世界に優れたスリランカ人の知恵  象との共存  先住民支配  清岡卓行

この時期、テレビ番組では戦争モノを特集することが多いのだけれど、夜みならず今日は昼間から(午後1時〜)NHKBSで「インパールへの旅路」を放映していた。
これは先日の牟田口廉也(坪沼ボッチ氏のご指摘で「康也」を「廉也」に訂正)を始めとする低能で狂信的な執行部のお蔭で、数十万の兵士を無駄口(牟田口)で無駄に殺してしまったという観点でインパール作戦を取り上げたのとは異なり、戦後における慰霊と和解を取り上げていた。
午後10時の今はBS-TBS「歴史鑑定」で鈴木貫太郎たちの終戦への命懸けの努力を取り上げている。

そんな中でも先日は(番組名は失念)スリランカにおける象の被害を取り上げていた。
狭い国土に象が増えすぎたために、作物や作物貯蔵庫や民家を襲う象が増えたのだという。
象を神聖化する考えが定着しているせいもあるのだろうが、被害を受けた住民のことばが衝撃的だった。
「象に罪はない。象は自分たちより先にこの土地に住んでいたのだから、象と共存していかなければならない。」
この言葉を被害を受けた民家の主人だけではなく、その母親らしき老婆もくり返していた。

動物たちとの関係のみならず、人間同士でも先住民を排除しつつ土地を乗っ取って己のものとしてきた歴史を鑑みると、征服した側の人間の愚かさがスリランカの民の知恵から反照されて悲しい。
大日本帝国が主張し実践しようとした「大東亜共栄圏」も、実態はヨーロッパ諸国の植民地となっていたアジアの国々を、ヨーロッパ諸国に代って日本が新たな支配者になろうとした醜い魂胆は明らかだ。
法政大院の中国人留学生が清岡卓行の「アカシアの大連」を始めとする「大連五部作」を研究していて、レポートしても分厚いものを送ってきた(最低30枚ながら上限は無いから多量でもイイと伝えてあった)。
要するに日本が植民地にした大連に育った主人公たちを描いた作品群を、被害者である中国人の院生が論じたものということでとても興味深い。
「アカシアの大連」が芥川賞を受賞した学部生の頃、これを読んでヒドイ作品だと怒りさえ感じたものだけれど、中国人院生が授業で別の作品について発表したのを機に「アカシアの大連」を再読してみた。
詩人が小説を書くと文壇はハードルを下げて授賞する傾向があると思うけど、清岡卓行もそれで小説を発表し続けたのだとばかり思っていたけれど、再読してみたら己の読み方が浅かったものとハンセイすること頻り(しきり)。
それにしても論じにくい作品群だけれど、チャレンジしている留学生に助言できればと微力を尽くしているところ。
留学生も、院生も、彼だけではないからタイヘンなんだヨ、今日は雨が降ったせいで涼しくなったからいいけど。