3冊目?  藤原耕作  沢村が打たれて言うこと無し! 桑田真澄の大罪

とにかく退職して4年半が経つというのに、己れの安吾研究はほとんど進まない。
かといって今後数年すれば何とかケリを付けることができるとも思えない。
実は数年前から3冊目の表題は決めていて、『太宰・安吾檀一雄』というもので宇都宮大学漱石の話法について発表した時に、先輩教員に題名だネと褒められて悦に入っていたものだ。
何よりも響きがイイ(5・7のリズムだけでなくDとNの音の響き合い)と自分では思っていたのだが、お褒めの言葉の内実は確かめてない。
表題のとおり、自分の守備範囲の3人の作家についての論をまとめようとしていたのだけれど、安吾論にケリがつかないので当分出版に至り着きそうにない。
恐ろしいことに来年はいよいよ古稀を迎えることになり、今でさえボケの進行に生きて行く勇気が挫けているのだから、3冊目が死後出版にもなりかねない。
畏友・シュンテン(故・花田俊典)のように、死後に備えて(?)分厚い安吾論文集をまとめておくほどの才覚も無い。
とすればそれこそ玉石混交の雑文集を勝手に編集されかねない。
これは生きているうち、それもボケてワケが分からなくなる前に、自分の意志で3冊目を出すほかないと自覚するようになったというのが実情だ。
というわけで、来年の古稀を記念に3冊目を出そうという気持になりつつあったところに、釣り部長かつ呑み部副部長のユウ君が退職記念の際の「花束禁止・酒歓迎」の成果を想起しつつ、古希記念出版に背中を押してくれたのでその気になりつつあるのだナ。
なにせあの時に頂戴した酒類は数知れず、ほぼ1年間の部活動の際に呑ませてもらってやっと片付いたくらい、それにしてもウメエ酒ばかりだった! 
2匹目のドジョウを狙いたくなるというもの。

そこで『学芸国語国文学』の退職記念号の業績一覧を参考にしながら3冊目のラインアップをしてみたら、吾ながらよくもいろいろな作家の作品を論じたものだと感心してしまった。
太宰論を書き始めたのは『国文学』(學燈社)のお蔭であり、自分じゃ論じることも無さそうだった井伏鱒二を始めたくさんの作家について書いたのは『解釈と鑑賞』のお蔭だけれど、書いたものを全部まとめればイイという話では絶対にない。
1冊目の小林秀雄論の前書きで「紙クズ同然の研究・批評書」の出版に苦言を呈した者としては、批判した相手と同様な愚行をくり返すわけには行かない。
もちろん意外にも山本有三三浦哲郎の作品について論じたものもあり、それ等の論考が水準を超えたものであることは自認するものの、かといって3冊目に入れては収拾がつかなくなるという判断力は持している。
まだ有効な判断力で3冊目のアウトラインを引いてみたら、どうしても三島論を外せなくなってしまった。
それで表題も『太宰・安吾に檀・三島』というものになる可能性が出てきてしまい、5・7のリズムは守れるものの、古希を前にして不惑(40歳)に至らぬ己れの未熟さに右往左往の状態といったところ。
ボケ進行を物語るのは、業績一覧に安吾「イノチガケ」論が落ちていたこと!
師匠の三好行雄の影響かどうかは判らないけど、およそ失敗作・ツマラナイ作品について論じるのは苦手とするので、どう見ても名作とは言い難い「イノチガケ」について論じたことを忘れていても居直る自信はある。
そこで拙稿を取り出して読んでみたら、ほとんど「真珠」を中心に論じた拙稿(『現代文学史研究』第3集)の趣旨を「イノチガケ」に即してくり返しただけのものだったのでガックリ。
確認のためにその後発表され贈られたた藤原耕作氏の「イノチガケ」論を再読してみたら、(いつものように)ウカツにも読み落としていた原卓史氏や大原祐治氏の先行研究もあることを教えられ、己れの(論の)出番は無いものと認めざるをえなかった。
それにしても藤原氏が掲載誌『国語と国文学』(平成25年10月)を恵んでくれた際の添え書きに、拙稿を「参考にさせていただいた」とあった敬老精神には敬礼!でお応えしたい。
むかし安吾学会だったかで、発表者に対して疑問点を質す氏の爽やかな姿を見かけたことがあるので、添え書きに皮肉が含まれているわけではないのは承知していたので尚更だ。
とても安吾についてシロウトの出番はない、と自覚させられた卓論である。
てなわけで、三島論の出番が濃くなる次第となったのであるが、まだまだ不確定要素に溢れる企画でしかない。
実は今記しているのも、ビールと焼酎で自制を失った状態なので、話半分で受け止めて欲しいものだ。

