亀井秀雄さんの思い出  前橋高校  桐原書店  

もう公表してもいいかな、と思うので添付します。
日本の文学研究者として世界に通用した稀な亀井秀雄さん(他には柄谷行人くらいかな)にまつわるエッセイである。
娘さんの亀井志乃さんから指名されて書かせてもらった雑文である。
市立小樽文学館が出版した『亀井秀雄の仕事とこれからの文学館』(平成30年6月)という冊子であるが、西田谷洋さんの大論文(?)も収録されていて充実している。
ボクは前橋高校の大先輩としての「亀井さん」について語らせてもらった次第、亀井さんの一面を伝えられれば幸い。


 私だけの亀井秀雄像          関谷 一郎



 天下の亀井秀雄に対して不遜な表題で語るのではない! とあちこちからお叱りの言葉が聞こえてきそうだけれど、多
くの亀井ファンの中でも「亀井さんの高校の後輩だ」と言えるのは私くらいのものだろう(ザマアミロ!)。その立ち位置
だけでは胸を張って自慢できるものの、当方の内実を問われると恥ずかしい限り。
 亀井さんは誰に言わせてもやはり「天下の亀井秀雄」で、この「天下」が日本を超えている点では他には柄谷行人くら
いのものだろう。思わず柄谷行人の名前が想起されるのは、亀井さんは文学研究者でもありながら文芸批評家でもあるか
らだ。いかに傑出しているとはいえ、柄谷が批評家にとどまるのとは異なり、亀井さんの仕事は批評でも一流であり研究
でも一流である。師・三好行雄の教えによれば、「批評は面白ければ済むけれど、研究は実証・論理が伴わなければ成立し
ない。」という差異が前提にあるのだが、亀井さんの業績は実証に裏付けられている上に、読み物としても楽しめる。私の『小
林秀雄への試み―― 〈関係〉の飢えをめぐって』も著書の帯に、饗庭孝男氏から「研究としても批評としても読める」と
いう主旨のありがたい推薦文をいただいたことがあるけれど、亀井さんの仕事とはスケールが違い過ぎて比較にならない。
 亀井さんがマエタカ(前橋高校)の大先輩であり、映画監督の小栗康平と共に自慢のタネには違いないながら、正直年
代が離れすぎていて実感が伴わないのは残念。呑みながら昔の話をうかがっても、別の高校の話を聴くような距離感があっ
たものだ。それでも仰ぎ見る先輩としての意識を保持していたので、いつも「さん」付けで呼ばせていただいていたので、
会議以外では「先生」呼ばわりをしたことがない。
 会議というのは桐原書店の国語教科書の編集会議のことであり、桐原が国語の教科書を立ち上げる時に声をかけてもらっ
た際に、(編集委員として想定されていると聞かされた)亀井さんを桐原が口説き落としたら自分も委員に加わる、という
条件を出したものだ。高校生の教科書編集などメンドクサイという思いがあったけれど、天下の亀井秀雄と一緒に仕事が
できればこの上なく楽しいだけでなく、知的刺戟を直接受けられる喜びが得られるという期待が膨らんだ。竹山文士さん
小林幸夫さんが北海道まで飛んで亀井さんの承諾をもらったというので、お二人の尽力には今でも感謝している。
 せっかく亀井秀雄編集委員に加わってもらったのだから、亀井さんに教材用エッセイを書いてもらおうと提案して他
の委員の賛同を得て依頼したところ、快く引き受けて寄せてくれたのが「再び空知川の岸辺に」である。いつもの論理と
実証に依る評論とはことなり、抑えきれぬ抒情が滲み出る香り高い文章を拝読した時は、この人は紛れもなく〈文学〉の
人なんだと実感できたのを忘れない。体系的な理論を志向しつつ論理を貫く文学者は、おおむね〈文学〉的味わいを感じ
ないものながら、亀井さんと(詩人でもある)吉本隆明には〈文学〉を感受できるから私にも読めるのだと思っている。
論理だけに拘って書かれたものは、痩せこけて無味乾燥な文章になるのは必至。
 当初の編集会議は、昔のプロ野球ダブルヘッダーのように、昼食を挟んで朝から夕方まで続いたので、子供の頃から
昼寝を欠かせない私は、亀井さんと同席しながらもよく居眠りをしてしまったものだ。決して敬愛の念が弱まったわけで
