが片付けるようにしているけど、ジャミラの縄張りである2階は本人の責任にして階段や1階全体はボクが掃除しているのが現状。
資源ゴミもボクが整理して該当日に出しているので、台所も昔のように資源ゴミを含む「ゴミの山」状態ではなくなっている。
先日の学大の学会で、主婦の仕事をしながら教育職に就いているメイさんから、「センセイに見せられた台所の写真を思い出しながら、あんな風にならないように注意しています」と言われて、改めてゴミ女としてのジャミラを想起したものだ。
それにしてもあの頃の家内の写真はスゴたらしいもので、メイじゃないけど「ノー・モア・ゴミ屋敷」だネ。

今日は別の問題が起きて、先ほど(夜11時半ころ)やにわにジャミラがボクの仕事部屋のドアを閉めて去って行った。
これは毎年の現象であり、ジャミラのテリトリーである2階のエアコンを点けるとボクの部屋を冷やさないためにドアの閉めにくるのだナ。
ボクは外の風を通すことによって居心地をよくしているのだけれど、そのために部屋の窓を開けているので2階の冷気が逃げてしまうのを防ぐため、ジャミラとしてはわざわざボクの部屋のドアを閉めにくるのだネ。
理屈は通っているように見えるのだけど、ボクの部屋の隣りの和室(常に空室)のドアは閉めないのだから無駄に冷やしていることになるので、ジャミラの意図はボクに対する嫌がらせでしかないのは明らかなんだナ。
和室のドアはボクが先ほど閉めたものの、実は設計上でも2階を冷やすために階段の上部に冷気(暖気の場合もあり)を1階に逃さないために仕切りにすべき板(小さなドア?)が設置されている。
ジャミラは設計上の配慮をいっさい認めないで、この板を頑固に使わないでいることによって小児病者であることを自照してしまっている。
「思い込んだら命懸け」の一心で非効率的な生き方を頑固に貫いているのだから(設計者は何と思うだろ?)、同居者としてはバカバカしくて付き合いきれずに疲れるばかり。
論理(理屈)は全面的に拒否して、他人の言い分はいっさい認めずに己れの思い込みを主張し続ける姿は、ブレることなく一貫している。
要するに4歳児(セクハラ等で学大を停職処分のまま退職したクレイ爺を3歳児と呼んだので1歳分の差異化)並みの条件反射で生きているわけで、ご本人は女王様の意識でいるのだから他人(特にボク)の言うことは聞こうとしない。
親の言うことだけは仕方なしに従っているものの、後で「もうボケていてしょうがない」などとボヤいているのだから救いようがない女だ。

@ 以上は昨夜(27日)に記したのだけど、やっぱりキリなく続きそうなので、ひとまずこれにて。