なぜ呑んだかと問うのはヤボに極まるものの、それに応えるヤボを承知の上で記しておきたい。
なにせ阪神打線が沢村を打ち砕いたのだから、祝杯を上げずにはいられないのも当然だろ(巨人ファンのユウ君には申し訳ないが)。
今日も一方的に巨人がリードしていて、阪神の負けは火を見るより明らかだったのに、沢村が試合をブチ壊してくれたのはありがたい限り!
どうせ阪神が負けるものと覚悟ができていたので、上原が登場した時には阪神打線に内心「打つな!」と叫んでいたのは確かで、1安打で済んだので胸をなで下ろしたものだ。
上原が打たれるよりも、阪神が負けた方が気が楽だ。
投手が沢村に代ってからは、思わず「打て! 打て! 天誅だ!」と叫んでいたネ。
天誅」と言うのは、沢村が実力も無いくせに、ドラフトで巨人以外に指名されたらメジャーに行くなどと平然と大ウソを打ち上げた卑劣漢だからだ。
そんな裏切り行為は、高校生活を共にした清原を裏切って巨人入りした桑田真澄以来のもので、両方とも決して許せない! というのがイチローの持論なのだ。
ボクは生まれながらのアンチ巨人なのだけれど、好きな選手がたくさんいる。
日ハムからトレードされた吉川は当然ながら、上原を始めとして、高橋監督・亀井・長野などのベテランだけでなく小林や岡本も、そして日ハムの指名を蹴って巨人に拘った菅野も好きだナ(顔がチョッと甥っ子を思わせる)。
沢村には欠落している、爽やかさを彼らから感じることができるのがイイ。
桑田や沢村はジコチュウそのもので、他人を傷つけても何とも思わないフテブテシイ根性の持ち主で許せない。
江川卓もその代表だったけれど、彼は深く傷つけた相手である(故人となる前の)小林繁投手(江川の身代わりに阪神にトレードされた)に対して、テレビ画面に身をさらしながら直接謝罪したので許せるようになった。
桑田は清原に謝罪の一言でも伝えたのだろうか? 少なくともボクは聞き及ばない。

酔っているせいか、ひたすら長くなるばかり。
ブログを記しながらずっとバイロイトの「ローエングリン」を聴いていたのだけれど(深夜なのでワーグナーを聴くためのボリュームまで上げられない)、今はそれが終って「ローエングリン」でオルトルート役を務めたワルトラウト・マイヤの特集を流している。
殆ど記憶に残ってない女声歌手の名だけれど、引退を表明したらしい。
今日の「ローエングリン」もそうだけど、ワーグナー作品は特に奇抜な演出の犠牲になってきたものの、マイヤは自分の意見を演出家にぶつけて納得しない限り従わなかったそうで、立派というほかない。
納得したせいか、(見栄えのする)乳房を露わにしている画面が数回流された。
「パルシファル」のクンドリ役を始めとするワーグナーの女声歌手として現代では最高レベルの人だそうで、己れの無知をさらしてしまった。
自家の録音・録画に出演している可能性に期待したい。
ニルセンやカラスに比肩すべき女声歌手だという証言もあったので、ブログを止めてキチンと見る(聴く)ことにするヨ。
もちろんニルセンはスウェーデン出身のワーグナー歌手であり、カラスはイタリアオペラが専門だけど。
バレンボイム(サイードと共にパレスチナ問題の解決に努力した指揮者)もマイヤを絶賛しているネ。
今はシェロー演出(バイロイト「リング」の画期的な演出で記録・記憶に残る演出家)の「エレクトラ」(R・シュトラウス)に出演している画面が映されている。
マイヤもシェローを絶賛しているヨ。