はなく、生来の悲しいサガなので仕方ない。体調を崩されてからも、亀井さんは律儀に教材案に関する長いコメントを寄
せ続けてくれたものだが、それを拝読するのが我ら編集委員の一番の楽しみであった。教材案に対する亀井さんの評価と
同じなら喜ぶし、異なると亀井さんのコメントに反論するのが隠微な悦びとなった。ご本人がいないので言いたい放題に
なるのが「隠微な悦び」のゆえんなのだけれど、実は同席していた頃も、亀井さんは自由にモノが言える雰囲気を保証し
てくれていたのは確かだった。討議の結論が亀井さんの意向に反するものになっても、決して持論にこだわり続ける人で
はなかったのもありがたかった。
 亀井さんの仕事に最初に出会ったのは『現代の表現思想』(講談社)だったと思うけれど、目次を見て吉本隆明・三浦つ
とむといった学部生の私にとって支えであった尊敬する人たちの名前が並び、それらの偉人たちを「同伴者」と称してい
た著者の誇大妄想ぶりに腹を立てたのを覚えている。実はこちらが目次を読み誤っていたのが後で判ったのだけれど、ま
だ無名の頃の亀井さんだったから「このフザケたヤツはいったい何者?」と憤慨したのである。後で自分と同じ群馬県
人であり、それもマエタカの大先輩だと知った時は驚きつつも、自慢たらしいやら妬けるやら複雑な心持だった。
 本書は学部生だった私には難し過ぎて読み続けられなかったのだけれど、体系的な理論や論理尽くめの書が苦手な自分
にあっては、中途で投げ出すのはフツーのこと。吉本隆明を読んでいても『共同幻想論』や『言語にとって美とは何か』
までは、取り上げられている柳田國男漱石その他の作品引用のお蔭で読めたものの、『心的現象論』は途中で放棄したま
ま数十年経ている。ちなみに『現代の表現思想』の終章は「心的現象論」が論じられているけれど、当時の私には地上か
ら空中戦を見る思いだった。
 という次第だから、亀井さんの著書はほぼ全部揃えているけれど、通読できたのは理論書ではなく作家論に限られている。
意外だったのは中野重治論に朔太郎(マエタカではなく旧制前橋中学卒)の作品を亀井さんが読みこんでいたことで、重
治の詩作品に朔太郎が浸み込んでいる分析には脱帽だった。マエタカの先輩というよりも、故郷の詩人として亀井さんも
朔太郎を好んで読んでいたのだろうか。
 卒論・修論小林秀雄で書いた私としては亀井さんの小林論は眼の上のタンコブだったのだけれど、論の方向がほとん
ど交錯しないので無視できたのは幸いだった。亀井さんの小林論は、初期の頃から小林の論にはマルクスを正確に読んだ
上でそれを踏まえている、と実証した画期的なものだった。吉本や亀井さんの世代では、マルクスを咀嚼しているのがフツー
だったのかもしれないけれど、全共闘真っただ中の私の年代ではマルクスレーニンの威光は力を失っていた。のみなら
ず体系的理論を受け付けない私には、マルクスレーニンも読むに堪えないので(もちろん理論としては無効と言うので
はなく、関心が薄くて読み続けられないので)、小林秀雄の中にマルクスが吸収されているか否かという旧来の問題には興
味が無かった。
 「世界を覆い尽くす言葉(理論)は無い」という私の名言は、体系的理論にはなじめない自分が、吉本や亀井さんとの資
質の差を自覚させられた故の迷言だ。むろん負け惜しみには違いないながら、勝負は最初から明らかなのだから、大所(理
論)からは見落としがちな《細部を立ち上げながらテクストを読む》という、指導方針でもある自分の立ち位置を守って
いく決意は揺らぐことはない。マエタカの同窓生という小さな接点ながらも、勝手につながりを意識することで切磋でき
たと思えば、他の亀井秀雄ファンには味わえない特権だと威張ってみたい思いでいる。


せきや・いちろう 東京学芸大学名誉教授/桐原書店 高等学校国語教科書編集委員
新標準 国語Ⅰ(平成10 年)
展開 国語Ⅱ(平成11 年) 高等学校 現代文(平成11 年)
桐原書店 国語教科書〕